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第7話 掴み合い
僕たちはタダシくんに呼びこまれて塩川医院の中に入った。
塩川医院は元々もう少し僕の家の近くにあったが、駅により近くより広いこの場所に昨年移転した。
人口13,000人の三郷町の、二軒しかない医者の一軒なので、町民はだいたいもう一軒の飯田医院か、塩川医院のどちらかにかかっている。飯田医院の先生は70過ぎのおじいちゃん先生なので、塩川医院の方がどっちかというと繁盛していた。それもあって、より町民が来院しやすくするためと、院内の設備を広げ充実させるためこの場所に移転したのだ。
塩川医院が移転したことで、別の中学に進学したことで縁遠くなっていたタダシくんとは、ますます顔を合わすことが無くなったんだ。
「その子らをこっちに寝かせてくれ」
タダシくんが指示して、診察室のベッドにないと君とにいなちゃんをそれぞれ寝かせる。
タダシくんは2人の指にそれぞれでっかいクリップのような機械をつける。
「酸素飽和度があんまり良くないな。一酸化炭素中毒にはなってないと思うが……」
そう言ってタダシくんは、酸素ボンベから伸びるマスクを二人に着けて酸素を流し始めた。
「火傷もないみたいだな。骨折とか大きな外傷も無さそうだ。しばらく酸素を流して様子を見よう。ないと君だっけ、ゆっくり横になってていいから。妹のにいなちゃんは寝てるから、起きるまでそっとしといていいよ」
タダシくんがそうないと君に伝えると、ないと君も安心したように目を閉じた。
「おい、タダシ! 何医者みたいなことしてんだよ! オマエんところの父ちゃんか母ちゃんに言って診てもらえばいいだけだろ! 医者の息子だからって医者の真似事出来るって思ってんのかよ!」
オグちゃんが、寝そうになっているないと君に気を使って小声で、だけど強い語調でタダシくんに問いただす。
今にも掴みかからんばかりの勢いだ。
タダシくんもムッとした表情になって、こちらも小声で言い返す。
「オマエはいつもそうだ! 人の事情も考えずに自分の気持ちばかりぶつけやがって! ふざけるな、どうしようもないことだってあるんだ! 本当はわかってんだろ、この脳筋野郎が!」
「何だと! いつもお高く止まりやがって! アタマいいからって調子に乗ってんじゃねえ!」
「オマエこそ、こんな状況でよく自分の正義振りかざせるもんだな! 正義の味方気取りか!」
「二人とも止めてよ! ないと君たちが落ち着かないよ!」
僕はそう言って二人の間に割って入った。
タダシくんが、グッと言う表情になり、一度息を吸って大きく吐き出して「場所を変えよう」と言って診察室を出て行った。
「くそっ!」
オグちゃんもそう言ってタダシくんの後を追っていく。
僕はないと君たちの様子が心配だったので二人に付いて行くか迷ったけど、ないと君とにいなちゃんは、今は落ち着いて目を閉じ眠っている様子だったので、二人の後を追った。
中学が別れてタダシくんとは疎遠になったけど、オグちゃんは何であんなにタダシくんに突っかかるんだろう。
昔はよくめぐも入れて4人で遊んでいたし、あの頃は本当に仲が良かったのに。
二人があんなに仲たがいするようなことは、僕が覚えている限り無かったと思う。
オグちゃんからも聞いていない。
最も、タダシくんの話題になることはほとんどなかったし、避けていたのかも知れないけど……
オグちゃんとタダシくんは、駐車場で掴み合いになっていた。
互いの胸の襟元を掴みあってせり上げている。
オグちゃんは179㎝で中学生としてはかなり身長が高いけど、タダシくんも172㎝ある。
でもやっぱり身長差でオグちゃんの方が優勢に見える。
「オマエは、どうせ俺のことなんてどうでも良かったんだろ! 俺達のこと捨てて一人だけ香坂台なんか行きやがって! 一緒の中学に入ってサッカーやるのは俺の夢だったんだぞ!」
「オマエこそ勝手すぎる! 三郷町の友達と別れて香坂台学園に行くことになった僕の気持ちを考えたことあるのか! 好きで選んだって思ってたのか!」
「行きたくねえなら素直にそう言えばいいだろ! 俺だって何か力になれたかも知れねえのに! オマエはいっつもそうやって一人で何でもやりたがる! それが気に入らねえ、お高く止まってるってんだよ!」
「言ったってどうしようもないだろ! うちの両親がガッチリ決めてたんだから! せめて卒業までは変な気を使わせたくなかったんだ!」
「それが水くせえんだ、バカ野郎! 入学式にオマエが居なくて俺がどれだけ心配したかわかってんのかよ!」
そう言ってオグちゃんは、タダシくんの襟元から右手を離し、タダシくんの左頬を殴った。
タダシくんのかけていたメガネが吹っ飛ぶ。
でも、タダシくんもオグちゃんが手を放すのと同時に右手を離し、左頬を殴られる直前にオグちゃんの腹を突き上げるように殴っていた。
「ぐふっ」
長身のオグちゃんの体が折れ曲がり、お互いに手を放した。
タダシくんは、吹っ飛んだメガネを拾った。
落ち着いてメガネが歪んでいないのかを確認し、うずくまっているオグちゃんに言った。
「オマエが言ってることは、正しいよ。正しいけど、僕みたいな子供にはどうしようもないことだ。それをその後会うたびに何度も何度も言われて怒鳴られて責められるのはお門違いだってことだよ。
水臭いのはわかってたさ。でも、言っても言わなくても結局は同じことだろう」
「違うよタダシくん、それは違う!」
僕は思わず叫んだ。
「僕もオグちゃんも、タダシくんと頻繁に会えなくなるなら、ちゃんと知っておきたかったよ! タダシくんだって本当は寂しかったって今言ってたじゃないか、僕らだってタダシくんの寂しい気持ちを一緒に分け合いたかった、それだけだよ!」
タダシくんは、僕の言葉を聞いて、ちょっと表情を歪めた。
タダシくんも、本当はわかってたことなんだ。
でもタダシくんは、続けて言葉を重ねた。
「大人がみんな砂になって消えてる状況ってわかってるんだろ? なのに、父さん母さんに診てもらえってのは、わかってて言うのは、さすがに許せないぞ!」
……え?
「そんなことある訳ないだろ!」
うずくまったオグちゃんがそう言い返す。
「オグちゃん、オグちゃん家の両親やお兄さんはちゃんと家にいたんだよね……?」
「家の両親は、この時期いつも朝は5時くらいに畑に行ってるし、兄貴も嫁さんも一緒だよ。家はブドウもやってるから、今の時期は袋掛けで忙しいんだ。7時過ぎに戻って朝食っていうのが普通だ。本当は俺も手伝うんだけど、サッカー部の自主練が入ったから俺はパン食べて出て来てた。そしたら火事を見つけたんだ」
「……じゃあ、オグちゃんは両親と朝は会ってないの……?」
「会ってないけど、軽トラは無かったからいつも通り畑に行ってんだよ」
それを聞いていたタダシくんは、メガネの上から顔を抑えて、天を仰いだ。
「……なるほどな。なら仕方ないか……」
「ねえ、タダシくん、タダシくんは何でそんなに断言できるの? 大人が砂を残してどこかに集まってるだけかも知れないじゃないか」
そうだ、そうであってほしい。大人たちの壮大ないたずらであって欲しい。
でも、タダシくんは、僕の目を見て真っ直ぐに言った。
「目の前で、大人たちが砂になったからな。だからさ。あの車は砂になった会社員から拝借してきた」
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