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「...君、これから配膳ですか?」
薄暗い廊下を気乗りしないまま銀のトレーを手にして歩いていた時、突然に声が掛かる。
まさか人がいるとは思っていなかった男はびくりと肩を揺らすが、その顔が見知った人物であるとわかると安堵したように表情を緩め駆け寄った。
「...ジャンロンさん...!...はい、今ちょうど73番のところに食事を届けるところでした。....あれ、でも来るのは明日ってさっきオーフェンさんが...」
「ああいや、仕事が早く終わったので今日はここに泊まろうかと思いまして」
「そうでしたか!」
ジャンロンがここにいるということは───
その先の展開を予見した男は先程までのどんよりした雰囲気を消し去り、持っていたトレーをジャンロンへと差し出す。
その行為も慣れたことかのようにジャンロンは受け入れて、「この事は内密に頼みますよ」と目の前の男にいつもと同じ声掛けをして分厚い紙封筒を手渡した。
◇◇◇
「食事」と呼ぶにはあまりにも質素な食べ物の乗ったトレーを手に、ジャンロンは長い廊下を突き進むと、とある扉の前で足を止めた。
扉には、『073』とだけ記されたプレートが掛かっている。
「...ぅ...、がぁ、..うぅぅ...っ...」
その中からは微かに何かが唸るような声が聞こえてきて、ジャンロンはその耳をなだらかに寝かせたまま慎重に重厚な扉を開く。
その先にはまた廊下が続いているが、他の部屋とは比べ物にならない程に頑丈そうな鉄格子で囲まれた部屋の前へと足を運んだ。
「...!...っ...、がぁ...、!」
「...メイメイ、僕だよ。落ち着いて」
人の気配を察するとその鉄格子を振るわせるほどの衝撃で何かが身体を叩きつけてくるが、それも慣れた様子でジャンロンはなるべく優しい声色で声を掛ける。
トレーを一度足元に置き、唸りながら地面に蹲っていた存在に視線を合わせるかのように膝をつく。
そうすれば白く伸びきった髪の隙間からその目が見えて、ジャンロンはにこりと微笑んで見せた。
「...、...!...ぅ、ぅぁ....、ぅ..」
「メイメイ、ごめんね。最近ずっと忙しくてなかなか顔を出すことができなくて。元気にしていたかい」
「...ん、ぅ...ぅ...」
先程の獰猛な姿など嘘のように目の前の存在は甘えたように声を上げて、鉄格子越しにジャンロンに手を伸ばす。
異常なまでに青白いその手をジャンロンは優しく取って、親指でその手のひらを摩った。
「...ほら、お食べ。...あとこれも。この前東部に行った際に買ってきたんだ。メイメイは甘い物が好きだろう」
「...きゅる...、..」
「はは、そうか。嬉しいんだね。良かった、喜んでもらえて。たくさんあるから、ゆっくり食べなさい」
ジャンロンが手渡したそれを『メイメイ』と呼ばれたそれは嬉しそうに受け取り、すぐに口の端を汚しながら貪りつく。
その度に言葉とは言い難い独特の鳴き声を寄越して、それをジャンロンは微笑ましげに眺めた。
メイメイの見た目は、人間とも魔族ともいえぬ、何にも形容し難い姿だ。
大きな白い尾をニ本持ち、その指先には鋭い爪を携えている。
そしてその額には、閉じられている第三の『眼』が存在する。
しかしメイメイは、れっきとした人間だ。
....いや、正しくは、人間だった、とでもいうべきだろうか。
「...ぅ...、ぅ...、!」
「ん?なんだい?」
「...ぐ、ぅ...」
「...僕にくれるのかい?...でも、これは君のものだ。好きにお食べ」
「きゅる...、..」
考え事をしていたところに突然メイメイは隙間から手を伸ばし、ジャンロンが与えたここでは口にすることのない「土産」を必死に手渡そうとする。
いくら不要だと断ってもメイメイは折れる気もなさそうで、ジャンロンは少しだけ困ったように笑ってそれを受け取ると、鉄格子に背を預けてその場に座り込んだ。
それを見届けたメイメイもどこか満足げな様子で小さく声を上げて、再び食事を再開する。
「...本当に、君は...美しい子だね」
この組織に属する前から幾度となく目にしてきた世界の惨状を憂いながらも、目の前にそう呟けば、メイメイは純粋な目をジャンロンに向けて、不思議そうに首を傾げた。
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