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第十八話 喫茶店
2000.4.7 -SATURDAY-
窓の外が明るくなると、雀や烏の鳴く声が聞こえた。
時間は午前五時過ぎ。
一晩であまりに色々なことがありすぎて、伊緒はまったく眠ることが出来なかった。
六堂も寝ずに起きていたようだった。
それから六堂に車で自宅近くまで送ってもらった伊緒は、外から屋根に上がり、自室に入った。“いつも”なら、夜中のうちに戻って華麗に上がるところ、負傷のせいで酷く辛かった。
部屋で学校の運動着に着替えると、必要な荷物を入れたリュックを背負い、また部屋から出てくる伊緒。
そして車が停めてある所まで戻ると、六堂がラゲッジスペースからマウンテンバイクを下ろしていた。
体は服で隠せるからともかく、顔が少し腫れてるのを家族に見られては、どう考えても相当不審に思われる。
寝てる間に何があったかと…。
しかし幸い、家族が起きる前に、ジョギングを兼ねて部活に向かうのは、日曜や長期休み中の伊緒にはいつものこと。
とりあえず、今朝はそれで乗り切り、今夜は、部活の組手で顔を打ったことにしようと考えた。
「…で、どうするんだ?今日一日」
六堂が尋ねると、伊緒はまず病院に行くと答えた。咳、くしゃみ、そして寝返り、いずれも笑えないほど痛いという。
診断結果を聞かずとも、しばらく部活は出来なさそうだと、伊緒は苦笑した。
「それじゃ、午後は時間あるか?」
六堂はそう言うと、ある場所の住所を書いたメモ紙と、二千円を伊緒に手渡した。
「これは?」
「そこに行けば、今の伊緒には俺よりもいい話が聞けるかもしれないから、もし興味があれば足を運んでみるといい。ついでに美味いケーキも食える。金は電車賃と、そこのケーキ代に使ってくれ」
六堂は車に乗り込むとウインドウを開け「じゃ、また」と言い、走り出し去って行った。
車が見えなくなるのを確認すると、伊緒はマウンテンバイクに跨り、一旦学校へ向かった。病院が開くまでは、まだ時間があったからだ。
途中、コンビニで朝食を買い、部室で食べて、少し休んだ。
病院では、昨日の学校帰り“に自転車で転んだ”と医者に言ったが、“車に跳ねられた”の間違いではないかと疑われた。
レントゲンを撮ると、胸骨亀裂骨折、左肋骨一本骨折、ついでに腫れていたので撮ってみたら左手腕も亀裂骨折していた。腕は鶴田のパンチをガードした時の負傷だろう。
「てへへ、派手に転んじゃって」
笑って誤魔化すには、少し無理もあったが、必要な処置と、薬と湿布等の処方
をしてもらい、伊緒は病院を後にした。
医療用のコルセットと、しっかり巻かれた包帯のお陰で、行く分か楽になった。
そして六堂から渡されたメモに記された住所へ、電車で行くか迷ったが、気候もいいので、そのままマウンテンバイクで向かうことにした。
その場所は自由ヶ丘。
マウンテンバイクをこぐこと四十分。
六堂が“美味いケーキ”と言ってたので、洋菓子屋か何かだとは思っていたが
来て見たそこは、薄暗い路地にある小さな喫茶店だった。
(こんな所に喫茶店?)と思うような場所で、まったく目立たない店だが、小さい看板に、“ Secret story”と記されており、扉は綺麗に磨かれているのが
見て分かった。
マウンテンバイクを近くに止め、扉の前に立つと、伊緒は何か違和感を感じた。上手く言えないが、“店内に入って欲しくない”、そんな感じの何かだ。
しかし“open”の札は掛かっている。不思議な店だと思うも、六堂に紹介された場所。とりあえず扉を開けると、ベルがカランカランと鳴った。
「……すっご…素敵」
店内に入り、思わず呟く伊緒。
アンティークな造りの店内。そして珈琲のいい香りが漂っており、奥にあるジュークボックスが印象的だ。
普通の高校生には縁なさそうな雰囲気の店内に、まるで映画の世界にでも入ったかのような、ちょっとした感動をした。
そしてカウンター下に、猫がいる。伊緒のことを気にするでもなく、スヤスヤ寝ている猫。
「いらっしゃいませ」
そう挨拶をしたのは、奥からカウンターに入ってきたエプロンを着けたポニーテールの、若い女性。ベルの音に気づいたのだろう。
「あ…こんにちは」
女性に挨拶をする伊緒。
「あら、高校生?可愛らしいお客様ね」
ポニーテールの女性にそんなことを言われると、伊緒は少し照れ笑いをした。
「どうぞ、座って」
伊緒は言われるままに、カウンター席に座り、リュックを足元に置いた。
女性は自分の顔を指して、「その顔、どうしたの?」と伊緒に尋ねた。
伊緒は苦笑しながら「ちょっと色々ありまして…」と答えた。
「あの…実は私、ここにはその…行くように勧められてというか…」
女性は顎に手を当てて、頷いた。
「ふーん…そっか。ただ通り掛かっては“来れないように”してるから、どうしたのかと思ったけど…。で、その勧めたって言うのは、誰かしら?」
伊緒は、この店の住所が書かれたメモ紙をカウンターに出した。
女性はその紙を手に取って見ると、(ああ…)と言いたそうな顔をし、苦笑した。筆跡だけで分かったのだろう。
女性はメモ紙を伊緒に返すと、壁に飾ってある複数のフォトフレームから一つを外し、カウンターに置いた。
伊緒がその中の写真を覗くと、四人の人物が写っているのが目に入った。場所はこの店内のようだ。
――……あ!
写っている四人の中に、六堂がいた。
今より若いが、間違いなく彼だ。六堂の部屋で見た写真と、同じくらいの年頃だと思う若さだ。
ただ、その髪は蒼く染められ、雰囲気と顔つきが、大分異なっているように見えた。
「やっぱり、この人ね?」
女性は、蒼い髪の六堂を指差した。
六堂の横に、制服を着た女子高生が写っているが、よく見るとそれは、今目の前にいる女性だということも分かった。
「これ、あなたですか?」
伊緒が尋ねると、女性は微笑みながら、フォトフレームを壁に戻した。
「ええ、五年前…ああ、今年入れたらもう六年か」
振り返った女性は伊緒の顔を少し見つめると、ティーストライナーを片手に持った。何も注文していないのに、ティーポッドを用意して、紅茶を入れる準備を始めた。
紅茶淹れるまでの間、女性は伊緒に少し自分のことを話した。
名前は“夕紀”。この喫茶店の店主であると。
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