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「ジルベール!」
一目惚れしたマゼンダのソファがジルベールの特等席だ。帰国して早くも数カ月が経つ。
次なる映画の公開を控える中、優雅にバイオリンを調律するジルベールに怒り心頭なのは他でもない。
娘のクラーレットだ。
黒髪がぶわっと広がるさまは毛を逆立てた子猫そのもの。だが、未だ事態を飲み込めていないジルベールはまったく見当はずれの問いかけをした。
「ねぇ、楽譜ってどこにあったっけ?」
「どうしちゃったの?! これっ、これっ!」
ジルベールの質問など息巻くクラーレットの声であっという間に吹き飛ばされてしまう。目の前に突き出されたのは、ジルベール名義の請求書だ。
「映画の制作会社? 配給会社? よく分からないけど、どうしてこんなに高額な引き落としがきているのーっ?!」
器用に顎と鎖骨で楽器を挟むジルベールの金色の髪が流れていく。
「落ち着きなさい、クラーレット。淑女でしょ?」
「その淑女をこんなふうにさせるのは誰なの、ジルベール……?!」
二人が出会った頃から口を酸っぱくして言っている言葉も今回ばかりは撥ねつけられてしまう。
この調子では娘ご所望の『パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏』は今日はもう諦めるべきかと苦笑する。
「話をしたでしょ? 日本に行ってきたって。おソバも美味しいでしょう」
「そうね」
彰人発信の深大寺そばは父娘のお気に入りとなり、お取り寄せリスト入りを果たしている。
「彼らにはお世話になったからね」
ジルベールのもとへ請求書が来たということは、オヤマダサンはアルファ・ビルヂングの住人たちへの仕事を見事に完遂してくれたらしい。
すっかり三角になっていたクラーレットの目が少しずつ元の丸みを帯びてくる。
「映画『Sogni d’oro ~ 黄金色の甘い夢 ~』、ジャパン・プレミア招待状?」
「なかなか悪くないだろう?」
ジルベールが自信あり気に含み笑った。
Fin.
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