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階段を一人の小さなおばあさんが上ってきた。緩やかにカーブを描いた背中を揺らして、階段の手すりを片手で掴みながら上ってくる。ああ、何年ぶりだろう。ずいぶん小さくなったんだな。
そのおばあさんが階段を登り切ろうとしたとき、うまく上がらなかった右足が最後の段を踏み外した。
「ユイ!」
一瞬のことだった。俺の身体は改札からするりと抜け、気づいたときには小さくなったユイの手を掴んでいた。
ユイは体勢を立て直すと足元を見ながら「ありがとうございます」と言って顔を上げた。細かい皺がたくさん刻まれた顔。目尻に入った一番深い皺が、ユイの人生を物語っていた。
「…大丈夫ですか」
一拍遅れて俺の声が耳に届く。ユイはそのままの表情で一瞬固まると、思い出したかのように「大丈夫、ありがとうございます」と言った。
ユイの手を掴んでいた俺の手は、紛れもなく24歳の手だった。ユイが少し困ったような顔をした。
「あ、ごめんなさい」
シワシワで指の曲がったユイの手を、理性を持って離す。次の言葉が出てこない。言いたいことが、あんなにあったのに。
「気を付けてくださいね」
俺はそう絞り出すと、ユイに背を向けた。今何を言っても頭のおかしい人だと思われるだろう。ユイは、ちゃんとこれからも生きるんだ。そしてあたたかいベッドでカエデに見守られて息を引き取るんだ。そこに俺はいられないけど、こんなに幸せなことはない。
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