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第十話 罠
大きな部屋に男が十人。見るからにヤバそうな半グレと思われるグループ。
いつもより人数が多い。
置いてある二つのソファーに、それぞれ女性を寝転がすと、男たちは衣服を強引に剥ぎ取り、下着姿にした。
――っ!
それを見た伊緒は、ドアを蹴破り部屋に突入した。
蝶番が劣化していたドアは、蹴りの勢いで部屋の中に倒れた。
バタンッ…。
キャップを深く被り、袖を捲ったデニムのジャケットに、ミニスカートとショートスパッツの少女が突如現れる。
ここで男たちは一斉に振り返り、目を広げる…、
それがいつものパターンだ。
だが今夜はいつもと違う。
伊緒はすぐに違和感に気づいた。
男たちは、ニヤニヤしながら、ゆっくり振り向いたのだ。
違和感はそれだけではない。下着姿の女性二人も、さっきまでとは違い、意識がはっきりしているように見えた。
そして、背後のドアを蹴破った入り口からも男が五人、入ったきた。
完全に囲まれた伊緒。
「やっと…やっと現れたなぁ、“Warrior giri”ちゃん」
腕に“髑髏の瓶”のタトゥーが入っている一際目立つ、グループのリーダーと思しき男は、伊緒を指差して言った。
ドス黒い笑みを浮かべ、クネクネと歩み寄る男。
その男から放たれる空気に異常さを感じた伊緒は、これまで叩きのめした男たちとは何かが違うことを察した。
そしてこの状況は…罠。
そう、伊緒は誘い込まれたのだ。完全に来ることを予測されていた。
「飛んで火に入る春の少女ってところか?ようこそ」
「…私、ハメられた?」
伊緒が苦笑しながら尋ねると、リーダーらしき男は、肩を竦めて頷いた。
「有馬、日下…お前らヤッた奴、こいつで間違いないか?」
そして振り返って二人の男たちに質問をした。
「はい、そいつです」
「はっきり顔は憶えてねえけど、背丈格好は間違いないかと」
二人の返答の仕方から、目の前に立つ男がリーダーで間違いないことは理解した伊緒。
「“Warrior giri”ちゃんさあ…」
――な、何?ウォリ、ア?私のこと?
リーダーは、親指で背後に立つ、二人の男を指し示した。
「“あいつら”のこと、憶えてるう?」
伊緒はキャップのつばを少し上に上げ、二人の顔を確認した。
「…いいや、知らないよ」
リーダーは怪訝な顔して、また二人の方へと振り返り、「だってよ」と言った。
二人の男は伊緒の返答に対して、怒り、喚き出した。
「はあああ?ざけんなよ!ガキ!」
「ぜってー殺す!体弄んだあとに沈める!」
リーダーは二人に手のひらを向け、黙れと命令をした。
そして再び伊緒の方を向く。
「“Warrior giri”ちゃん、お前が現れるのを待って、ここ二、三日、ずっと同じことやってたのよ。女を拐ったり襲ったりすると現れるうって聞いてたからさ」
「わざわざ…それは大変だったね」
「それと、お前は憶えてないみたいだけど、あいつら先月、お前にボコられた俺の仲間ね」
「…へえ。でもゴメン。よく憶えてないよ」
「最近この界隈で、“俺らみたいな男たち”が、ぶっ倒されることがよく起きる…、そんな噂は聞いてたけどさ…やったのは背の小せえ少女って聞いて、何の冗談かと思ってたわけだが、マジだったんだなぁ」
リーダーの男はポケットから煙草の箱を出すと、一本を口に咥えた。
「で、あそこの二人、有馬と日下。奴らも、カモにした女とお楽しみのところ、お前にヤラれたんだよなあ」
「…似た連中ばかりだから、本当に顔まで憶えてないんだ」
伊緒は、苦笑した。
「そんな言い訳が通じると思ってんのかあ?俺の仲間に手を出して、無傷で済ますわけにはいかねえのよ、俺としてはさ」
“罠”と分かった時は、少し焦った伊緒だったが(関係ない)と、そう思った。いつもは奇襲という形を取っているが、相手が待ち伏せていようが、やることは同じだと。
「じゃ、全員でかかってくれば?後ろの二人もリベンジしてみたらいいんだよ」
伊緒は人差し指を立てて、くいくいと“掛かってこい”と挑発した。
血の気の多い男たちは、伊緒に飛びかかろうとしたが、リーダーが「お前ら!」と大きな声で止めた。
「忘れたのか、こいつは強えんだ。見た目に騙されるな。他のグループの連中も結構やられてんだよ、マジで」
そういうと、リーダーは、男たちの中から一人のことを手招きした。
「鶴田…来い」
すると、坊主頭にライン状の剃り込みの入った男が、リーダーの側に歩み寄った。
「鶴田、お前、こいつヤレるか?」
「…はい」
坊主剃り込みの男、鶴田はリーダーの指示を受け、伊緒の前に立った。
――……こ、こいつ、
複数の中にいて気づかなかったが、この鶴田、どうやら他の男たちとはかなり違う雰囲気だ。
首や腕に見える不気味な無数のタトゥーと、耳につけた複数のピアスのせいではない。
身長は他の男に比べるとやや低いが、よく絞り込まれた筋肉には密度があり、佇まいからもバランスの良さが窺える。
――この男も、違う。これまでの連中とは…
血の気の多い悪どもとは違う、無表情で冷静な目をしているが、とてつもない圧を発しており、伊緒は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
気押され気味だが、自分を鼓舞するようにニイッと歯を出して笑って見せる伊緒は、被っているキャップのつばをゆっくり反対に向けた。
(こいつは本気を出さないとやられる)、そう思った伊緒がキャップを反対にしたのは、まさに自分の中のスイッチを入れるための、言わば儀式だった。
「…へえ、今変わったな、お前」
キャップを反対にした途端に、伊緒の空気が変わったのを感じ取った鶴田。
「おもしれえ、まるでエンジンのキーを回すみてえだ」
そう言うと、鶴田はポケットに入れていた両手を出して顔の前で構えた。
脚は歩幅程度に開き、拳による打撃向けのオーソドックスな構えだ。
対して伊緒は、鶴田の出方を見るために、左手を前に出し、腰を落として、守りの型を取った。
「…ふーん、風のように現れ、目で追えない軽やかな動きだと聞いたけど……、何?俺にビビったか?」
鶴田は左の爪先を数センチずつ、ジリジリと前に出す。
伊緒もその分だけ後退し、距離を保とうとした。
リーダーは煙草に火をつけ、ソファーにドカッと座り、楽しそうに眺めている。
部屋を囲んでいる男たちはわーわーと、まるで格闘技の観客のように声を上げていた。
――恐らくは出してくるのパンチ。捌いたら、顎に膝を…
カウンターを考える伊緒。
だが次の瞬間、バチンッと鈍い音がし、伊緒の頭はまるで何かに弾かれたかのように後ろに仰け反った。
――っっ!
予想通りのパンチだ。
だが見えなかった。そもそも鶴田が間合いに入ったのが分からなかった。
弾かれた頭部を元に戻し前を見ると、構えたまま鶴田は静かに立っている。
鼻から流れる血を腕で拭う伊緒。
――速い…何今のは…
「あー、見えなかったか?どれ、じゃ、もう一発行くぞ」
伊緒は体勢を整え、慌てて構えを戻した。
「くっ!」
しかしまた、伊緒の頭部はバチンッと弾かれた。後ろに仰け反ると、その勢いで足が一歩後ろに下がった。
――見えない!
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