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第5話 車は急に止まらない
「翔太、とりあえずここを離れようぜ!」
「う、うん……」
僕はオグちゃんに促されたので、119番を呼び出し続けているスマホの通話を切って、小学校低学年くらいの子の手を取った。
オグちゃんはまた保育園児の子を抱きかかえて、分譲地の取付道路から生活道路に向かって走っている。
僕も手を引く子供が転ばないように気をつけながら、オグちゃんの後を追った。
火事になった家から30mほど離れ、ちょっと一息つく。
「くっそ! 何で誰も出て来ないんだよ! いつもだったら酒井さん家のジイさん辺りが暇そうに犬の散歩してるのに! 救急車呼ぼうにも119番が全然出ないってどういうことだよ!」
オグちゃんが毒づく。
「オグちゃん、この子たちって知り合いなの?」
僕はオグちゃんに聞いた。
分譲地に新しく越してきた人のことはあまり詳しくない。
僕たちは中学生なので、小学生の、まして低学年だと、もうわからない。
オグちゃんの家の方が僕の家よりもこの子たちの家に近いから、オグちゃんの知り合いなのかと思ったのだ。
「いや、俺もあんまり分譲地のことは詳しくなくて、山崎さんって苗字しか知らないよ。
たまたま学校に行く途中で煙が見えたから様子を見に行ったんだ。そしたら小さい子の泣き声はするけど、車はあっても大人が居る雰囲気じゃなくってな。
大声で火事だーって叫んだけど、でも周りの家から全然誰も出てこなかったもんで業を煮やして中に入ったんだ」
「そう……」
僕がそう言うと、手を繋いでいる小学校低学年くらいの子の手がビクッと震えた。
「君、大丈夫? どっか具合悪かったり気持ち悪かったりするのかい?」
僕がそう聞くと、フルフルとかぶりを振る。
「でも、火事で煙吸ってるかも知れないから、お医者さんに一度診てもらった方がいいかな」
僕がそう言うと、オグちゃんも「救急車が来てくれれば隣の市の総合病院まで運んでくれるんだがなあ。せめて近くの塩川医院……クソッ、俺は行きたくねえけど、子供らはな」と、同意する。
自分の家が火事になったことは、恐ろしいことに決まっている。
僕が小さい頃に、保育園の帰り道で火事になった家を見たことがあった。
沢山の黒煙が上がり、赤い炎の舌が家の壁も屋根も舐めて行く。
僕は毎日前を通って見ていた家があっという間に黒く塗り替えられてしまうその光景に、自分の家でもないのにショックを受けた。
ほんの少し前まで安心して寝ていた自分の部屋が、あっという間に煙が充満して呼吸が苦しくなり全く違う様相になる。
こんな小さい時に、あんな怖い思いをしたのなら、ショックを受けない方がおかしい。
「僕の名前は池田翔太っていうんだ。中学2年生。あっちの君を助けてくれたお兄さんは、小倉秀明。中学3年生で僕より一つ上。オグちゃんって僕は呼んでるけどね。オグちゃんは向こうの角を曲がった先にある、おっきな農家の子なんだ。
君は何て名前?」
僕は自分とオグちゃんを紹介しつつ、この子の名前を聞いた。
「……やまざきないと。小学2年生……妹は……やまざきにいな。ほいくえん入ったばっかり……」
僕と手を繋いでいる子は、たどたどしいけど、自分と妹の名前を教えてくれた。
オグちゃんが抱えている山崎にいなちゃんは、泣き疲れたのかウトウトしつつある。
オグちゃんは、眠りそうなにいなちゃんに気を使いながらも、更に小声で毒づいている。
「だいたい、何でこんな時に車は1台も通らないんだよ! おかしいだろ!」
そんなオグちゃんをよそに、僕はないと君を落ち着かせるために更に話しかけた。
「ないと君、お父さんお母さんが居ない時に火事になって、怖かったね。でも、ないと君が頑張って傍に居てくれたから、にいなちゃんも安心できたんだと思うよ」
僕はそう言ってないと君の頭を撫でた。
ないと君は、いままで頑張って我慢していたのが、堰を切ったように泣き出した。
