第十六話 上書き

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第十六話 上書き

 目を開けると、知らない部屋のベッドにいた。デスクの上のスタンドだけが灯された薄暗い部屋。 ――……え、ここ何?  朦朧とする伊緒は、状況が飲み込めなかった。  少し間を空け、段々と意識がはっきりしてくると、掛けてある布団のシーツが、肌に直に感じることに気づき、バッ!と体を起こした。  来ていた服は脱がされ、下着姿。 ――え!え!何!?  同時に、胸部と肋骨に激痛が走った。 「…っっっ!」  思わず体を丸め、くううっ…と声を上げる伊緒。  痛みと共に、“夜の活動”で鶴田にコテンパンにやられたことを思い出す。強張る顔も少し腫れてるようで痛い。  自分が“こんな格好”なのも、奴らに弄ばれたからなのかと、一瞬、本気で恐怖した……  だが、痛めている胸部と肋骨に湿布と医療用のテープが貼ってあることに気づいた。丁寧な処置だ。ツンっと湿布の匂いが鼻を突いたのだ。  伊緒はこの匂いが嫌いではない。  冷静になって周囲を見れば、この部屋も綺麗で、普通の生活感を感じる。とても悪者が使う場所とは思えない。  ふと、秒針の音に気づき、時計に目をやった。時間は、午前二時過ぎ。 ――ここって…?いや、それより私は…  困惑していると、足音が部屋の外から聞こえてきた。下から誰かが階段を登ってくるようだ。  スリッパを引き摺る音がここに近づいて来る。誰なのか、不安に駆られ身構える伊緒。  ガチャっと音を立ててゆっくり開いたドアの向こうから、灯りが入り込み、眩しく感じた伊緒は一瞬目を細めた。 「え、伊乃……さん?」  部屋に入ってきたのは、六堂だった。 「…目が覚めたのか」  六堂は手に持っていた、ペットボトルの水と、薬をベッド横に置いた。 「身体…痛くないか?」 「…あ、えと」 「それ、痛み止めだ。辛かったら飲んどけ」  伊緒は鶴田に伸され、気を失う直前に、“聞き覚えのある声”が聞こえた気がしたことを朧げに思い出した。 ――あの時聞こえたのって…伊乃さんの…  今の状況から、聞かずとも自分が、あの男たちから救い出されたのだと何となく理解した伊緒。  しかし十五人もいた半グレたち。  さらにその中には怪物の鶴田と、そして戦いこそしてないが、明らかに強いと思われたリーダーがいた。  実際に手合わせをした六堂の強さを疑うわけではないが、あれを全員倒したのだろうか?それとも戦わないで上手く逃げ出したのだろうか?  伊緒の頭の中でそんな疑問が過ぎる。 「あの…私…」 「ああ、お察しの通り、バカなことして、危ないところを俺が助けたんだ。いいえ、どういたしまして」  六堂は苦笑しながら、何も礼を言われてないのに、“ありがとう”と言われた提で言葉を返した。ちょっとした皮肉だ。  無論、助けてくれたことには感謝するが、それよりも夜遅くに、“あのビル”にどうして自分がいるのが分かったのか、そのことも気になった伊緒。  六堂は、部屋のデスクの椅子を引き、座ると、伊緒から質問を受けるでもなく、事情を簡単に説明した。  組手をした時に感じた実戦慣れした対応力の理由を知りたかったことと、  危険なことに関わっていないか心配していたこと、  探偵としての情報源(きりや)から伊緒に危険が迫っている可能性があると知ったことなどを順にだ。  ついでにここが自宅兼探偵事務所であることも話した。 「…と、いうわけだ」 「そ、そうなんだ」 「物騒な連中に、ちょっと噂になってたんだよお前は。それを聞いた時は焦ったぜ」  新宿界隈の裏で噂になっていたのは、伊緒が強いからであるが、六堂はそのことを誉めるわけではなく、“きつめの口調”で軽く説教をした。  