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第五十七話 吉祥寺へ
九月も最終週。
街はまだまだ夏の賑やかさで溢れているが、秋の訪れを感じさせる風情も微かに漂ってきていた。
そんな金曜の放課後。
伊緒は、学校から制服のまま、自宅のある中野区を通り越し、電車で吉祥寺まで足を伸ばしていた。
“無門会空手 吉祥寺支部”に出稽古をさせてもらうためだ。
そう吉祥寺支部と言えば、才邪の指導の時、話に出てきた、“ノックアウトアーティスト”こと藤村 健二が責任者の道場である。
伊緒から出稽古の相談を受けた六堂が、前もって吉祥寺支部の支部長、藤村に連絡を取っており、その許可をもらっていた。
初の出稽古に、伊緒は胸踊っていた。
駅から井の頭公園を突っ切って、吉祥寺通りに出ると、吉祥寺支部“藤村道場”まですぐだった。
吉祥寺通りは、車の交通量や歩行者の通行量が多く、沿道には多くの商業施設や飲食店が立ち並ぶ。
道場はそんな並びの中に建つマンション一階のテナントに入っていた
伊緒が、大きなスポーツバッグを下げて、藤村道場の前までやってくると、先客がいるようだった。
それは、背は小さめだが、腕が太く、胸板も厚く、すぐに格闘や武道に携わる者だと伝わる若い男性だ。
そして、道場入り口の前で、その男性の応対をしている短髪ツーブロックの男性は、責任者の藤村だった。
前もって、道場のウェブサイトで顔は確認していたので、その人であることは見て分かった。
「はあ?出稽古だ?」
藤村は、半目であからさまにムッとした表情を、その若い男性に向けた。
「押忍!マジで強くなるために来ました!お願いします!」
不機嫌な藤村に対し、やる気を見せる若い男性。
それもかなり大真面目に見えるが、明らかに噛み合ってない二人のテンションに、空気は微妙だ。
様子を見るに、どうやら若い男性はアポ無しの飛び込みで稽古をつけて欲しくて来たようだった。
「…あ、うち“お前”お断りだから」
深いため息をついた藤村は若い男性にそう言った放った。
“お前みたいなの”の間違いではないかと思った伊緒。
まるで“うちはセールスお断り”的な言いぶりだ。
そしてどうやら、“お前”は間違えではなく、要するに“名指し”で、稽古をつけるのは無理と言ったようで、それを理解した若い男性は、返す言葉がなくなり、口をぽかんと開けたまま呆然と立ち尽くした。
「ほれ、帰った帰った。そこに立たれると邪魔」
藤村は、“しっし”と手を反対に振り、若い男性を追い払った。
若い男性は、納得のいかない様子で、何かぶつぶつ言いながら、立っていた伊緒を通り過ぎ、歩いて行った。
伊緒は振り返り、通り過ぎた男性の背中を見ていた。
すると、十メートルほど行った先で、若い男性は思い切り右足を上げ、踏みつけるように地面に叩きつけた。
「ちくしょーあのやろー!!」
そして、叫ぶ。
キレている。
雑踏を掻き消すような声に側を歩く通行人たちが驚いて、その若い男性を注目した。
その様子を見た藤村は、苦笑し、頭を掻いた。
「…ったくあいつぁ」
伊緒は、そう言葉を漏らす藤村の方を向くと、「えっと、あのぉ」と声を掛けた。
「…あー、ごめんね、待たせたね。連絡のあった青内ちゃんだね?」
どうやら、藤村は伊緒がいたことに気づいていたようだった。
約束していた時間近くで、大きなスポーツバッグを肩から掛けていて、何となく分かっていたのだろう。
「ん??ち、ちゃん?」
「はいはい、さ、どうぞ、中入って」
「お…おっす、失礼しまっす」
伊緒は頭を下げて、道場に足を踏み入れると、思わず目を広げた。
そこは、“道場”というよりジム。
