代償

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「ク、クラーク先生!」 「なんだ騒々しい。どうかしたのか」 「そ、それが...」 ───... レオナが眠りにつくまで部屋の外でその様子を窺っていたクラークだったが、突如として慌ただしく駆け寄ってきた男に訝しげに視線を向ける。 「...なに?なぜそんな話に。私はそんなこと聞いていないぞ」 「ですが、もう既にいらっしゃっています」 「...チッ。...オーフェンは?すぐに連絡をしろ。きっと話を聞いた上で私に黙っていたに違いない。実験を早めるように言ったのもこれが要因か..」 「それが...先程から連絡がつかなくて。今他の者にオーフェンさんを探させています」 突然聞かされた一報は、まさに寝耳に水だ。 とある人物がこの辺鄙な地にある研究施設をわざわざ来訪したとの情報に、クラークは苛立ったように舌打ちをした。 そんな時、廊下に面した鉄の扉がゆっくりと開かれる。 そこから姿を現したのは、特徴的な色の目と髪を持つ血族(ヴァンパイア)の青年だった。 「やあ、クラーク先生。久しぶり」 「...っ..、...サミュエルさん...。何故ここに...」 「うん、まあ色々とね。それにしても、エントランスに警備もいないし大丈夫なわけ?いくら目立たない場所にあるからって手を抜きすぎなんじゃないの」 「....は?...そんなはずは...」 「あぁ、そっか。ちゃんと配備はしてたんだ。そうなると、やっぱり彼らはもうここに来てるんだね」 「....彼ら?...すみませんサミュエルさん。先程から話が見えませんが...」 予期せぬ組織の上の人間の訪問に、含みのある言い草。 クラークはわけもわからぬまま、目の前で薄く笑みを浮かべるサミュエルを見据えた。 「早速だけど、それ。渡してもらえる?」 「...いや、これはその...」 「何?」 「...い、いえ...。どうぞ」 「うん、ありがとう。ソヴィック、受け取って。それを持ってすぐに帰還しろ」 「はい、サミュエル様。承知しました」 クラークの尋ねたことに事情を一切話さぬままサミュエルはそんなことを言い、「それ」と指された、先程レオナから採取した血液の入ったケースをサミュエルの横に控えていた男に渡すよう促してくる。 クラークは有無を言わさぬ雰囲気に渋々といった様子で懐に手を伸ばすと、ソヴィックと呼ばれた、ローブを目深に被り表情すらも伺い見ることもできない男に手渡す。 ソヴィックはクラークから対象を受け取ると、闇に紛れるようにして姿を消した。 今し方ソヴィックが立っていた場所には黒い煙のようなものだけが微かに漂い、それもさほど時間も経たずして跡形もなく消え去る。 刻一刻と変わりゆく状況についていけず焦りを隠せずにいたクラークだったが、またしても廊下の方からばたばたと足音が聞こえてきたかと思うと、一人の男が飛び込んでくる。 「...ビルドさん!大変です、オーフェンさんが...!...って...、」 「おや、随分と慌ただしいね。オーフェンがどうしたって?」 「サ、サミュエル様...。...いえ、それが...今し方実験室でオーフェンさんが縛られて気を失っているのを発見しまして...一緒にいたはずのメルドラの姿も見えず...」 「ほう、そうか。もうそろそろ、ここにも辿り着くかな。今日ここに来るかもしれないと思って急いで来て正解だったや」 状況を伝えにきた部下である男の言葉にサミュエルはまた笑みを深めるので、クラークは一体何が起きているのだと再び口を開いた。 「...サミュエルさん、説明してください。一体何事ですが。何故あなたがわざわざこんな所に。それに、彼らとは...」 「...北部第6区、アビスフォース」 「...は?」 「ある人から情報提供があってね、彼らが僕たちの動きを探るためにこの街を訪れると。僕はその中にノイがいると聞いて、ここに足を運んだわけさ」 ───アビスフォース。 何故、そんな大事な情報を事前に共有しなかったのか。 困惑と怒りが同時に押し寄せる中、その言葉を聞いた周囲の男達はざわざわと不安げに言葉を交わしている。 しかし今の状況からして、その脅威は目前に迫っていることに違いない。 「...どうするおつもりですか」 「いや、別に。実験が成功した被験者のサンプルは回収し終えたし、他の被験者はどうせ上手くいかなかったんだろう?だからここには正直、もう用はないよ。僕はただノイを一目見ておきたかっただけだから」 「...っ...、」 サミュエルの話の中で頻繁に出てくる「ノイ」と呼ばれる人物が一体何者なのか、苦労して手に入れたサンプルを横取りして一体どういうつもりなのか、色々と問いただしたい気持ちはある。 しかし今のサミュエルの口ぶりからするに、サミュエルにとってこの場所はもう「用済み」のようだ。 そうなれば、一刻も早くこの場所を立ち去らねばならない。 今アビスフォースの面々に見つかりでもしたら、命すら危ういだろう。 状況からそう感じたクラークは、困惑した様子で横に立っていた部下の肩を押し退けて道を開けさせると、廊下に面する扉へと駆け出してドアノブに手を掛ける。 そして勢いよく扉を開け放った時だった。 「動くな」 ぎらりと何かが反射したかと思えば、低く冷淡な声色でそんな声が横から掛かり、クラークは思わず動きを止める。 光ったそれは紛れもない銃口で、自身の頭に向けられたそれに抗う術のないクラークは、後ずさることもできないままゆっくりと両手を挙げた。 「...っ...、」 「ブラーグ、中に数名います。細心の注意を払ってください」 「はい」 「...あ、あの...俺...もういいですよね?案内もちゃんとしましたし、例の少年も中にいますから...!だからもう...」 姿が見えないと言われていたメルドラは、怯えた様子で言葉を紡ぐ。 おそらくこの場所までの案内をさせられていたのであろう。 「....っ...!ぐ、ぅ...、」 しかしメルドラがその先の言葉を言い終える前に、呻き声とともにどさりと膝から崩れ落ちる。 見れば廊下にも、この施設の警備や実験にあたっていたはずの組織の者達が力無く横たわっている。 クラークは額から汗が伝うのを感じながら、拳銃を構えたままこちらへと歩みを進めるノイを見つめることしかできなかった。
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