第九話 今夜も変わらず

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第九話 今夜も変わらず

2000.4.7 -FRIDAY-  いよいよ週明けから新年度が始まる、春休みも残り僅かとなった週末。  伊緒は連日、夜の歓楽街に向かい、女性が犯罪に巻き込まれる現場に現れては、相手の男たちを倒すことを続けていた。  それは今夜も同じだった。  二十三時過ぎ…。  「おやすみなさい」と家族に言ってから三十分程が過ぎた頃…。そっと自室の窓から外に出る伊緒の姿があった。  屋根から裏庭に軽やかに着地すると、そっとマウンテンバイクのチェーンを外して、新宿へと向かうのだった。  犯罪は日常的に行われている。  伊緒はそのことを知った。   平和に見える日常も、人が集まる煌びやかな場所ほど、目を覆いたくなるようなことが沢山起きているのが現実であることを学んだのだ。  それが裏社会だ。  ヤクザなどの組織の利権争いや、シマの抗争は勿論、弱者を狙う目はどこでも光っている。  ただ、多くの人がそれを知らないだけ。知った時、人生が終わる場合が殆どだから。  財産を奪われることもあれば、人としての尊厳や権利を奪われるのともある。最悪は命を…。  伊緒もそう、奪われるはずだった。  中学時代、ストリートギャングに乱暴を受けた。そのグループは、人の命も奪ってきたとんでもない連中だった。  未成年のグループではあったが、殺人件数が一つではなかったため、他の犯罪と合わせて、少年院ではなく刑務所に入る異例の判決となった。  その結果を聞き、ほっとしたものの、伊緒は拭えない心の傷が残った。  襲われた当時、”蒼髪のおにいさん“、つまり裏社会に身を置いていた頃の六堂に、“本当の意味”で傷つけらる前に助けられはしたが、やはり、その時に感じた女子としての絶望感や恐怖感はその後も消えることはなかった。  しかし、助けられた時に見た六堂の強さへの憧れと、自分の悲しいまでの非力さは、その後に強くなるための大きな原動力となった伊緒。  そして強くなっていくことへの楽しさ、身につく自信は、カウンセリングを受けるより、よほど傷を軽くしていった。  最も、その時に助けてくれたのが、六堂だとは、夢にも思ってはいない彼女だが。  そんな強くなった伊緒は、人目につかない場所で自分と同じく傷つくつけられようとしている若い女性を助け出すという活動を始めた。  始めたのは、およそ三ヶ月前。  昨年十二月、人々が溢れるクリスマスイヴの夜、それが初めて“実戦”を経験した日だった。  泥酔したOLらしき若い女性が、複数の男たちに、古い雑居ビルに連れて行かれるのを見つけた。  その様子は明らかに不審だった。女性はどう見ても普通。悪そうな男たちと付き合いがあるとは思えない。  特に気になったのは、男たちの中の一人は、“身なり”はまともで、顔も整っていたこと。その男以外はカタギではなさそうだ。  葉月に教わった気配を殺す技法で、ビルに侵入し、男たちの話にそっと耳を立てた伊緒。  聞けば、その“まともに見える男”が、女性を泥酔させたことが分かった。  ぐったりとしているその女性は、仕事帰りだったらしい。  一人歩いている女性の、疲れた雰囲気を察して、男は声を掛け、バーに呑みに誘ったそうだった。 「あーこいつ、可愛い顔してるけど、男も、今夜の予定もねえなあってさ、読んだんだよねぇ」  男はヘラっとそんなことを言った。  倒れている女性がバーで、その男に話した内容によれば、確かに彼氏もおらず、イヴだというのに予定もなく、遅くまで仕事だったことが窺えた。  男の見立ては当たったということだ。つまりカモにされたのだ。  男はまともな身なりと、紳士に見せかけた演技で、女性を安心させては泥酔させ、半グレグループに渡して金を貰っているクズ野郎なのだと、やりとりを聞いて十分に理解した伊緒。 「バカ女が、俺の見た目と雰囲気ですぐ騙される。寂しいと思っていたイヴの夜がまさか“奇跡の聖夜”になるとか…そんな風に思ってたのかねぇ」  男が金を受け取りそう言うと、半グレたちはゲラゲラと笑った。 「俺たちで特別な聖夜にしてやるさ。ところでよ、あんた、この女といい、いつも上玉連れてくるけどよ、自分は女欲しくないのかい?」  半グレの一人に尋ねられると、男は薄汚れた鏡に映る自分の顔を見ながら、少し乱れた髪を整えながら答えた。 「ん?