K-1の選手紹介のVで見るような、キックボクシングジムさながらの、雰囲気だった。
グローブの皮革の匂いが鼻をくすぐる。
汗と努力の香りが充満し、サンドバッグがリズミカルに叩かれる音と共に、熱気が漂う空間。
そして極め付けはサイズは小型ながら、ロープを張ったリングがあり、そこでスパーリングをしている者たちがいるという光景だ。
受付側にあるガラスのショーケースの中に、並んで飾られたトロフィーや、若い時の藤村の写真が目に止まる。
常設道場と聞き、板の間か、畳の上で型稽古をしたり、基本稽古をしているような所を想像していたが、そういった道場と違うことに驚き、圧倒された。
「お!制服!高校生?」
「入門?」
「いいねえ、若い娘かんげー!」
ロープスキップや、シャドーボクシングをしていた、練習生たちが、伊緒の姿を目にするや、満面の笑みで話しかけてきた。
「え!え?あ?えーと」
突然のことに、たじたじしてしまう伊緒。
「お前ら!女子高生来たくらいではしゃぐな馬鹿どもが!だから勝てねえんだよ!」
苦笑しながら怒鳴りつける藤村。
「ったく仕方ねえんだから。悪いね練習生の行儀悪くてさ」
「え、あー、いえいえ」
「驚いた?うちは無門会の中でもちょっと変わっててね、礼節がなってないって、館長からもよく怒られんのよ」
「はぁ…。やっぱり、ここに高校生の女子が来るのは、かなりレアですかね?」
「いやあ、そうでもないさ。うちはキックもやってるからさ、JKファイターも何人かいるけど…」
「…けど?」
「青内ちゃんみたいに、可愛くないのよ」
「ちょちょちょ…私可愛いですか!?いやいやいや、待って!女の子に可愛くないは、失礼ですよ!」
「あーそうね。今のは内緒!じゃ、着替えておいで。女子更衣室は、そっちね」
軽い。
空手家のイメージにそぐわない、藤村のキャラに、伊緒は驚き、同時に拍子抜けした。
本当に“ノックアウトアーティスト”と呼ばれた程の人なのかと、疑ってしまった。
「おやおやおや、道着か!気合い入ってんね!」
着替え終えた伊緒を見て、感心する藤村。
「え?おかしい…ですか?」
きょろきょろと見回す伊緒。確かに、道場内に今、道着を着ている者はいない。
「いや、別に問題ないよ。格闘技向けの動きやすい格好なら何でもいいんだよ」
「あ、私…無門会の道着に慣れておきたくて、基本的に着用してるんです」
「そっか。他流派出場…だったんだよな」
藤村は、六堂から電話で、伊緒が無門会には所属していないことや、来春に多流派としてオープントーナメントに出ることは聞いていた。
「しかし今日この時間ちょうど空いててよかったよ。このあと二十時からも他の出稽古の奴もいてさ」
「出稽古の希望者多いんですか?」
「ま、そこそこね」
「さっきの人も、希望者でしたよね。門前払いされたけど…」
「ん?あー、安平?いいんだよ、あいつぁ。非常識なんだから」
聞けば、“安平”は、広島にある同系列の道場所属で、無門会オープントーナメントの男子軽量級の前年王者らしい。
藤村曰く、メチャクチャ強いが、一般常識のネジが何本か足りないらしい。
海外遠征で、荷物見ておけと言ったにも関わらず、そこで居眠りをして、置き引きされたらしい。
「ま、でも、よく言えば純粋な奴で、だから強くなったんだ。きちんと謝罪と、改めて挨拶に来たら、受け入れてやるさ」
「はは…広島から来て、追い返されたのか。しかも…先生のこと、あのやろーとか言ってましたねぇ
「そういうことを悪気なく言う奴なの。さ!あんなバカチンのことはどうでもいいさ。まずは君の力量チェックから、始めるぞ」
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