第三話 強くなりたくて

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第三話 強くなりたくて

 六堂の質問に、伊緒は少し難しい顔をしながら、椅子に座った。  目線を下に落とし間を空けたが、スッと顔を上げ、六堂の目を見ると、何かに納得したように数回軽く頷き、伊緒は口を開いた。 「…高校入る前にも、少しかじったんだよ。空手と、あとキックボクシング」  道場、ジムの門を叩いたが、体力的についていけなかったこと、そして“何か違う”と思ったことが、続かなかった理由だと語る伊緒。 「何ていうか、実戦で役立つそんな力が欲しかったの」  そう言う伊緒から出た話は、三年前の体験のことだった。  当時中学二年の彼女は、通っていた塾の帰り道の夜、暴漢に拉致され襲われたのだという。  十代の若者グループで、札付きの(わる)という枠を超えたストリートギャングだった。  伊緒はその時のことを、目を瞑り、一言ずつ、ゆっくり話した。  最初は何が起きたか理解出来なかったこと、パニックで頭が真っ白になったこと、そして何をされるか分かった時に感じた恐怖…  六堂は、そんな彼女に手のひらを向け「もういい、話さなくて」と言った。  傷を広げるような、思い出す必要のない話だと察したのだ。  しかし伊緒は苦笑しながら、首を横に振った。 「気にしないで。伊乃さんになら、話せそうな気がして。ほら、私“人を見る目”あるから」  眉根を寄せながら笑うその顔は、少し無理してるように見えなくもないが、伊緒の言うことを信じて六堂は「分かった…」と返した。 「確かに怖かったし、しばらく病院にも通ったよ。でもね、本当に傷つけられる前に、ある人に助けてもらったんだ…。とても強い人に」  六堂は、聞かずとも彼女を助けた人物が誰なのかすぐに分かった。自分だ。六堂は伊緒と会ったことがあり、初対面ではない。  伊緒は、その時に助けてもらった人物に対し「蒼い髪のおにいさん」と言った。目の前にいる人が、“その人”だとは夢にも思ってない様子だ。  そう、この()を、暴漢たちから救った時は、髪を薄ら蒼く染め、きっと顔つきも今とは違っただろう。分からなくて当然だと、六堂は思った。 「…確かに怖かった。本当に怖くて…でもそれ以上に“蒼い髪のおにいさん”が、ヤバイくらい強くて、私を助けるのに一瞬!本当に一瞬で、私を囲んでいた悪い人たちを全員やっつけたの!瞬きする間も、驚く間もなく、悪い連中が地面に倒れてたんだ!」  こんな突拍子もない話など信じないだろうと、伊緒に言われたが、信じるも信じないもない。何せその人物は六堂自身なのだから。  六堂は、今でこそ私立探偵として表の社会で生きているが、十八歳から二十二歳までの四年間、黒い裏の社会にその身を置いていた。  探偵として彼が一流であるのは、その時に得た経験やコネがあってのことでもある。  その時の六堂は、髪の色だけではなく、武器として持っていた“愛刀”も蒼い光を放っていたことから、裏社会で“蒼光(そうこう)”と呼ばれ、そして恐れられていた人物なのだ。  だが六堂が裏社会にいたのには理由があり、もともと裏に生きる人間ではない。“目的”を果たしてからは、足を洗った。そして私立探偵になったのだった。  当時は色々なことがありすぎて忘れていたが、今はその時のことをはっきり思い出していた。  かなりタチの悪いストリートギャングに、乱暴されそうになっていた少女のその顔をだ。  六堂は裏路地で、偶然その現場を通り掛かった。そこで助けたのが、目の前にいる伊緒だった。 「助けてくれたという恩も勿論あるけど、とにかくその“強さ”に憧れたんだ。その後の傷ついた私のメンタルの、支えになってくれた、それくらい印象深く私の頭と心に残った人なんだ」  助けたのは偶然だったが、その時の少女がこうして今も元気でいてくれたことを知り、六堂は改めて嬉しく感じた。 「でね!」と、伊緒の話は続く。  六堂は目を丸くした。  拭えない恐怖体験に打ち勝つため、そして憧れのおにいさんの強さが忘れらず、伊緒は“自分も強くなりたい”と思うようになったというのだ。  空手やキックボクシングをかじったというのはその時のこと。 「無力は嫌だって思いがどんどん大きくなって。でもね…実際やってみると、格闘技どころか、運動なんてそんなにやったことないから、全然ダメでさ。まぁ、受験もあったし…とりあえず高校入ってから考えようと」  そして入学後、文化部に武術部というのがあることを知り、仮入部したというのだ。  六堂は、そんな話を聞き、少し嬉しそうな懐かしいような、そんな思いを感じた。  もう話が見えてくる。非力な彼女を強くしたのは、葉月なのだろうと。  六堂も、幼い頃に、葉月に武術の基本を教わった。葉月の指導は、本当に上手であることはよく知っている。  そして予想通り、伊緒が語るのは、ここから葉月の教えの話になった。  自分が助けたことも彼女が今も元気でいる切っ掛けなのだろうが、葉月の指導によって強くなれる自信を待てたことこそ、きっと今の明るい笑顔に繋がっているのだろうと、六堂は理解した。  そう納得した六堂は、両手をパンッと叩いた。 「よし!分かった。話は十分だ。約束だ、組手(スパーリング)をしようか」  六堂は、伊緒の話を途中で止め、そう言った。 「本当!」  伊緒はガッツポーズをし、まるでこれから千葉のテーマパークにでも遊びに行くんじゃないかと思わせるような、明るい雰囲気を見せた。  組手といっても、これは競技ではない。そこで六堂は、ルールを三つ提示した。  “時間は一分”、“急所は故意に狙わない”、“無理はせず技が入った時、極まった時はすぐに降参をする”だ。 「えー!一分は、短くないー?」  伊緒はレガースを装着しながら少し不服な態度を見せた。 「ま、もし物足りないと思ったら、もう一度相手になるよ」  六堂は自分の手に合いそうなグローブを探しながら、伊緒を諭した。  そう言われると俄然やる気を出す伊緒。当然、“もう一度”も既に自身の中では確定していた。  適当なグローブを見つけると、六堂はそれを装着し、握ったり開いたりと違和感がないか確かめる。  そして上着を脱いで、ズボンを捲ってレガースも装着し、軽く肩を回した。 「ストレッチとかいいの?」 「ああ、実戦は準備運動させちゃくれないからな」  六堂は少し真面目な顔で、ニッと笑いながらそう答えた。  二人は、部室の外に出ると、サンドバックが吊るしてある木のところまで移動した。
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