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東京・新宿・歌舞伎町②
「客が切れたなぁ・・・10時過ぎはダメだなぁ・・・蔓延防止措置が解除されたってのに、客足伸びねぇなぁ。美由紀。」
「カズさん、まだ10時っす!」
「客もお前らだけ。ハジメ、今日もツケなんだろ今日は帰んな。新商品のカクテルの開発でもするから。」
それまで、美由紀の話を真剣に聞き、言葉なくうなづいていた、ハジメの隣に座っていた、ルナが口を言葉を紡ぎ始めた。
「アタシはもっと、もっと、美由紀さんの話を聞かせて貰いたい。ここのBARに通い始めてもう、2年だよ。でも、カズさんがバンドやってたなんて、初めて聞いたし、ボーカリストだってそうよ。でも、今は歌舞伎町のこんな小さなお店を経営してる。何でなのか、教えて欲しい。」
美由紀は和真の顔色を伺うようにそっと、様子を見ている。そして、寂しそうに笑った。
「ルナちゃん、今日はダメみたい。彼もコロナになってから、色々あったのよね。色々、ゴメン。今日はお店はクローズにしたいな・・・」
「そうですか・・・残念だな。美由紀さんが自分たちの事、話してくれてる時、とっても嬉しそうだったから。カズさんの『The・青春』みたいで。」
「そりゃ、誰にだって若くて勢いのある時期はあるさ。歌舞伎町の飲み屋を歩いてりゃ、元ミュージシャン何てゴロゴロいるしな。」
「そこは、このハジメ君とルナちゃんとカズさんとの中でって事で、話してくんない?」
和真が業務用冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを取り出して波々とメタルブルーのタンブラーにタップリと注いだ。カズ自身は黙して語らずだった。
「ハジメ、空気読めないなぁ。カズさん凄く、怖い顔してる・・・」
ルナはカウンター席から立ち上がった。
「今日はカズさんを悪い気持ちにさせた。ゴメン。私たち帰る。帰ろ。ハジメ。」
「ルナ、嘘だろ?2年通ってやっと、美由紀さんが語ってくれてるんだぜ。聞かなきゃ損じゃん。」
「いいの。今日は帰るの。そんな事だから、つまんないMCばっかりするんじゃない。帰るよ。」
ルナはハジメの首根っこを掴んでカウンターから引きずり出し、出入口へと向かっていた。
「ゴメンなさいね。2人とも、うん。今日は空いてるショットバーみたいな所、行く?これから予約入れてもいいのよ?他の店。」
「いえ、大丈夫です。今日はすいませんでした。」
「そうなの?それじゃ、またね。」
「はい。」
2人はBARを後にした。
和真はアイスコーヒーを煽っている。美由紀は店の灯りを暗くして、アルコール液で店の消毒をし始めた。丹念に丹念に机や椅子、窓等を手際よく拭いていく。元々、こじんまりとしたショットバーだ。消毒もそんなに時間がかかる訳でもない。残りのカウンター内の、滅菌は和真に任せている。
「美由紀、昔の話は自分の胸の中に閉まっておけ。俺は今を生きる。前に前に今を楽しく生きたいんだ。」
「私は過去へ過去へ行くのも悪くないかなって思ってる。カズと私は幼馴染みたいなものだから余計だな。ずーっと、一緒に生きてきたから。」
2人の間に沈黙が流れた。和真は1杯のカクテルを作っている。レモンを切るまな板の擦れ合う音や炭酸水が弾ける静かな音だけがそこに響いて行く。
「美由紀、できたぜ、カクテル『Summer Suspition』夏の疑惑って言うカクテル。杉山清貴&オメガトライブのデビュー曲にちなんで。」
カウンターのスツールに座っている彼女にグラスを滑らせた。受け取った美由紀は一口だけ口を付ける。すると、美由紀のいか可愛らしい両目の二重瞼から涙が溢れてきた。
「私、桜庭結夏を絶対に許さないわ。スーパースターになる、アナタの夢も希望も、私達ができるはずだった永遠の誓いも、産まれて来るはずの子供もみんな、彼女に奪われた。私、喋る。周りの人にあの女のした事を全部、話す。」
美由紀はグィッとグラスを傾けてカクテルを喉に流し込んだ。
「なぁ、『Sea.dog』の初めてのライブの事、覚えてるか?まだまだ、俺達が前だけしか見てなかった頃の。」
「覚えてるわ。カレー弁当は食べるべからずって、オチだよね。」
「ライブハウス中、スパイス臭くなってさ。」
「忘れもしない、1986・8・30よ。貴方が次の日から柔道部に行かなくなった日だもの。」
「そうそう、よく、覚えてるな。」
二人は顔を見つめ合い、笑いあった。
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