改札になった男

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ユイは本格的にこの街で暮らすことを決めたようだった。仕事もここから通っているのだろう、小さいキーホルダーが付いたいつものバッグを持って、毎朝のように早足で駅構内を歩くユイを見かけるようになった。休日にはユイの親御さんたちを一緒に見かけることもあった。それからユイのお腹がはち切れそうに大きくなるまで数ヶ月、ユイの夫らしい男を見かけることは一度もなかった。 なんとなくわかっていた。ユイは結婚をしていない。おそらくお腹の子の父親とユイはもう会ってもいないんだろう。「怒れないんだよ」と言ったユイの表情を思い出す。今の俺なら、その言葉になんて返すだろう。 そこからまた数ヶ月後、開いたエレベーターからベビーカーが覗いた。続くユイの姿。駆け寄りたかった。手を取りたかった。隣にいたかったと思いながら、ゆっくりとこちらに来るユイを見る。ユイは一番端の改札をゆっくり通って、俺の視界から外れてしまった。ユイは健康そうだった。顔の血色もいいし、表情も心なしか明るかった。よかった。よかった。 後からわかった事だが、ユイの子供は女の子で、名前はカエデと言うらしい。カエデは姿を見せる度に大きくなり、脚の生えた抱っこひものような姿から、そのうちに自分で歩くまでになった。俺の脇を2人で通るときは必ずカエデがSuicaを持って、ユイがカエデを抱えて通っていた。俺の頭上でピッという音が鳴り、カエデが幸せそうに笑う。「上手だね~」と言うユイの顔が本当に嬉しそうで、俺はやっぱり泣きそうになってしまった。こんなに幸せそうな人たちを俺は初めてみたし、それ以上に俺自身が満たされていた。俺はこのままここでユイたちを見守ろう。ユイの幸せを作ることはできなくても、ユイの幸せをずっと見守ろう。
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