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Okinawa in may 2- ①
和真は2年生になった。
あの後、程なくして『Sweet Lychee』の4人のメンバーは沖縄ジェッツミュージックスクールを訪れて、週に2度、基本的なレッスンを受けることになった。
土日祝はライブが入る。練習もしなくてはならない。ライブメンバーはオリジナル曲を描くように強いられた。
特にボーカルの和真には風当りが強く、作った曲に対してプロデューサーの新垣の注文が多くなった。比嘉っち、麻里子、結夏が1曲つくる間に7曲、作るように指示が来た。
4月の沖縄にモンスーンが吹いた、ある暑い日、自宅の家電に非通知で着信と留守番電話が入っていた。
相手は仲間美由紀だった。
『カズくん、ボーカル頑張ってるみたいだね。私、凄く嬉しい。作曲も作詞もしてるんだって?すごいなぁ・・・私も負けないように頑張る。またね。」
それだけ言って電話が切れた。
美由紀も頑張る。
子供がお腹に居れば臨月だ。もうすぐ産まれる。直ぐにでも、会って抱きしめてやりたかった。全ての事が無理ならば和真は生きて行けないと感じていた。
「美由紀に会いたい・・・」思いは募る・・・寂しさを曲作りにぶつけるそんな毎日だった。5月も中頃になると、曲ができてくる。改めてマネージャー格の新垣洋史からプロデューサーの紹介を受ける。藤川篤人という沖縄芸能界ではちょっと、知られた人物を紹介された。今まで、新垣を介して藤川に曲を書いていたが、今度は直接、やり取りすることになった。それに際し、『Sweet Lychee』の4人のメンバーは個別に呼び出されて個人レクチャーを受ける事になった。
5月の中頃、沖縄はあいにく厚い雲が垂れ込め、梅雨にはとっくに入っていた。今年の沖縄地方は格別、うっとおしい雨が多かった。湿度はモンスーンから運ばれてきた。毎日、不快な日々が続く。
そんなある日、真栄城和真が呼び出された。試作した曲をいくつか持ってくるように指示があった。
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