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「....コリンズ」
「ああ、ダグラス大尉。ルーカスの元へ行かれたのですよね。あいつ何か失礼なことなど言いませんでしたか」
「心配には及ばない。しかし思いのほか元気そうで安心した」
「そうですか、それなら良かった」
ルーカスの病室を後にし、ショーンは再びノイの元へと訪れる。
執務室で報告書の作成をしていたノイは、目の前に腰を下ろしたショーンに怪訝そうに視線を向けた。
「...えっと、まだ何か?報告書なら私が提出しておきますが...」
「...ふ、君も部下も同じ反応をするんだな。まあそれも自分が今までやってきたことを考えたら致し方ないか」
「...え?」
不思議そうに眉を顰めているノイにショーンは独り言のようにそう呟くと、伏せていた視線を上げてノイをまっすぐに見据える。
「この後少し、君に話したいことがある。場所を変えられるか」
「...ええ、私は構いませんが。一体何事ですか」
「そう警戒しなくて良い。ただ、今回の任務を通して君や魔族に対する考え方が変わったというだけだ」
今までの敵対心を前面に押し出した態度など、今のショーンにはこれっぽちもない。
そんなショーンの変わりようにノイは驚きつつも、何か思い当たることがあるかのように小さく笑みを浮かべて頷いた。
◇◇◇
軍の演習場の一角。
そこを更に奥へと向かった先にあるのは、建物の影に隠れて周囲からは死角となっている、人気のない演習スペースだ。
ショーンは来慣れたその場所にノイを連れ出し、いつものように小上がりになっている芝生に腰を落ち着けるとその隣をぽんぽんと叩いた。
「...失礼します」
ノイは一体何の話があるのだろうかと疑問を抱きながらも、ショーンに示された通りその隣に座る。
「それで、話というのは...」
「...昨夜のパーティーで、父上や兄弟に会った時、君は言っていただろう」
「...は?」
「あの人達は、今の私を何もわかってはいないと。...あれは一体どういう意味だ」
「え、あぁ。そうですね...」
何の前置きもなくいきなり尋ねられた問いに、ノイは昨夜あった出来事を脳裏に思い浮かべる。
名家ダグラスの出でありながら軍に入隊し、若くして着実に功績を上げているショーン。
しかし家族を含めた周囲はそれを「ダグラス家の力」だと穿った見方をして、ショーン本人を認めることさえしない。
そんな中、ノイは以前からショーンに興味を抱いていた。
「...大尉、毎晩23時。決まってここにいらっしゃるでしょう」
「....っ...、...は、何故、それを...」
「人目を忍んでのこととは思いますが、ここで陰ながら鍛錬を積んでいる姿を、私は事あるごとに見かけていました」
「...、」
ノイの言葉に、ショーンは驚きを隠せない様子で声を上げる。
こんな機会が訪れることなどないと思っていたノイも、本人を目の前にしてこの話をすることがあるとは思っていなかった。
しかし、せっかくの機会だ。
今ここで自分が思っていることを素直に吐き出せば、この「敵対心」という名の距離を少しでも縮めることができるかもしれない。
それに、普段の態度は褒められたものではないとは言え、ノイはショーンの本来の人物像に、周囲とは違った印象を抱いているのも事実。
「...名家の出であること、周囲は羨むことばかりでしょう。しかし実際は、それがマイナスに作用することだってある。貴方は昔からやっかみの絶えない環境に身を置きながらも名家の名に恥じぬよう、毎日欠かさず人一倍に鍛錬に励んでいた。不遇を嘆き諦めることだって、家柄が自分の力だと開き直ることだってできたはずだ。しかし貴方は、それをするようなことはしなかった。....だからこそ私は、陰ながらに貴方を尊敬していたわけです」
「...、」
ショーンはその話を聞くまで、ノイがそんなにも昔から自分を認知していることすらも知らなかった。
ただ、ノイの温かみのある寄り添うような声色に、心の奥底から込み上げる感情を押し殺してその先の言葉を続ける。
「...しかし..、私はいくら努力をしたところで良く言って中の中。今の地位だって...自分の実力なんかじゃ...」
「勿論、ダグラスの名があってのこと。それは私も否定はしません。ただ、だからなんだと言うのですか。貴方は生まれながらにして、目標に向かってぶれずに努力ができて、他人にはない家柄という名の力だって持っている。これは誰に何と言われようと、貴方の実力のうちです。」
「...っ...」
家柄だって、実力のうち。
初めて言われた言葉だった。
ショーンは今まで聞くことのなかったそんな言葉に無意識に涙が込み上げ、ノイのまっすぐに自分自身を認め、評価してくれている姿が堪らなく嬉しく感じる。
「無論、努力が報われるなんて言うのは、成功者の戯言に過ぎません。いくら血の滲むような努力をしようとも、結果につながらないことだってあります」
「...、あぁ..」
「しかし、その努力が無駄になることは決してない。そこにかけた時間も、労力も...期待する結果にならなくとも、今後の自分自身の礎になることは間違い無いでしょう」
ノイはそう言って、膝の上に置いていた拳をぎゅっと握り込んで、隣に座るショーンへと視線を移す。
そして穏やかにその目元を緩めたまま、にこりと微笑んだ。
「...見てくれている人は、案外身近にいるものですよ」
普段見てきた冷徹な眼差しも、他人に興味などないと言わんばかりの態度も、まるで嘘のようだ。
この男は、誰よりもその人の本質を見抜いて、こうやって真っ向から向き合い、寄り添ってくれる。
「...ぅ、...ぐ...う...、」
「...え、待ってください。泣いているんですか...、すみません、そんなつもりは...、えっと...、」
「はは、慌てすぎだコリンズ...。...このことは誰にも言うなよ、人前で泣くなんて、したことがないんだ」
「...あ、っと..、はい。承知しました。あの、よろしければこちら使ってください」
堪えていた涙ももう隠し通すことなどできなくて、嗚咽混じりに顔を上げればノイはあたふたと視線を彷徨わせる。
ノイから差し出されたネイビーのハンカチをショーンは有り難く受け取って、その涙を拭いながら、初めてとも言える人から与えられる温かさをしっかりと噛み締めた。
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