第十八話 喫茶店

1/1
前へ
/70ページ
次へ

第十八話 喫茶店

 2000.4.7 -SATURDAY-  窓の外が明るくなると、雀や烏の鳴く声が聞こえた。  時間は午前五時過ぎ。  一晩であまりに色々なことがありすぎて、伊緒はまったく眠ることが出来なかった。  六堂も寝ずに起きていたようだった。  それから六堂に車で自宅近くまで送ってもらった伊緒は、外から屋根に上がり、自室に入った。“いつも”なら、夜中のうちに戻って華麗に上がるところ、負傷のせいで酷く辛かった。  部屋で学校の運動着に着替えると、必要な荷物を入れたリュックを背負い、また部屋から出てくる伊緒。  そして車が停めてある所まで戻ると、六堂がラゲッジスペースからマウンテンバイクを下ろしていた。  体は服で隠せるからともかく、顔が少し腫れてるのを家族に見られては、どう考えても相当不審に思われる。  寝てる間に何があったかと…。  しかし幸い、家族が起きる前に、ジョギングを兼ねて部活に向かうのは、日曜や長期休み中の伊緒にはいつものこと。  とりあえず、今朝はそれで乗り切り、今夜は、部活の組手で顔を打ったことにしようと考えた。 「…で、どうするんだ?今日一日」  六堂が尋ねると、伊緒はまず病院に行くと答えた。咳、くしゃみ、そして寝返り、いずれも笑えないほど痛いという。  診断結果を聞かずとも、しばらく部活は出来なさそうだと、伊緒は苦笑した。 「それじゃ、午後は時間あるか?」  六堂はそう言うと、ある場所の住所を書いたメモ紙と、二千円を伊緒に手渡した。 「これは?」 「そこに行けば、今の伊緒には俺よりもいい話が聞けるかもしれないから、もし興味があれば足を運んでみるといい。ついでに美味いケーキも食える。金は電車賃と、そこのケーキ代に使ってくれ」  六堂は車に乗り込むとウインドウを開け「じゃ、また」と言い、走り出し去って行った。  車が見えなくなるのを確認すると、伊緒はマウンテンバイクに跨り、一旦学校へ向かった。病院が開くまでは、まだ時間があったからだ。  途中、コンビニで朝食を買い、部室で食べて、少し休んだ。  病院では、昨日の学校帰り“に自転車で転んだ”と医者に言ったが、“車に跳ねられた”の間違いではないかと疑われた。  レントゲンを撮ると、胸骨亀裂骨折、左肋骨一本骨折、ついでに腫れていたので撮ってみたら左手腕も亀裂骨折していた。腕は鶴田のパンチをガードした時の負傷だろう。 「てへへ、派手に転んじゃって」  笑って誤魔化すには、少し無理もあったが、必要な処置と、薬と湿布等の処方 をしてもらい、伊緒は病院を後にした。  医療用のコルセットと、しっかり巻かれた包帯のお陰で、行く分か楽になった。  そして六堂から渡されたメモに記された住所へ、電車で行くか迷ったが、気候もいいので、そのままマウンテンバイクで向かうことにした。  その場所は自由ヶ丘。  マウンテンバイクをこぐこと四十分。  六堂が“美味いケーキ”と言ってたので、洋菓子屋か何かだとは思っていたが 来て見たそこは、薄暗い路地にある小さな喫茶店(カフェ)だった。  (こんな所に喫茶店?)と思うような場所で、まったく目立たない店だが、小さい看板に、“ Secret story”と記されており、扉は綺麗に磨かれているのが 見て分かった。  マウンテンバイクを近くに止め、扉の前に立つと、伊緒は何か違和感を感じた。上手く言えないが、“店内に入って欲しくない”、そんな感じの何かだ。  しかし“open”の札は掛かっている。不思議な店だと思うも、六堂に紹介された場所。とりあえず扉を開けると、ベルがカランカランと鳴った。 「……すっご…素敵」  店内に入り、思わず呟く伊緒。  アンティークな造りの店内。そして珈琲(コーヒー)のいい香りが漂っており、奥にあるジュークボックスが印象的だ。  普通の高校生には縁なさそうな雰囲気の店内に、まるで映画の世界にでも入ったかのような、ちょっとした感動をした。  そしてカウンター下に、猫がいる。伊緒のことを気にするでもなく、スヤスヤ寝ている猫。   「いらっしゃいませ」  そう挨拶をしたのは、奥からカウンターに入ってきたエプロンを着けたポニーテールの、若い女性。ベルの音に気づいたのだろう。 「あ…こんにちは」  女性に挨拶をする伊緒。 「あら、高校生?可愛らしいお客様ね」  ポニーテールの女性にそんなことを言われると、伊緒は少し照れ笑いをした。 「どうぞ、座って」  伊緒は言われるままに、カウンター席に座り、リュックを足元に置いた。  女性は自分の顔を指して、「その顔、どうしたの?」と伊緒に尋ねた。  伊緒は苦笑しながら「ちょっと色々ありまして…」と答えた。 「あの…実は私、ここにはその…行くように勧められてというか…」  女性は顎に手を当てて、頷いた。 「ふーん…そっか。ただ通り掛かっては“来れないように”してるから、どうしたのかと思ったけど…。で、その勧めたって言うのは、誰かしら?」  伊緒は、この店の住所が書かれたメモ紙をカウンターに出した。  女性はその紙を手に取って見ると、(ああ…)と言いたそうな顔をし、苦笑した。筆跡だけで分かったのだろう。  女性はメモ紙を伊緒に返すと、壁に飾ってある複数のフォトフレームから一つを外し、カウンターに置いた。  伊緒がその中の写真を覗くと、四人の人物が写っているのが目に入った。場所はこの店内のようだ。 ――……あ!  写っている四人の中に、六堂がいた。  今より若いが、間違いなく彼だ。六堂の部屋で見た写真と、同じくらいの年頃だと思う若さだ。  ただ、その髪は蒼く染められ、雰囲気と顔つきが、大分異なっているように見えた。 「やっぱり、この人ね?」  女性は、蒼い髪の六堂を指差した。  六堂の横に、制服を着た女子高生が写っているが、よく見るとそれは、今目の前にいる女性だということも分かった。 「これ、あなたですか?」  伊緒が尋ねると、女性は微笑みながら、フォトフレームを壁に戻した。 「ええ、五年前…ああ、今年入れたらもう六年か」  振り返った女性は伊緒の顔を少し見つめると、ティーストライナーを片手に持った。何も注文していないのに、ティーポッドを用意して、紅茶を入れる準備を始めた。  紅茶淹れるまでの間、女性は伊緒に少し自分のことを話した。  名前は“夕紀(ゆうき)”。この喫茶店の店主(マスター)であると。
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!

61人が本棚に入れています
本棚に追加