すると伊緒は、涙が溢れて来るのを感じた。  悔しさ、悲しさ、愚かさ、その思いを飲み込もうと歯を食いしばり、唇をぎゅうっとへの字に閉ざそうと力んだ。  だが、込み上げる涙は抑えきれず、赤くなった目からポタポタと溢れた。  その様子を見た六堂は、鼻でため息をつき、ベッドの横に座った。 「裏社会ってのは、何も知らない素人が足を踏み込んだらいけないところなんだよ。腕っ節が強くても、それだけで生きていける甘い世界じゃあない」  そう言い、伊緒の頭を抱き寄せた。  六堂の温もりを感じると、堰き止めていた涙は一気に流れ出し、伊緒は彼の胸の中でわんわんと泣いた。顔をくしゃくしゃにし、鼻水と大きな声を出して…  どれくらい時間が経ったか。  しばらくして伊緒も少し落ち着くと、六堂は尋ねた。“何故あんなことを”と。  ひっくひっくとしゃくりあげながら、伊緒も自分で“馬鹿なこと”をしている自覚はあったと答えた。殆ど何も考えず始めたことだったという。  どうしても拭えない三年前の体験を忘れるため、強くなったという確信を得るため、それが最初の動機だった。  しかし、男たちを叩きのめす内、自信がつき、戦いにのめり込んだという。  勿論、女性を助けたいという気持ちは根底にはあったというが、やはり自分のためであることが大きく占めていたのだろうと、六堂は思った。 「あーそうだ…俺、変なことは一切してないからな」  抱いていた頭を離して突然そう言う六堂に、“何のこと”だろうかと考える伊緒。  本当は年頃の娘の服を脱がすのは気が引けた六堂だったが、負傷の程度を見たかったので、止むを得ず応急処置をしたことを説明した。  すると、涙で赤く腫らした目をパチパチし、自分が今下着姿だということを思い出し、慌てて掛け布団に包まった。  顔を真っ赤にする伊緒。そして頭は真っ白になった。 「何だよ、何も言わないから、平気なのかと思った」 「そ、そ、そ、そんなわけないでしょ!お、女の子だぞこれでも!」 「…あ、そうね。悪かった」  六堂はベッドから立ち上がり、デスクの椅子に戻ると頭を掻きながら、ため息をついた。 「でも頼むから、誤解を招くことを誰かに言わないでくれな。“猥褻探偵事務所”なんて新聞に載った日には商売上がったりだ」  六堂も、望んで伊緒の衣服を脱がしたわけではない。あの鶴田の“殺人パンチ”の直撃を受けて吹っ飛んだのだ。  素人が喰らったらただではすまない。それを心配していた。  だが、葉月から学んだ気功術を上手く使っていたのだろう。ダメージは大分軽減されていたようだ。とはいえ、胸骨か肋骨が折れている可能性は否定出来ない。 「胸から脇腹が腫れてる。息を吸うと痛いだろ?だから病院で診てもらわないといけないけど…自転車で転けたとか、上手く言えよ」  六堂は怪我のことを気にしてそう言うが、伊緒はそんな話など頭に入っておらず、“汗臭かったのでは?”、”色気のない下着を見られた”など、六堂が全く気にもしていないことで頭を抱えていた。 「何をブツブツ言ってるんだ」  六堂は首を振って、半目でため息をついた。  すると伊緒は、ガバッと勢いよく布団から身を出し、また下着姿を晒した。   「あ、あの…」 「…ん?」  間を空ける伊緒。そしてギュッと手に力を入れる。 「あの…」 「何だよ?」 「わ、わ、私を…抱いてください」  伊緒の発言に、片眉を下げて困惑する六堂。 「は?何?抱く…?」  伊緒は、目線を下に落とし、唇を力強く一文字にし、少し震えていた。  そしてこくりと頷く。 「…また胸貸せってこと?」  