改札になった男

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ふと、なにかが香った気がして目を開けた。頭上でピッという音がする。どこか懐かしい匂い。長いスカートが俺のかつて肩だった辺りに当たる。そうだ、柔軟剤。家で使っていたやつだ。思い出した。たしかユイがお気に入りだからとか言っていつも海外のネットショップで買っていたやつ──── 息を飲んだ。ふわふわと緩くパーマをかけた髪、歩幅の狭い歩き方、少しふっくらとした後ろ姿、あの大きなグレーのバッグ。 “ユイ” 俺は出ない声で名前を呼んでいた。無意識だった。当の本人は辺りをキョロキョロ見回すと、「あ」と言って券売機の方へ駆け寄った。ユイが駆け寄った先で右手を上げる男。見覚えのあるひょろっとした体格。 「ユウトごめん、待った?」 「ううん、大丈夫」 ユウトと呼ばれた男はユイの持っていたエコバッグを指すと、持つよ、と言いながら手を差し伸べていた。照れたように笑うユイがユウトにエコバックを渡す。エコバックを肩にかけたユウトが行こっか、と言うと、2人は階段に向かって歩き出した。 “ユイ、ユイ” 俺は必死に名前を呼ぶ。俺にすら聞こえない声がユイには聞こえるんじゃないかと、バカみたいな望みをかけて繰り返す。2人は階段を降りてとうとう見えなくなってしまった。 ユウトは俺の幼馴染みだった。幼稚園から義務教育までの間を同じ学び舎で過ごし、高校こそ違う所に行ったものの、なぜか度々連絡を取り続けていたような、所謂腐れ縁のやつ。お前がなんで、ユイと。 考えているうちに、段々と胃袋が上がってくるような感じがした。当然今の俺には胃袋もなければ吐き出せるような異物もない。それなのに頭だった部分は熱を持ち、身体だった部分は締め付けられるように痛む。答えはわかっていた。わかりたくはなかった。ユウトは優しいやつだ。根っからのお人好し。俺が死んだあとのユイを、友人の視点から慰められるのはユウトくらいしか思い付かなかった。
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