「……こわかった……こわかったよう! おきたら白いけむりがもうもうしてて、どうしたらいいかわかんなかった! にいなといっしょに、しんじゃうんじゃないかと思ったら、どうしていいかわかんなかったよう……おとうさんもおかあさんも助けにきてくれないし……あのたわし頭の兄ちゃんがきてくれなかったら……うわ~ん」
「よしよし、頑張ったよ、ないと君。オグちゃんはね、大事なところで決めてくれるカッコイイ兄ちゃんだよ。良かった良かった」
そう、僕らの中学校が地区大会で勝ち上がれたのも、身長179㎝の頼れる専業農家の次男坊、オグちゃんのおかげなんだ。
ここぞって時に点を取ってくれるから、僕らは必死で守ればいい。
「なに言ってんだよ翔太、お前が良いクロス出してくれるおかげだろうが」
突然、上からオグちゃんの声が降ってきたので、僕は驚いた。
心の声のつもりが、続けて語っていたらしい。
「やめてよオグちゃん、心の声、心の声だからノーカン!」
「ハハッ、照れておるのう。三郷中のスピードスターが」
そう言ってオグちゃんは僕の頭をグリグリと撫でる。
「待ってオグちゃん、車、車が来る音がするよ!」
「話逸らそうとして嘘をつく……な?」
遠く、駅の方から車のエンジン音が聞こえてくる。
僕らの立っている生活道路を、こちらに近づいてくるようだ。
音がする方を見ていると、オフホワイトのミニバンが僕の家の前を通過してゆっくりとこちらに近づいてくる。
何だか運転に慣れていないようで、変に右側に寄って走って来る。
「おーい、止まってくれ! 乗せてってくれ!」
オグちゃんは叫びながら、にいなちゃんを抱えているのと反対側の手を振って、運転している人に知らせようとする。
運転手は僕らに気づいたと思う。
僕らとぶつかりそうに右に寄って走っていた車が、スピードは落とさず僕らと反対側に寄ったからだ。
「おい、止まんねえのかよ、困ってるのに見捨てる気か!」
オグちゃんが大声で怒鳴る。
僕も、この車に止まってもらわないと、ないと君とにいなちゃんを医者に診てもらえないと思ったら咄嗟に体が動いた。
さっき僕のことをオグちゃんがスピードスターとか言ってたけど、別に中学記録を塗り替える程速い訳じゃない。でもサッカーで重要視される、初速の速さはこの辺りじゃ誰よりも速いらしい。
僕は車の前に飛び出した。
と言っても体で止めようとか無茶なことじゃない。
車の前を、横切って駆け抜けた。
僕が車の前に飛び出したのを見て運転手はブレーキを踏み、車は停止した。
すかさずオグちゃんがにいなちゃんを抱えたまま車に駆け寄り、前を塞いで怒鳴る。
「おい、火事に巻き込まれたんだ! 塩川医院まででいいから乗せてってくれ!」
「チッ、オグかよ。寄りにもよって……」
運転席のウィンドゥが開き、聞き覚えのある声がする。
「ッ……タダシかっ! 何でお前が車なんか運転してんだよ!」
僕もオグちゃんの後ろに駆け寄って、運転者の顔を見た。
タダシくん。
僕の幼なじみの、塩川医院の一人息子の塩川唯志。
年はオグちゃんと一緒で15歳の中学3年生。
昔はよく、僕、めぐ、オグちゃんと一緒に遊んでいた。
ただ、タダシくんは僕達と違って地元の三郷中学校ではなく、隣の市にある中高一貫の進学校、香坂台学園に進学していたので、小学校卒業と同時に少しづつ疎遠になっていた。
「あそこで燃えてる家からオマエが助けたのか?」
「俺だけじゃねえ、翔太も手伝ってくれたんだよ!」
「車の前に飛び出したのは翔太か。普段は大人しいのに、突然無鉄砲なことをするのは変わらないな」
タダシくんは、そう言ってため息をついた。
「わかった、乗れよ。その子、ぐったりしてるから煙を吸ったかも知れない。僕も家に戻るところだったから丁度いい」
そう言ってタダシくんは、車のドアロックを外してくれた。
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