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私は性懲りも無く山科さんの部屋の前にいた。いつもと同じように、チャイムを鳴らす。
別に「昨夜のことを忘れよう」と話をされるだけなら、電話でよかった。
けれど、バカな私は数百分の1もの確率である「麗子さんと別れるから」という発言をしてもらえる夢物語をどこかで信じていたのだと思う。
いつもと同じように「勝手に入ってきて」とメッセージが届いた。
だから、玄関の戸を開けて勝手に入ると、山科さんはいつも通りベッドに寝ていたけれど、今日は何故だか部屋が散らかっていなかった。
「今日は散らかしてないんですか?」
「さっき、自分で片づけた」
「そうですか、じゃあ私は何をすれば」
すると山科さんはベッドから起き上がって正座した。私も雰囲気に飲み込まれて正座する。
「昨日のことなんだけど」
傷つけられる前に自分から切り出そう。
「いいですよ、別に気にしなくて」
「そういうことではなくて」
山科さんは私の目を見つめた。
「ちゃんと麗子さんと別れるから、だから内田さんと付き合おうと思う」
夢にまで見た瞬間だった。
まさか、そんなことを言われる日が来るなんて思いもしなかった。涙を流して「嬉しい」と彼に抱きつきたい。
けれど、山科さんの背後には「ビッグになる」と張り紙が、私に強力に睨みを効かせている。
そう、親御さんに紹介までされた今、麗子さんと別れたら彼の会社での立場がない。
私は山科さんをビッグにしてはあげられない。夢は叶えてあげられない。
だから、私はこの人の前から去らなければならない。
「何バカなこと言ってるんですか?昨晩はただ単に現実の男としてみたかっただけで、あなたに特別な気持ちなんてこれっぽっちもないです」
山科さんは唖然と私を見た。
「私は侑士さんみたいな、いい家のおぼっちゃんと結婚して主婦になるんです。それが幸せでしょ?バカなこと言うの辞めて下さい。結婚も決まりそうなので、もうここには来ないですから今後、個人的な連絡するの辞めて下さい。昨晩のことはお互いに綺麗さっぱり忘れましょう」
山科さんの顔を見られない。
部屋から出て行く時に捨て台詞も追加した。
「昨日のこと、良心の呵責がとかなんとかで麗子さんに言うの絶対辞めてくださいよ。両親同士仲良いからいざこざは困るんです」
山科さんの部屋を出ると、空は夕焼けに包まれている。カラスが泣きながら空を飛んでいた。もう家に帰るのだろう。
私も泣きながら、家に帰ろう。
一時間後、家につくとまだ妙ちゃん達が居てくれていた。
私の泣き顔を見て、二人は私を抱きしめてくれた。
「優美がそう決めたんだったら、その道を応援するよ」
「そうです、私たちは優美さんの親友ですから、どんな時も味方です」
二人は新刊を私に勧め、私もそれを読んで少し正気を取り戻した。
いつか、この悲しみを忘れる日は来るだろうか。
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