ああ…僕は女に惚れさせるのは得意でね、困ることはないんだ。これはほんの“小遣い稼ぎ”さ。それに、大声では言えないが、僕は制服を着た現役の女子高生が好みでね」 「何だあんたロリコンかよ」 「失敬な、僕はまだ二十四だ。恋愛対象に高校生はありだろ?それに、“大人の男性と恋愛してる”と思わせると、舞い上がって夢中で何でもしてくれる、純粋な娘のあれが好きなんだ」  伊緒は、男のその話を聞き、ドアを蹴破り部屋に飛び込んだ。考えるより体が動いたのだった。  ドダンッ!と物凄い音を立てて開く扉。 「な、何だ!?」  一斉に振り返る六人の半グレと、女性を売り渡した男。  伊緒は、目を大きく開き、ふーっ、ふーっと高鳴る心臓と共に荒く深い呼吸をしていた。  男の、女性に対して舐め切った発言への怒りと興奮。そして勢いで飛び込んだが、如何にも暴力的で悪そうな男たちの集う部屋に入った緊張で、鼓動が激しく鳴っていたからだ。  男たちには、被っているキャップで伊緒の顔がよく見えなかったが、小柄な娘だということは分かった。  場違いな場所と時間に、まったく予想もしない少女が入って来たことに、困惑する男たち。 「何だこいつ?家出少女か?」  半グレの一人がそう言い、伊緒に近づこうとすると、“身なりだけ”はまともな男が止めた。 「いや待て。おいおいおい、ちょっと待てよ、待てって」  男は、伊緒の顔を覗き込むと、ペロリと舌舐めずりをし、嫌らしい笑みを浮かべた。どうやらの伊緒の見た目が、男の“ストライク”に入ったようだった。 「君、どうしたの?可愛い顔して…こんなところに来たら、あの怖い人たちに酷い目にあわされる。僕が守ってあげるから、ここを一緒に出よう」  今ここでヘラッと喋っていた口調とは変わり、男は優しい大人の雰囲気を漂わせながら手を差し伸べ、伊緒に近づいた。  だが、頭が真っ白で興奮している伊緒には、そんな男の声など聞こえてはいなかった。  無防備に歩み寄る男の股間をノーモーションで蹴り上げたのだった。  膝のスナップを効かせたその蹴りは、男の股間を最速でバヂーンッ!と音を立てて仕留めた。 「あおわっっ!」  男は情けない悲鳴をあげ、涙と鼻水を勢いよく出した。女性をどうのと馬鹿にした報いを受けた一発だった。  股間を押さえながら膝を着く男の顔面に、ダメ押しの、“後ろ回し蹴り”を放つ伊緒。  側頭部に直撃したが、股間を蹴られた時にすでに意識は刈り取られていたのだろう。男は声も上げず白目を剥いて、その場に力なく倒れた。  何が起きたか理解が追いつかない半グレたちは、一瞬お互いの顔を見合うも、とりあえず伊緒を押さえつけようと襲い掛かった。  が、次の瞬間、六人全員が意識を失い、床に倒れいた。  そして足元には被っていたキャップが落ちている。  頭が真っ白だった伊緒は、ここでようやく冷静さ取り戻した。 「わ…私がやったの?」  攻撃を終えた伊緒は、脚を開き腰を落とし、両手で構えを取っていた。  拳と脚に、ヒリヒリと手応えが残っており、男たちに何かしらの打撃を加えたことは分かったが、正直何の技を出したか憶えていなかった。  落ち着きを取り戻すと、少しずつ心臓の激しい鼓動を感じる。ハアハアと息をする伊緒は、倒れている男たちを見て、自分が強くなった実感を、ここで初めて得たのだった。  傷つくことなく助けた、酩酊状態の女性を背負い、その場を後にすると、交番の近くまで行き、そっと置いた。警官に見られれば補導されてしまう伊緒は、女性の頭に手を乗せ、「ここでごめんね」と小さく呟いた。  自宅に帰ってからの伊緒は、手の震えが止まらなかった。初めての実戦の緊張が解けなかったことと、思っていた以上に強くなれていた嬉しさの両方に、興奮していたからだ。  それからの伊緒は“怖いもの知らず”に変わっていった。  実戦の空気にも慣れ、葉月から学んだ技術に加え、対応力がつき、ナイフや鉄パイプといった武器を持った相手にさえ、不安はなくなった。  そんな伊緒は今夜も助けるべき女性を見つけた。  フラフラと千鳥足で歩く若い女性二人が、カタギとは思えない男たちに連れられ、雑居ビルに入っていく。 「へへへ、こいつらもジャブ漬けにして、売り飛ばそうぜ」  男たちのそんなが会話聞こえてくる。 ――バカどもめ、今夜も暴れてやる…  伊緒はニヤリと笑うと、気合を入れて男たちのあとに続いて、ビルの中に入った。
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