プロローグ

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プロローグ

2000.3.31 -THURSDAY-  メディアが無駄に騒いだ“2000年問題”も、生活に直結するほどの混乱は起きずに終わり、二十世紀最後の年は淡々と流れていた。  そんな年度末の春休み時期。  ここは“私立青光学園高等学校”。  在校生が部活をしている音が聞こえるが、歩いている生徒はまばらで、学校敷地内や周辺は結構静かなものだった。  今日は、来月に入学を控えている生徒の登校日。  新入生となる生徒たちが、入学式の概要説明や、四月からの新しい高校生活にむけてのスケジュール等の話を聞く日である。  敷地内の駐車場には、そんな生徒たちの送り迎えをする保護者の車が多く停まっていた。  さすが私立高というべきか、来客用の駐車場が広く、敷地外周辺で路上駐車しているような車は殆どなかった。  もちろん一人で来た生徒も大勢いるが、慣れない場所に遠くから来る生徒、特に女子生徒は車で送り、待機している親が多くいるようだ。  そんな待機している複数の車の中に、“黒のシビック”が停まっていた。  運転席に座っている人物は、高校生の子を持つ“親とは思えない、そんな若い男だった。  男の名は、六堂(りくどう) 伊乃(いの)という、年齢は二十四歳と、間違いなく高校生になるような子の“親”ではない歳であり、誰か生徒の兄や親戚なのかといえば、それも違った。  実は、来月入学予定の生徒の中に、彼の“知り合い”がいる。  名前は益田(ますだ) 美雪(みゆき)。  六堂は、その美雪の母親に、今日の登校日の送り迎えを頼まれていた。今ここで待機している理由はそれである。  美雪の家は母子家庭。母親は毎日忙しく仕事を休めずにいた。  丁度よく“仕事が入っていなかった”六堂は、快く母親の頼みを聞き入れた。  彼の仕事というのが“私立探偵”だ。  国家資格“ディテクティブ・ライセンス”を持ち、拳銃も所持している、一般的に見れば特殊な職業だろう。  休みなく多忙なこともあれば、今日のように丸一日何もない日もあった。  ちなみに彼は、探偵としては、いわゆる“腕利き”だ。  四ヶ月前の十二月、日本を震撼させたテロ事件が、ここ東京で起きたのだが、彼はその事件の裏に潜む黒幕を暴き出した人物の内の一人だった。  もっとも、そのことはメディアに取り上げられることもなく、関係者しか知らないことではあったが、“その話”を差し引いても、彼の仕事ぶりは一流であると言えた。  そんな腕利き探偵に、青春真っ只中といえる少女の知り合いがいるというのには訳があった。  もともと六堂と親しいのは美雪ではなく、その姉の方。美雪には、七つ年上の姉がいた。  その姉と六堂は、小学生の頃からの幼馴染で、また母親とも当然その頃から顔馴染みだ。  しかし悲しいことに、美雪の姉は昨年、仕事中に命を落とし、既にこの世を去っていた。  益田家は母子家庭で、女三人家族だったが、幼少の頃から娘二人を守ってくれる六堂は、母親から見ても、頼れる“息子”のような存在だった。  だから母親は、年頃の(みゆき)を“大人の男”である六堂に安心して任せているのである。  そして六堂と美雪の姉は、互いに想い合っていた。  二人が一緒になることはなかったが、六堂にとってみれば、美雪は大切な女性の妹であり、そして自分の妹のような存在でもあるのだ。  赤ん坊の頃から知っている美雪が、少しずつ姉のような容姿になっていくのが、何とも複雑な思いはあったか、とうとう高校生になったのかと、その成長に感慨深いものがあった。 「あーあ…平和(ひま)だねえ」  六堂は車の窓を開け、暖かい春の風に当たっていた。 a84085d8-df8e-4a3a-ba51-9b4439e73049  ラニンニングの掛け声、金属バットにボールが弾かれる音、ブラスバンドの演奏…、敷地内から聞こえる“部活動の音”が、六堂には少し懐かしく感じていた。 ――遅いな、一時間くらいで終わるんじゃなかったっけ?  退屈した六堂は、車を降りて敷地内を歩くことにした。  車のロックを掛けると、両手をポケットに、のんびりと歩を進めた。  蕾膨らむ桜の木の下を通り、少し奥に進むと体育館が目に入る。  扉が開いている出入り口から、中を覗き見るとからは、ボールをダンッダンッと弾ませる音と、キュッ、キュッとシューズの音が聞こえてくる。  バスケ部の練習だ。  高校時代、クラスの一番の友人は、バスケ部の副キャプテンだった六堂。卒業してから一度も会っていないが、元気にしているだろうかと、ふと思い出す。  他の場所の部活も覗いて見ようと、体育館を離れると、一人でストレッチをしている生徒が目に入った。  校舎と体育館の間にある木々が並んでいる目立たない場所で、何か建物はあるようだが、運動部が活動をする場所とは思えない。  それが何となく気になった六堂は、そっとその場所に近づいた。  女子生徒だ。体育着姿で、髪の短い、小柄な少女。手首にテーピングを巻いていて、背筋が自然にピンと張っている、とてもバランスのいいスタイルの、女の子。  