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朝の通勤ラッシュが過ぎ去り、駅は平穏を取り戻しつつあった。この感じだと今日は月曜日だろう。ここには日付を確認するスマホもなければ、当たり前だがカレンダーもない。見えるのは券売機の並ぶいつもの光景だけ。この姿になっておそらく二年。これが夢であるならば、ずいぶんと長い夢だ。俺はなんとなくわかっていた。これは夢じゃない。おそらくここは、現代の地獄だ。
俺は地獄に堕ちたんだと思う。いや、正確に言うと堕ちるべくして堕ちたと思う。人を殺めたり、犯罪をおかしたりはしていない。ただ、俺は一人の人を真っ向から傷付け、結局最後までその事に気が付きもせず死んだ男だからだ。
ユイは本当に穏やかな人だった。何をされても笑っているような人。なぜ怒らないのかと一度直接聞いたことがある。その質問に対してユイは小さく笑って、「怒れないんだよ」と言った。その時はたぶん、「ふーん」と言って流したと思う。なにがふーんだよ。なにもわかっていなかったくせに。
後悔しかない。ユイの誕生日に高めのレストランに行き、美味しそうに食べるユイに「更に太るぞ」と言ったこと。珍しく遠出をしたデートで体調を崩したユイに「せっかく遠出してんのに」と言ったこと。あの日、「え、飲みに行くの?」と言われて「誘われたんだからしょうがないだろ」と言ったこと。俺はユイの鞄から俺宛の手紙が覗いていたことも、笑顔を崩さないユイがほんの一瞬だけ泣きそうな表情をしたことも、全部気付いていた。気付いていたけど、ケーキでも買って帰ればいいだろうと思っていた。そしてそれどころか、俺の誕生日に俺がケーキを買うのはなあ、くらいに考えていた。
顔も知らない人間が何度も何度も俺の身体を掠めるように通りすぎていく。ここには気を紛らわせる煙草も、YouTubeもない。後悔が後悔のまま存在することの苦しさを、俺はこの姿になって初めて知った。神様はこれが狙いだったんだろう。いくら反省しても絶対に許してもらえない環境で、死ぬまで、いやもう死んでいるのだからおそらくこの先ずっと、ない膝を抱えて己と向き合う日々。地獄は随分現代的になったものだ。
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