代償

6/56
前へ
/341ページ
次へ
「...レオナ、勉強はもう終わったのか?明日はクラーク先生に語学を学ぶ日だろう。宿題くらいはちゃんとやるんだぞ」 「わかってるって。少し作業したらすぐやるから!」 「...ほんとにもう...」 カノンの小言に慣れた様子でレオナは返答すると、「部屋」と呼ぶには心許ないぼろぼろの布切れが掛かったスペースの奥へと姿を消す。 そんなレオナにカノンは小さく笑みを浮かべて、ブラーグの目の前にマグカップを置いた。 「...どうぞ。僕は今この土地で珈琲豆に関する仕事に就いてまして。農園で分けてもらった挽いたばかりの豆ですから、味は保証しますよ」 「...あぁ、はい。ありがとうございます。いただきます」 見る限り、歳は15歳くらいだろうか。 子供というには少々大人びている気もするが、それでもまだどこか子供らしさを残すカノンにブラーグは礼を言って差し出された珈琲に口を付ける。 そして少しの間を置いて、先程から気になっていたことを尋ねることにした。 「...君とレオナは一体どういった関係なんですか?この町は今は魔族も人間も住んいるとはいえ、生活までも共にしているというのは、些か信じられません。それにご両親は?まだ仕事ですかね?」 「...あぁ、そうですよね」 ブラーグの疑問にカノンは翳りのある笑みを浮かべると、ぼつりぽつりとその先の言葉を紡いだ。 「...見ての通り、僕達に血の繋がりはありません。そして二人とも、親と呼ぶべき人もいません。8年前、アルヴェニア戦の最中に家族はみな死にました」 「...」 「...目の前で家族を殺されてから数日経って、僕は絶望と孤独に打ちひしがれて当てもなく歩いていました。...その時に南部の川べりにある村をたまたま訪れたんです。元々人間が住んでいたらしいのですが、そこも僕の故郷と同じく酷く荒れ果てた状態でした」 決して珍しい話ではない。 今もなお戦争孤児としてこの世界を生きる子供は多くいて、ブラーグも軍に入るまではずっと一人で生きてきた。 人間も魔族も互いに傷付け合い、種族も老若男女も問わず、多くの犠牲者を出した。 「...そんな時、どこからか赤ん坊の鳴き声が聞こえてきたんです。声の元を探してみたら、崩れた瓦礫の隙間で息も絶え絶えな人間の女の人が、生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱えていたんです。....そして、魔族である僕にその子を差し出した...」 「...それがあの子ですか」 「...はい」 「しかしいくらなんでも、大事な我が子を見ず知らずの魔族に預けるなんて...」 「きっと、それだけ必死だったんですよ。大事だからこそ、手段を選ばずに子供を僕に託した。....僕は何故だかわかりませんが、気付いたときにはその手を取っていました」 自身も戦争に巻き込まれ家族を失い、絶望に打ちのめされる中、人間の赤子を差し出されて易々とそれを受け入れるなど、自分であれば到底考えられない。 しかしそれでも目の前の少年は瞬時に「人間を育てる」覚悟を決めて、今もこうして立派にその責務を全うしている。 「...君も人間には良い感情は抱いていなかったはずなのに。...優しいですね」 「いえ、そんな。あの時は無我夢中でこの命をこんなところで絶やすわけにはいかないと使命感に駆られたまでです。勿論、それで苦労がなかったと言ったら嘘になりますが。...しかし僕はレオナと生きると決めたこと、今まで一度たりとも後悔をしたことはありません。それに僕も、あの子には何度も救われていますから」 そう言って穏やかに笑う顔に嘘は見えない。 元々複眼族は魔族の中でもその奇異な見た目から、魔族からも人間からも酷い扱いを受けてきた種族だ。 だからこそ、こうして他人に寄り添う思いやりの心を持ち合わせているのかもしれない。 自分よりも幾分も若いカノンにブラーグは素直に感心して、その先に言葉を続けようとする。 しかしそんな時、今まで奥のスペースに篭っていたレオナのいる方から、どさりという何かが倒れる音が聞こえてきた。 「...っ...、?」 「...レオナ..!」 その音を聞いた瞬間にカノンは顔を蒼白させ、急いで部屋の奥へと駆け寄る。 ブラーグはわけもわからぬまま、自身もその背中を追った。
/341ページ

最初のコメントを投稿しよう!

168人が本棚に入れています
本棚に追加