六堂は、一目で、彼女のそれが普通でないことが伝わった。 ――何してるんだ?  ストレッチを終えた女子生徒は両肩を回し、地面に置いていたグローブとレガースを着け、タイマーのボタンを押す。そしてサンドバッグが吊るしてある太い木の前に立った。 ――え?サンド…バッグ?あれ、やるの?  女子生徒は、足を前後に開き、両拳を構える。そしてピーッ!とタイマーが鳴ると、サンドバッグに拳や蹴りを打ち込み始めた。  ドゴッ!バンッ!バンッ!  鳴り響く激しい音に六堂は目を疑った。とても女子がやるような威力ではないことに…、いや、一般高校生のレベルとは思えないその打撃の打ち込みにだ。  立ち方からバランスのいいスタイルだとは思ったが、スピードを見ても打撃に関しては完璧と言えた。  探偵の試験には、徒手での格闘戦もあり、当然六堂も武道、格闘の心得はある。だから、一目で彼女の凄さを理解した。 ――凄いなこの子…  しかし一つ疑問があった。  これは“何を”しているのだろうと。 ――空手部や少林寺拳法部でもなさそうだし…  三分が経過しタイマーが鳴ると、打ち込みを止める女子生徒。「ふうっ」と深く呼吸をするが、息が乱れていないことに、更に驚かされる。 「…誰?」  視線と気配に気づいた女子生徒は、六堂の立っている方に顔を向けた。  目が合う二人。  女子生徒は眉根を寄せ、物凄く怪訝な顔をした。  こちらを向いたそんな彼女の顔を見て、六堂はふと目を丸くした。 ――ん?あれ?知っている、俺、この子知っているぞ…、いや、気のせいか?  タイマーはインターバル機能付きのようで、次のラウンドの開始の音が鳴ったが、女子生徒は音を無視して六堂に少し近づき目を細め、「誰なの?」ともう一度尋ねた。  はっとした六堂は、軽く握った手を口元に当てて軽く咳払いをした。 「…ああ、ごめん、君の邪魔するつもりはなかった」  苦笑する六堂に、首を傾げる女子生徒は、腕を組んだ。 「…新任の、先生?」 「え?あ、いや、そうじゃないけど」  曖昧な返答に、怪しさを感じた女子生徒は、眉間にしわを寄せ、更に近づいて六堂の顔を見上げた。 「あなた……“怪しい”わね」  女子生徒が疑うのには理由があった。  最近、こうした学内が無防備な時に、女子生徒の制服や上靴の盗難事件が起きているのだ。さらに、カメラを持った不審な男の隠し撮りも問題になっていた。 「怪しい?俺が?いやいやいや、ちょっと待って」  慌てる六堂は事情を説明しようとするも、完全に疑いを持った女子生徒は、ムッとした顔で聞く耳を持たない。 「ひょっとして私のこと覗いてたんじゃないの?」 「は?」 「関係者以外の学校敷地内に入るのは、不法侵入になるんだよ。ちょっと来なさい!先生のところに連れて行くから!」  そう言い、六堂の手首を引っ張る女子生徒。見た目とはギャップのある、なかなかの握力だ。  サンドバッグを叩く打撃力を考えれば当然かとも思った六堂だが、そういうことを考えている場合ではない。 「おい、ちゃんと人の話を聞けってば!」  六堂は女子生徒の手から自分の手首を抜き払った。 「え、あれ…!」  驚く女子生徒。  逃げられないように結構キツめに握っていたにも関わらず、スルッと腕を抜かれたからだ。  握力に自信があったのか、女子生徒の顔は、悔しそうな表情にも見えた。 「ちょっと、落ち着いて聞けよ。俺は…その、あれだ。親代わりでここにいるんだよ」 「…はぁ?」 「ほら…来月入学するここの新入生が来る日だろ、今日は」 「そうなの?」 「……そう。その中に、俺の知り合いがいるんだよ。その知り合いの母親に、俺は送り迎えを頼まれている。分かったか?」  両手を前に出し、簡潔に説明した六堂の言葉に、女子生徒は半目で間を空けた。 「…その話を、信じろってこと?」 「信じるも信じないも…、事実だからな」  一瞬、顔を合わせると、少し間を空けた女子生徒は苦笑し、背中を向けた。 「ああそう。まぁあいいわ…分かった、信じる」  疑いの顔から一転する女子生徒に、六堂は唖然とした。 「え!あ、おい……ってか、信じるかのよ」 「何?それとも、やっぱり変質者か何か?」 「いや、だから違う。そんなわけないだろ」  女子生徒は、また肩を回す。  「…私ね、人を見る目あるんだよ、あなたは嘘は言ってないって、目を見て分かった」  笑顔でそういうと、インターバルタイマーをセットし直し、女子生徒は再びサンドバッグへの打ち込みを始めた。  さっきと変わらない、激しい音を立てて、サンドバッグを揺らす。 「…君、聞いて、いい?」 「っなあに!?」 「これ、何やってるの?」 「ええ!?部活よ!部活動っ!!」  女子生徒は、打ち込みを止めることなく、返答した。 ――部活?部活ね…  もう少し話を聞いてみたい六堂だったが、校舎の方がガヤガヤし始めるのが聞こえてきた。 「…お!終わったか」  新入生たちがゾロゾロと出てくる様子を見ると、六堂は女子生徒に「それじゃ」と言い残し、その場を後にしたのだった。
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