Okinawa in December ➀

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Okinawa in December ➀

麻里子と性を燃やしてから、一週間後には和真はバンドに復帰していた。名前も『Sea dog』(灯台)から『Sweet Lychee』(熟れたオンナ)に変更していた。楽曲の路線的には『Sea dog』を継承したCity-Popだったがこの名前変更によって、彼らの音楽が少しづつ、ロックに傾いて行く・・・ ギターは比嘉っちと和真のツイン・ギター、ベースは麻里子でリズム体を守る。メインのメンバーは3人だけ、後は他のバンドから借り受ける事にした。キーボードやシンセサイザーは最悪、機械に打ち込んでPCから音は出せる筈だった。12月になったというのに、沖縄の空からは激しい日差しが吹き込んでいた。2年の桜庭結夏と仲間美由紀が去ってからバンド全体の方向性が違ってきた。 比嘉っちが言った。 「やってて、楽しいバンドにしようぜ、自分たちも客も、カズは声が高いんだから、松田聖子とか河合奈保子とか面白いじゃん。フリフリとか着ちゃってさ。もちろん、決めるときは決めるぜ。QUEENもピストルズもBeatlesもやるよ。その実力は付けようぜ、ただのコミックバンドじゃなくてさ。」 どうやら、フリフリは強制らしかった・・・ 3月1日の卒業式を目途に、このメンバーでライブをやる予定だ。 この翌年の1987年、1月、中国、北京の天安門で自由の為の反乱が起こる、俗にいう『天安門事件』である。この騒乱によって、何十万人という中国人民が死んだと言われている。また、国内に目を移すと国鉄分活民営化により、『JR東海』を始め、6施設に民営化された。アメリカではニューヨーク株式市場が大暴落(ブラック・マンデー)したが、日本人は未だ『バブル景気』に酔いしれていた。芸能界ではおニャン子クラブが解散、秋元康の一時代が一旦、終わった。時代の寵児たちのバンド『BOOWY』はこの年、惜しまれつつ解散した。そんな時代を和真らは走り抜けた。 和真は美由紀の行方を必死に探したが、この年も彼女の行方は分らず仕舞いだった。
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