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第二十三話 舞を連れてきた理由
「伊緒、今日が“一人目”な」
六堂は満面の笑みを浮かべ、人差し指を立ててそう言った。
「一人目?」
伊緒が首を傾げると、六堂は来春まで、舞以外にも“ゲスト”を何人か連れてくる考えがあることを説明した。
「今日はまず、こちらの舞さんと立ち合ってもらう。いいね」
組手ではなく、いきなりの立ち合いの指示に、驚いた伊緒。
その理由は、同じ相手と何度も組手を行っても対応力が身につかないから、ということらしい。
勿論、技術を伸ばすために、あるいは苦手を克服するためなど、同じ相手との練習がダメというわけではない。
ただ、対応力は同じ相手では身につかない。そこに慣れが生じ、緊張感もなくなる。
六堂は、伊緒の技術自体は結構なものだと思っており、基礎的なトレーニングをメインに、大事なことは“対応力”だと考えていた。
正直に言えば、六堂も、葉月もだが、プロアマ問わず、競技に向けた闘いを想定した訓練をしてきたことがない。
二人とも常に実戦を想定し、実際に実戦を積み重ねてきた。
武術部そのものは、競技参加を目指した部ではないわけで、今回のオープントーナメント出場は殆ど伊緒の“猛る熱の発散”を目的としている。
だが、“試合”という模擬的なものでも戦闘に変わりはない。
対戦相手がどのようなタイプで、何が得意で、またその時の自身の好不調も含めて、常にその時にならないと判らないのが、戦いであり、闘いだ。
それは実戦だけならず、試合でも同じだということ。
伊緒は街の半グレを相手に戦ってきたことで、対応力自体は決して低くはないだろうと六堂は思ってはいるし、本人もその自信はあった。
しかし、高みに達している武道家、格闘家を相手にした経験は浅い。
鶴田のようなボクシングをボクシングルール以外に消化した実力者を相手に痛い目を見たのは、今の目標には“ある意味”でいい経験だったと言えなくもない。
六堂に耳打ちされた葉月は、武術部全員で、合気道部の稽古場に移動するよう指示した。
「今日は島崎と美雪の稽古はなし。一緒に青内と、伊乃が連れてきたあちらの方との立ち合いを見学しよう」
二人が舞の方を改めて見ると、目の合った彼女は軽く頭を下げた。
「あ…!」
美雪は舞の顔を見て何か思い出しようだ。
「ん、どうした?」
島崎がそんな美雪に尋ねると、舞とは以前会ったことがあることを思い出しと言った。
特別に何か話をしたわけではないが、“六堂の親しい友人”の実家にいる家政婦さんであることは知っていた。
「…そうか、益田さんは六堂先生との付き合いは長いんだったね」
美雪は、六堂が亡くなった自分の姉と“恋人関係”だった…ことまではわざわざ説明はしていないが、幼い頃からの知り合いであることは島崎に話していた。
「よし、じゃあ行こうか」
六堂はそう言い舞と歩き始めると、皆その後に付いて行った。
青光学園には、畳が敷かれた道場施設は柔道部以外に、合気道部の練習施設がある。広さは柔道部の半分だが、施設の充実はさすが私立だと言える。
今日は合気道部の活動がないことを知った六堂が、顧問の女性教師に、道場を貸してもらえないかと尋ねると、二つ返事でOKがもらえたという。
こんな運動部でもない武術部の頼みで、どうしてそんな簡単に道場が借りれたのかと葉月は不思議に思ったが、その女性教師が六堂に気があるから…ということは、六堂本人も知らないところであった。
歩きながら、六堂の隣を歩く舞を見る伊緒。
身長は六堂と同じくらいだ。
――全国王者、らしいけど…
六堂がどこからか見つけてきた無門会関連のビデオを幾つか見せられたが、舞が映っているのは見たことがない。
“無門会ルール”は、空手といっても突き蹴りだけではなく、実戦さながらの着衣総合武道。選手のタイプはかなり様々だ。
腕試しにプロの格闘家も出場することがあると聞かされている。
舞がどんなタイプの選手なのか、そんなことを考える伊緒だが、まさに“そういうこと”かと、六堂が言わんとしてることは、少し理解してきた。
ただ、舞が六堂と一緒に歩いてるところを見ていると、どちらかと言うと“二人の関係”の方が気になってくる。
「舞さん、悪いねせっかくのお休みを付き合わせて」
「いえ、六堂さんの頼みなら断れないですよ」
「橘君とデートの予定だったんじゃない?」
「大丈夫です。あちらは、今日は仕事です」
聞き耳を立てて、確認出来た六堂と舞の会話で、そんなやり取りがあった。その内容から、とりあえず“二人が男女の関係ではない”と知るや、ほっとする伊緒。
そんな伊緒の様子を見ていた、島崎。
「青内先輩…、何か変な顔してますが、大丈夫ですか?」
尋ねられた伊緒は、顔を少し赤くした。
「…だ、大丈夫よ!し、知らない人との立ち合いに緊張してるだけ!全国王者らしいしさ!」
鼻の穴を大きくし、血走った目で睨んでくる伊緒に、島崎は両手のひらを前に出し左右に振った。
「いや、そんな怒らなくても…、心配しただけですって」
“あの晩”、六堂ははっきりと“恋仲”とは言わなかったが、大切な女性である美雪の姉を失ったことは聞いた。
とても重い話だった。
しかし、若い伊緒の気持ちは、簡単には抑えられないのだった。
何より六堂が、あの“蒼髪のおにいさん”だと知ってからは。
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