伊緒は首を強く横に振った 「そ、そ、そ、そうじゃなくて、ね、ね、ね、“寝る”ってやつです!」  自分の発言に動揺する伊緒は、声を震わせながら、“噛み噛み”で説明した。  六堂は椅子から立ち上がり、屈んで伊緒の顔に、自分の顔を近づけた。 「何だよ“寝る”って?お前、何言ってんだ?」   下を向き、目を大きく開いて、緊張で頭が真っ白な伊緒。 「お、お、女に恥をかかせないのが男でしょ!」  “寝る”、“女に恥を”、漫画かドラマで覚えたような言葉に、六堂は呆れた顔をした。 「……ダメ、ですか?」  真っ赤にした顔と潤んだ瞳の伊緒。 「ダメも何も、女子高生が言うことじゃないだろ。そうでなくてもボコられて怪我してるんだ。これ以上、身体に“傷”つけたら親も泣くぞ」  遇らうような態度を取る六堂だが、伊緒が真剣に言っている、それは理解した。使い慣れない言葉を使い、裸に近い格好を自ら晒しているのだから、少なくともふざけてはいないだろうと。  六堂は人差しをピンッと立てると、そんな伊緒の脇腹を押した。 「くわああっ…」  当たり前だが、伊緒は顔を歪ませ、苦痛の声を上げた。 「な、な、何をおおお…」 「ったく…目を覚ませ。でも話は聞く…言ってみろ」  伊緒は、六堂から貰った薬を口に含み、水を飲んだ。  そして一息つくと、話し始めた。  今夜、培った自信を粉砕された。完璧に。  もしそれが、競技の試合であれば、悔しい、次頑張ろう、そんな気持ちだったろう。  しかし、三年前と同じような輩に、自ら立ち向かいあっさり負けた。再び感じる自分の弱さは、まさに三年前に感じた非力さと同じ。  そしてあの時と同じ目に遭わされるところだった。  そのことは、結局自分で自分の傷を広げたような結果だと、伊緒は呟くように言った。  だが六堂に救われた。  三年前、刀を持った蒼い髪の男に救われたように。 「あの時のように、悪い連中やっつけるの見てたわけじゃないけど…、想像は出来る。私、伊乃さんの強さ知ってるから」  伊緒は三年前、蒼い髪の男に救われたお陰で、“男性が怖い”ということはなかったという。  ただし、友達として一緒にいる分には、だ。  高校に入ってから二人の男子生徒から告白されたという。一人は同じ学年の男子生徒。もう一人は、武術部の先輩だ。 「気持ちは嬉しかったんだよ。でも、何だろう…、付き合うってなると、想像しちゃって。そのほら…きっと普通の女子ならドキドキしちゃうんだろうなってこと、それが怖くて」  泣きそうな顔でそう説明する伊緒の気持ちは理解出来た。  そんな彼女だが、心の中でずっと会いたいと思っていた男性がいた。三年前に自分を助けてくれた、蒼い髪の男、彼女の言う“蒼髪のおにいさん”だ。  十人はいたストリートギャングを一瞬で倒す、まさに神がかった強さに憧れ、自身も強くなることを決心したが、もう一つ感じていたことがあった。 「…あ、あの人に、“初めて”をあげたいっていうか、してもらいたいっていうか」  伊緒は顔を逸らし、口を窄めるような形で、声を小さくして言った。 「…お前、一々何でそう考えることが、極端なんだ?」  六堂は頭を掻きながらため息をついた。  もっとも理解出来ないことはない。女性が、絶望的状況から、救ってくれた男に憧れたり、あるいは恋心を持ってしまうことはあるだろう。  そしてその相手ならば、傷ついた心も身体許せるかもしれないという心理。それが叶うなら、性的な恐怖体験の上書きが出来ると… 「で、まあいい。だいたい話は分かった。でも、何でそれが俺になるんだ?」 「す、好きです!」
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