0人が本棚に入れています
本棚に追加
「コウちゃん」
ユイが俺の名前を呼んだ。思わず振り返ってしまう。そこに立つユイは髪に緩くパーマを当ててロングスカートを履いたあの時のユイだった。
「あ、いえ、ごめんなさい」
腰の曲がったユイが顔を下に向ける。
「昔好きだった人に、似ていたもんだから」
好きだった人。
喉が締まる感覚がして慌てて息を吸う。俺はちゃんと、ユイの好きな人だったのか。
「じゃあ」
ユイが俺の横を通って改札へ向かおうとする。
「あの!」
突然大きな声を出した俺に驚いたユイが振り返る。
あの日、一緒にいられなくてごめん、飲み過ぎてごめん、かわいいって言えなくてごめん、傷付けてごめん、太ったっていいよ、もっと怒っていいんだよ、本当に、好きだったんだよ。
「お身体大事にしてくださいね」
ユイは軽く微笑むと、「ありがとう」と言って改札を抜け、人混みに消えた。
誰も喋らないくせに「うるさい」という言葉がぴったりの雑踏をぼんやりと眺める。どうかユイが、これから一生寒い思いをしませんように、つらい言葉をかけられませんように、もう二度と、無理に笑顔を作りませんように。段々と白っぽくなっていく景色の中、五十年以上前からそこにある改札の、ピッという音だけが響いた。
最初のコメントを投稿しよう!