第十二話 子猫

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第十二話 子猫

「空手とも違う独特の動きだな。そして、何か“変な技”使ってるよなあ、嬢ちゃん。攻撃も重いし、パンチ当てた時の感触が固いんだよねえ」  鶴田は、膝で打ち抜かれた顎の調子を確認するために、口を大きく開けて動かしながら、問いかけてくる。  伊緒は、その鶴田の余裕に恐ろしさを感じた。 ――嘘でしょ…ダメージは?  特に最後に放った攻撃は渾身の一撃だった、というのもあるのだろう。衣緒は実戦で初めて心が折れそうになる感覚を覚えた。 「あー痛えな…ちくしょう。お前凄いぜ、噂以上だ。ただの喧嘩自慢態度の男じゃ、ボコられるのも分かるわ」  鶴田は首を捻ってゴキゴキと音を鳴らすと、再び拳を顔の前に置き、構えを取って体をリズミカルに動かし始めた。 「ま、待って」  だが、手のひらを前に出し、伊緒はそんな鶴田を止めた。 「何だ?まさか…命乞い、じゃあねえよな?」  伊緒は唾を飲み込み首を振った。 「…あの、そこの人が言ってた話は…本当なの?ボクシングの世界目指していたプロだって」 「ああ、本当だぜ」 「なら…、どうして“こんな連中”といるの?」 「は?」 「仮にも世界を目指していた人が、犯罪集団の仲間になって、しかも女性に乱暴を働くって、嫌にならないの?」  伊緒が問うと、鶴田はステップを止めた。そして少し間を空けた。  ボクシングのことは詳しく知らない衣緒だが、世界を目指していたというのが本当であれば、ファイターとして信念を持っていたはずと、その心に訴えてみた。 「……別に。女は、男を満足させるためだけに、いればいい。俺はそう思っている」  深いため息をつくと、鶴田はドス黒い目つきで、そう言い放った。  まるで下衆な返答だが、何より“その目”に伊緒は恐怖した。  聞けば、鶴田はボクサー時代に恋人がいたらしかった。  しかしその恋人は“濡れ衣”の件で、鶴田の世界戦の夢が完全に絶たれた際、裏切るように他のジムメイトと交際するようになったのだそうだった。それも自分をハメた男とだ。  その恋人は、“ボクサーの彼氏を支える健気な女性”を演じてはきたが、実際には鶴田の才能と、未来の世界チャンピオンへの可能性と付き合いたかったのだった。  チャンスを失った鶴田(おとこ)に何の魅力も感じなくなり、次に期待されていた、自分をハメたジムメイトに乗り換えたのだと、鶴田は語った。 「どうせ信じても裏切られる。女はまさに狐だ。愛なんてものは、漫画かドラマにしか出てこねえんだよなあっ」  鶴田はそう叫ぶと、再びステップを踏み始めた。  きっとこの男が真面目だったことも本当なのだろう。真面目が故に、怒り、恨みは相当に彼自身を歪ませたのだろうと、伊緒は感じた。 「お喋りは終わりだぜ嬢ちゃん!いくぞ、いくぞぉ」  鶴田が間合い詰め始めると、伊緒は距離を保とうと後退する。その様子を見て、苦笑する鶴田。 「おいおい嬢ちゃん、離れたら俺に攻撃当たらんとちゃうの?」  (言われなくても分かってる)そう思った伊緒もステップを踏む。身軽さを活かした軽やかなステップだ。 「お!いいねえ、いいねえ!いい動きだ。でもな“その動きじゃあ…」  鶴田は話終わる前に、右ストレートを放った。 「はやっ…!」  ストレートと同時に前進する動きはまるで“瞬間移動”だ。届くはずのない場所から飛んでくる拳。 「…俺の攻撃はかわせねえ!」  回避出来ないと本能的に悟った伊緒は、腕をクロスさせ防御(ガード)した。 「ぐあっ!」  直撃した瞬間、体が弾き飛ばされる伊緒。  それでも鶴田の拳に感じた手応えは、イメージしたものとは違った。それは伊緒が気功を用いて身を守ったからだ。  だが鶴田の追撃は止まらない。  宙に飛んでいる伊緒が床に落ちる前に超スピードで追いつき、追い打ちのボディーストレートを打ち込んだ。  宙空で身動きが取れなかった伊緒は、まともにそれを喰らい、壁に向かって更に真っ直ぐに吹っ飛んだ。 「くあっ!」  そして背中から壁に勢いよくぶつかると、そのまま弾かれて床に落下した。 ――……い、息が…  体を突き抜けた、とてつもないパワーが全身にダメージを残し、まともに呼吸も出来ず、立ち上がることが出来ない伊緒。 「…ボス、倒しましたよ」  構えを解いた鶴田が、座っているリーダーにそう言うと、リーダーは肩を竦めて笑った。 「おう、よくやった」  リーダーは煙草を咥えたままソファーから立ち上がると、伊緒の側に寄って、屈んだ。 「さて、こいつどうするか?お前ら、とりあえずヤるか?」  リーダーの言葉に、嬉しそうに騒めく男たち。  今まで青ざめていた有馬と日下も、調子に乗って舌を出しながら興奮している様子を見せた。 「ボス…、そのあとは?」  鶴田が尋ねると、リーダーは腕を組んだ。 「んー、どうするか。風俗に沈めるってもガキだかんな。ガキ使ってる違法店もあるが…こいつ強えから、店じゃあ扱えなえよな。(バラ)すかあ?」  伊緒を囲って、男たちが、騒がしくしていると、コンコンコン…というノックの音が聞こえた。  ノックは伊緒がドアを壊した入り口の方から聞こえ、部屋内にいた全員が、音のした方を振り向いた。 「あーどうもぉ皆さん……、お取込み中」  薄れゆく意識の中で、伊緒は知っている声が聞こえた気がした。  部屋内の全員の目に映ったのは、ヘラッとした感じの若い男。    ノックをしたのは、六堂だ。  六堂は、伊緒と鶴田を囲っている男たちを「はいはい、ごめんね」と、掻き分けて中に入った。 「…何だにいちゃん?」  リーダーは煙草を床に落とし靴で踏むと、六堂に尋ねた。  六堂は上着を捲り、探偵のライセンスバッジをリーダーに見せる。 「何だ“それ”は?」  怪訝な顔でバッジを見るリーダー。 「あ、俺?私立探偵。このバッジは探偵のライセンスバッジ。分かる?」  笑顔で優しく答える六堂。 「あ?で、その探偵が、何の用だ?間違えて入ってきたのか?」  リーダーの質問に、六堂を両手のひらを前に出して振った。 「いやいや。俺ちょっと“猫探し”の依頼を承ってまして、それで探してる猫がね…ここに入ったのを見たわけですよ」  変わらずヘラヘラ喋る六堂に、部屋の男たちは少し呆気に取られた様子だ。 「猫だ?」 「そうそう、子猫ちゃん」 「こんな時間に探してるのか?よりにもよって、ここを」 「猫は夜の方が活動的なんですよ。俺もこんな物騒な所、入りたくなかったんだけど、追いかけてたら、ここに来ちゃって」  リーダーは、六堂の顔を下から覗き込み、眉間にしわを寄せて、危険な目で睨めつけた。 「何言ってんのお前?いねえよ、猫なんざ」  リーダーはあからさまに不機嫌そうな顔で六堂に言った。  六堂は、そんなリーダーの両肩をポポンと叩く。 「まあまあ、そんな怖い顔しないで、ね。いやいや、子猫は…ほらここにいたあ!」  六堂は屈んで苦笑すると、衣緒をスッと両腕でも持ち上げた。
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