第六十話 嫌がらせと、喧嘩

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第六十話 嫌がらせと、喧嘩

 六堂は、頭を掻きながらため息をついた。 「…藤村さん、伊緒(かのじょ)を強くしたのは、実のところ私じゃあないですよ」 「あ…?」 「別に指導者がいましてね。ほら、青南の…武術部所属って言ったでしょ?顧問がいるんです。私は、無門会の大会に向けて、基礎的なことを一から見直してるに過ぎません」  六堂は、笑顔でそう説明をするが、藤村は少し納得の行かない顔をした。 「へえ…そうなんですね」 「ええ…。ま、そういうことです。今夜は遅いですから、この話はまた改めてしましょう」  六堂はそう言うと、話を切り上げようと軽く頭を下げ、背を向けてこの場を去ろうとした。  すると、藤村は圧を飛ばした。  後ろ向きとは言え、それに気づかない六堂ではない。  まるで強烈な打撃を打ち込んで来たと思わせるほどの圧力を、ビリビリと感じた。    だが藤村は、そんな六堂の背中を見て、逆に驚き、冷や汗が出るのを感じ、そして嬉しそうに笑った。 「たまんねえ…、探偵さん。背を見せてるのに隙がまったくない。銃弾でも避けちまいそうだ」 「……」 「それにあんたぁ、何だか良くない(にお)いがしますねぇ」  帰ろうとしていた六堂に、藤村はそんなことを言い放つ。  一瞬間を空け、踵を返す六堂は困った顔をした。 「…(にお)い、ですか」 「あー勿論、汗臭いって意味じゃあないですよ。若いのに、相当な修羅場潜ってそうだと思いましてね…」  六堂は、藤村のギラギラした顔を見つめると、また眉根を寄せて苦笑した。  藤村のその目は、自分のことを理解している目だからだ。 「……解るんですね」  六堂が問うと、藤村は少し悪そうな笑顔を見せた。 「…昔、無門会の創設初期は、喧嘩が日常でした」 「喧嘩?道場を営む者が、喧嘩なんて…」 「それが昔はあったんですよ。館長や内弟子たちと、道場に嫌がらせに来る他流派やヤクザ連中とも散々喧嘩してました。だから血の臭い、黒い臭いには、結構鼻は効きますよ」  無門会空手の館長、“西(にし) (たけし)”。  西が無門会空手を立ち上げた時、色々な所から嫌がらせをを受けた。  一言に空手と言っても、色々ある。ありすぎるほどに。  “柔道”と異なり、あらゆる団体、流派が混在するのが空手だ。  そして空手は、昔からどうしても黒い組織との繋がりがある団体が多く、それが大きな団体であるほどその繋がりが深い。  構成員を鍛えさせる代わりに、常設道場の場所を提供したり、家賃の肩代わりをするなど、持ちつ持たれつの関係がある。  それ故に、空手団体は、縄張り意識が強いのだ。  新しく流派を旗揚げし、団体を創ると、必ずといって良いほど、既存の空手団体から圧力があり、またそのバックにいる裏社会の人間が嫌がらせに来ることもあった。  無門会空手も、例外なくその被害を受けた。  特に無門会は、“突きと蹴りのみでは本当の護身になりえない”という考え方から、道着の掴みや寝技を取り入れており、そのことについて既存団体からは、『お前らのは空手じゃない』とそれはそれは執拗な嫌がらせを受けた過去があった。 「うるせえよ、馬鹿野郎って。俺は基本スタイルはムエタイだが、寝技も投げ技も出来る。服を掴まれて密着されたら正拳もクソもねえだろうって…。“丹波(たんば)文七(ぶんしち)”を少しは見習えって…俺ぁ若い頃よく近所の他団体に言ってました」 「たんば…?」 「…“餓狼伝”。架空の空手家ですよ。漫画読みませんか?」 「え、まぁ、あまり」 「あ、そうですか。ま、それはいいとして…。今じゃあね、うちも青少年の教育だとか、社会に寄与貢献とか言ってますが、創設当初の頃は、まず世間への強さの証明でした」  無門会空手を創設して間もない頃は、百貨店やスーパーでイベントを開催。組手やバット折り、板割り、時には氷柱割りという、パフォーマンスを方々で行ったという。  そういったことは、実戦空手を主とする無門会の考えに反していたが、世間への認知度を高めるための方法として行っていたのだ。  また、時にはヤクザやチンピラとの喧嘩も、世間での無門会の強さの証明となり、いつしか裏社会も無門会とは一定の距離を置くようになっていったという。  西は、例え貧乏団体であっても、裏社会との繋がりを持たないことを徹底させたのだ。  そして、その時に、無門会最強集団と呼ばれるようになったのが、当時の内弟子と呼ばれる者たちで、その者たちは今は後進の育成に力を注いでいる。  その一人が、藤村であった。 「無門会空手は、当時は“喧嘩空手”なんて呼ばれたりもしてました。館長のお陰で今じゃ日本一クリーンな空手団体ですよ。体育館借りるか、うちみたいに狭い道場ばかりですがね」  話を聞き、藤村という男から放たれる圧が、凄い理由が解った六堂は、軽く頷いた。 「なるほど…。それじゃあ、私のことも色々臭ったわけですね」 「ええ、血の臭いってやつがプンプンね。今はカタギなんでしょうけど、見た瞬間にこいつはヤベエのが来たなって思いました。でね…俺も久々に血が騒いで、探偵さんに興味が湧いちゃったわけです」 「湧いちゃったって…挨拶に来ただけなのに、どうしようってんです?まさか襲い掛かって来る気じゃあないでしょう」  六堂が困った顔を見せると、藤村は親指を立てて、後ろを指し示した。  その先にあるのは、小型のリングだ。 「ま…襲い掛かっても対応しちゃうんでしょ。団体の看板背負って道場やってる身なんでね、今じゃ喧嘩なんてしやしませんて。だから、リングで組手(スパー)やってくれませんか?」  六堂は、チラッとリングを目にすると、首を横に振った。 「…お断りしますよ。私に何のメリットもない」 「メリット?それじゃ…青内ちゃんの出稽古…来春のトーナメントまでに、週一で指導しますよ。どうです?それで一ラウンド」 「…俺は武道家でも格闘家でもないんで。それに出稽古の件は、あいつが望むか確認しないと」  なかなか首を縦に振ってくれない六堂に、藤村は眉間に皺を寄せて苦笑いをした。 「分かりました。今夜は諦めます」 「今夜は?」  首を傾げる六堂に、藤村は嫌な笑顔を向ける。 「ええ。青内ちゃんが、またうちに出稽古に来たいって言ったら、その時はあなたとの組手が代金ですからね」  藤村が拳を向けてそう言うと、六堂は複雑な顔をしながら頷いた。
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