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「へぇ...ラノ湖って意外と綺麗なんだ...」
街の入り口にあった案内に書き記されていた湖に興味を惹かれ足を運んでみれば、そこには新緑に囲まれてきらきらと水面を揺蕩わせる大きな湖がある。
近付いて覗き込んでみれば魚が泳いでいるのが窺い見れて、透き通った水を手で掬いブラーグは過去に思いを馳せた。
───かつて自分が育った村にも、近くには大きな湖があった。
両親や歳の離れた弟妹に囲まれ、週末になれば湖に出掛けて日が暮れるまで家族とともに過ごす。
あの湖で見る夕陽は、今まで見たどんな景色よりも美しかった。
しかしそれも、───
「...とりあえずこの辺りで時間を潰すか」
ブラーグは考えることを無理やりやめるかのように頭を振り、背中に携えていた斧に手をかける。
ノイがこちらに着くまで、少し体を動かして修行に励もう。
そう思い立ち、湖に沿って生い茂っている森の中へと歩みを進めた。
◇◇◇
あれから少し時間が経ち、軽く肩で息をしながら持っていた斧を下げる。
周囲は驚くほどに静かで、時折聞こえる鳥の囀りに、どこか気持ちが安らぐのを目を閉じて感じる。
そんな時、ふいにブラーグの背後で何かが動く気配がした。
動物か何かだろうか。
ブラーグはゆっくりと振り返り、手にしていた斧を無意識のうちに構えた。
しかしそうしていざ「気配の持ち主」に気を向けた瞬間、茂みの奥ががさりと揺れ、呆気なくその姿を視界に捉える。
「...子供..?」
「...」
現れたのは幼い人間の子供で、いくら街にある湖とはいえ、こんなところを一人で彷徨いているのは不自然だ。
それ加え、身に纏う衣服も決して綺麗であるとは言えない。
ブラーグは突然の出来事に訝しげに眉を顰めるが、目の前で驚いたように目を見開いて固まっていた子供は、次の瞬間には臆する様子もなく顔を明るくした。
「お兄ちゃん、魔族?すごい、その斧かっこいい!力持ちなんだね!」
「...は?」
魔族にもさまざまな種族がおり、中には一見すると人間に見える風貌を有している者もいる。
しかし自分はそうではない。
ごつごつとした角に、大きな顎と牙、肌は緑に近い色で、そんなことを聞くまでもなく魔族であることは明らかだろう。
そんな見た目から人間からはあからさまに恐怖の目を向けられることも過去に何度もあった。
しかし目の前の子供は何故かはしゃいでいて、魔族の中でも『醜い』と称されることの多い自分たち種族の見た目にも「かっこいい」などという言われ慣れない言葉を掛けて近寄ってくる。
「ねぇねぇ、その斧ってどれくらい重いの?僕も持って...」
「ちょっと、君。...ここは子供が一人でうろつくような所ではないでしょう。早く家に帰りなさい」
「...」
いくら相手が人間とは言え、今や自分も一介の軍人。
なるべく優しい声色でそう声を掛ければ、子供はその瞳を揺らし、何か言いたげに口元をもごもごとさせながらも黙り込んでしまう。
「...もう日も落ちかけています。相手が俺だったからいいものの、こんな所にいては運が悪ければ攫われてしまいますよ」
「...わかった、ちゃんと帰るよ。...でも僕、お兄ちゃんともっとお話ししたい。ねぇ、いいでしょ?」
「....」
それらしい言葉を掛けてみれば、再び返ってくるのはそんな予想外の返答で、ブラーグは慣れない状況に困ったように眉を下げ頬を掻く。
「...じゃあ家まで送っていきますから」
「ほんと!?やった!あ、そうだ...僕はレオナって言うんだ。お兄ちゃんは?」
「....ブラーグ・グラベルですけど...」
「ブラーグ!強そうでかっこいい名前だね、お兄ちゃんにぴったりだ!」
にこにこと嬉しそうに顔を綻ばせながらそんな言葉を紡がれて、ブラーグはまた調子を狂わされる。
幸い、ノイがここに到着するまでにはまだ時間があるだろう。
さっさとこの子供を家に送り届けて、深入りしないうちに関係を断とう。
もうこの世に存在していない昔に可愛がっていた弟妹達の面影をどこか重ねながら、ブラーグはレオナを連れて森を歩いた。
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