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第二十話 皐月
六堂が伊緒を送った同日の昼過ぎ。
無事に手術を終え、経過観察も良好だった葉月は、今日が退院の日だった。
退院手続きを済ませ、病院正面玄関を出ると、六堂が待っていた。
「こっちですよ、先生。退院、おめでとうございます」
六堂は前もって連絡を取り合い、葉月の退院日を確認していたのだ。
自宅に車で送るから、その前に“話の続き”をしないか、という約束をしていたのだ。
六堂は、荷物を手にしている葉月を後部座席に乗せ、病院から程ない場所にある自分の“事務所兼自宅”へと向かった。
自身にとっては、父に近い存在であった葉月に、今の“職場”と“家”を見てもらおうと考えたこと、そしてゆっくり話したかったのもあり、カフェなどの店ではなく、自分の事務所を選んだのだった。
病院から大通りに出て、何分も経たない内に狭い道を入り、事務所まではあっという間だった。
着いた建物を前に葉月は感心した。
「これは、借家か?」
「いいえ、購入したんですよ」
メインストリートの“長者丸通り″からなる南青山の住宅街は、閑静で古い家屋も多いが、都内一等地。一軒家の購入となれば、その土地価格だけでも一億円はくだらない。
「ほう…凄いな」
「俺、金はちょっとあるんで…」
この建物のことを含め、事業立ち上げに必要な資金については、裏社会時代に稼いだ金が六堂にはあった。
裏社会でも蒼光の名と腕は有名。稼げないわけがなかった。
葉月はすぐにそのことを理解して、(ああ、なるほどな)と納得した。
六堂は、葉月を家の中に入れると、二階にある自宅の方へ案内し、湯を沸かしてお茶の用意を始めた。
その間、六堂に“中を自由に見て回ってもよい”と言われたので、葉月は遠慮なくゆっくりと見ていた。
そして六堂の自室の扉を開けると、刀を飾っている神棚と、机の上に置いてあるフォトフレームが目についた。
刀、“牙刻”は、六堂の父親が使っていたもので、六堂に手渡したのは葉月自身だった。
そのことを思い出した葉月は、フォトフレームの中に入ってる写真に写る高校時代の制服を身にまとった六堂、恵、そして“皐月”を見て、懐かしい気持ちと、悲しい気持ちが込み上げてきたのだった。
そして深くため息をつく葉月。
「…先生、お茶、入りましたよ」
部屋の扉の前に立った六堂が、葉月に声を掛ける。
ハッと我に帰った葉月は振り返った。
「あ、ああ、そうか」
「驚かしてすみません。何度も呼んだのに返事ないから」
「いや、すまん…この写真と、“牙刻”に見惚れて」
六堂は、軽く数回頷き微笑んだ。
「…この部屋、窓からほら、東京タワー見えるでしょ」
葉月は六堂が指差す窓から外を見た。確かに、少し小さいが東京タワーが目に入る。
「この近隣はとても静かだけと、窓を開けると、遠くから響いてくる行き交う車の音が聞こえて、その音聞きながら東京タワー見てるのが、俺好きなんです。昼も夜も」
葉月は窓に近づき、レースのカーテンを開けた。
「…確かにな、いい眺めだ」
「でっしょ?俺、この眺めが気に入って、この家買ったんです。でも、ヒルズ?とかいう商業施設ビルがあの辺に建つらしくて…東京タワー隠れちゃうみたいです。いやぁ、もうがっかり」
六堂が苦笑しながらそう言うと、葉月も釣られて笑った。
部屋から出てリビングに戻る二人。
湯気の立つ湯呑が置いてあるガラステーブルを挟んでいるソファーに、互いに対面するよう二人は腰を掛けた。
お茶の横には大福も一緒に用意されていた。
事務所から、西通りのある階段下にある古い和菓子屋“菊長″で、葉月を招くのに買ったものだ。
「ところで、この建物…工事にいくら掛けたんだ?」
茶を啜りながらの葉月が振った質問は、言葉通りではない。
ここは、見た目には全く判らないが、“要塞化”している。葉月にはそれがすぐに判ったのだろう。
実際、ガラスは通常のものと変わらない厚さの特殊防弾。普通の防弾ガラスよりも高価で、一般人には入手は出来ない。そして外装には特殊な金属が網目状に埋め込まれていた。
