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それからおそらく三年は経っただろうか。もう考えるのも面倒だが、俺が改札になってからずいぶん経った。私立小学校に通っていた小さな子供はもう大人のような顔つきになり、休日出勤ばかりするサラリーマンは転職でもしたのか最近めっきり見なくなった。こう見ると、大人って本当に変わらないな。俺は何か変われただろうか。
騒がしい金曜の夜が明け、土曜日の朝が来た。相変わらずぼんやりと券売機の方を見て過ごす日々。始発電車が到着したらしく、どこか間延びした喧騒がホームの方から聞こえてくる。ゆっくりとしたテンポで鳴るピッという音を頭上で響かせながら、改装されたばかりの券売機に手こずるおじいさんを眺めていたときのことだった。
ふわっとあの匂いが香った。ハッとして横を見る。ゆっくりと俺の横を通り抜ける、相変わらずのロングスカート、グレーのバッグ。そのバッグに違和感を感じて、離れていくユイの手元に視線を集中させる。ユイのバッグには小さなキーホルダーがついていた。ユイは階段の前で一度立ち止まると、少しだけ大きくなったお腹に右手を置いてからエレベーターの方へと歩き出した。
俺はたぶん、泣いていたんだと思う。
もちろん涙が出ることはないが、この時俺はたぶん、泣いていた。言葉にできるような感情とは程遠い、後ろからハンマーで殴られたような、熱い風呂に一気に浸ったときのような、喉を搾られむしられるような、それでいて、少し離れたところでヒーターに当たっているような、そんな感覚。そうか。そうか。
俺が生きていた頃、俺の地元はたしか、子育てにちょうどいい街ランキングみたいな名前の誰がつけたかもわからないようなランキングで1位を取っていた。それを教えてくれたのはユイだった。アパートのポストに勝手に投函される地元の冊子を俺に見せてはしゃいでいた姿が浮かぶ。あの時は、そうだ、なんでユイがそんなにはしゃいでいるのか見当も付かず、YouTubeの音量を少し上げたんだ。俺はなにも、本当になにもわかっていなかった。
エレベーターを待っていたユイが開いたドアの向こうに消える。
“ユイ”
もし俺に声が出せたとしても、今の呼び掛けが届くことはないだろう。おめでとうユイ、俺はたぶん、たぶんだけど、うれしいよ、ユイ。
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