「さすがだなぁ、先生。わかっちゃいました?」
眉根を寄せ、苦笑する六堂。
「…襲撃に備えているのか?」
「探偵業もね、様々なんです。浮気の調査専門ならそこまで警戒しなくていいのでしょうけと、俺は“色々”承ってるもんで」
しばらく、そんな雑談を交わしながらの二人だったが、大福も食べ終え、茶を飲み干したあたりで、六堂は“伊緒”の話題を振った。
見舞いに行った時と同じ、“伊緒をどうしてあそこまで強くしたのか?”という質問ではあるが、同時に彼女が“夜の街で危険な活動”をしていることも伝えた。
そして既に裏社会の一部では、“Warrior giri”と呼ばれるようになってることも、六堂は話した。
話を聞いた葉月は(まさか…)と驚いた顔をした。
「…裏社会で呼び名がつく程に、彼女は強いんです。並の男では相手にならないでしょう」
「…それは…ああ、上達著しいことは解っていたが」
「あなたの教えと、彼女の持つ才能が、上手くマッチしたんでしょうね。でも、未熟だ。そしてあいつは真っ直ぐすぎですよ。いい娘だけど、危険だ」
葉月は腕を組み、深いため息をついた。
「“そんなこと”をしていたとは…浅はかなことをしたのか、私は…」
六堂は、葉月に、何故彼女に他の部員には教えないような気功術を含む技を教えたのか、再度尋ねた。
「…武術に限ったことではないが、技の体得は簡単ではない。大抵の部員は、ちょっと知識をかじったかだけで満足する。基礎からの体力や筋力づくりをやりたい者たちは、わざわざ文化部に来ることはないものだ」
「でも、伊緒は違った…ですね」
伊緒の素直さ、そして強さに対する愚直さは、とても教え甲斐を感じたのだという。
彼女に打ち明けられた“過去の体験”が、その原動力であることは理解していたが、その本気度を見誤ったか、あるいは伊緒が手に入れた強さで間違った考えを持つようになったか…、葉月は頭を抱えた。
葉月は、そんな伊緒に対して個人的な思いがあった。
「…先日もお前が病院に来た時に言ったが、青内が“皐月″と被って見えてな」
その話に、六堂は複雑な顔を見せた。
「ま…似てるとは言わないですが、思うところはわかります。とは言え、気功術まで体得させるのは安易すぎですよ。“弟子は一人だけ”って言ってたじゃないですか」
「…時も経てば、色々変わるもの。皐月と被った上に、あいつの過去の体験。この手で何とか出来るならと思ったよ」
“皐月”という少女は、伊緒と同じで、真っ直ぐで明るい娘だった。
そして葉月は、その皐月の命を守ることが出来なかった過去があった。
過去にそんな負い目のある葉月は伊緒に相談を受けた時、“身を守る術”を教えることに迷いはなかったという。
六堂は、背もたれに寄り掛かり、両手を頭の後ろで組むと、半目で葉月の顔を見てため息をついた。
「…少し話題を変えましょうか?話しにくかったら…やめてもらって構いませんが…、“六堂 皐月”について、そろそろ俺たち話すべきですよね」
葉月は目を瞑り、薄ら笑った。
決して可笑しくて笑ったわけではない。
“六堂との再会″は、その話をすることを意味しており、当然葉月はそのことを理解している。
ただ、とうとうその日が来たのかと、負い目のあるが故に、少し拒否感の沸いた自分に苦笑いをしたのだ。
1992年、路上で女子高生が無惨に斬り殺されるという事件があった。犯人は未だ捕まらず。
しかし、その犯人を六堂は知っている。
阿修羅 才蔵。
斬り殺された被害者は、六堂 皐月。
六堂 伊乃の妹。
六堂は現場にいた。目の前で、妹を殺されたのだった。
葉月は、“そのようなこと”が起きないよう六堂家に関わりを持ち、目の届く範囲で生活していた。
それが死んだ六堂の父との約束だった。
皐月が才蔵に殺された日、葉月はある理由で、別な場所にいた。だから直接守ることが出来なかった。
そして、皐月の葬儀後、その姿を消したのだった。
その日に何があり、これまでどう過ごしてきたのか、六堂は葉月の口から詳細に話をゆっくり聞いたのだった。
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