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番外編の番外編 五十嵐には言えない話 1st mission 潜入!安房国
いつでも泊まりに来いよ、と確かに山口は言った。
半分は社交辞令のつもりだったのだが。
「山口さぁーん!」
改札の向こう側。
人波の中、ひときわデカい短髪の男がこちらに手を振っている。
改札を出るや否や、一目散に山口へと向かってくる大男…荒井大地の背後から、ドスの効いた声が響く。
「ちょっとっ!待ちなさいよっ、大地!」
東雲聖香が荒井を追いかけて走ってきた。
五十嵐恵多がいうところの『いつもの光景』を今、山口は久しぶりに目撃している。
「いやぁー。東京は人が多いっすねぇー。って。山口さんち、ここなの!?凄っ!!」
三十階建のマンションを見上げて、荒井が叫んだ。
エレベーターで三十階まで上がり、「どうぞ」と言って二人を招き入れる。
惚けた顔で突っ立っている荒井の脇から、東雲がにゅっと顔を出した。
「山口。あんた投資でもやってんの?その歳でタワマンの最上階に一人暮らしとか気ぃ狂ってる」
「俺ですか?特に何もやってませんね」
「じゃあ何?有閑マダムに飼われてるとか?」
「うーん。飼われてはいないけど…まぁそっちの方が近いかな?」
「何ですって!?詳しく!」
「祖母が弁護士事務所やってて、めちゃくちゃ金持ってるんですよ。何でか昔っから外孫の俺を猫可愛がりしてて、車だのマンションだの買い与えられちゃって」
「う、う、う、羨ましいっ!」
荒井が叫ぶ。
「顔も良くて頭も良くて仕事も出来て家が金持ちって!あなた一体前世でどんな徳を積んだんですか?世の中不公平過ぎるぅぅぅうーっ」
「大地、確かにあんたの言う通りよ。でもよーくご覧なさい。幸運の上に胡座をかいてるせいで、この男は女と三ヶ月以上続いたためしがないのよ。開き直って爛れた性生活送ってる間に、五十嵐くんに先越されちゃうんだから」
「っ」
その通り過ぎて山口には何も言えない。
「爛れた性生活…羨ましい」
荒井が呟く。
「ちょっと東雲さん、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。ああ、部屋空いてるんで一部屋ずつ使ってください」
山口が指差すと、二人は「はーい」と返事をしてそそくさと荷物を移動させた。
「うわっ!怖っ!ここ床が透明ですよ、東雲さんっ!落ちたらどうしよう」
荒井が声を上げる。
「床がなくなってから落ちる心配しなさいよ」
東雲は窓ガラスに張り付いて、振り返りもしない。
山口は笑いを噛み殺しながら、二人の後ろを付いていく。
事前に予約していたバスツアーまで時間があったので、行きたいところはないか?と訊いたら荒井は迷いなく「スカイツリー!」と答えた。
なのにまさかの高所恐怖症で、ガラスに近寄りもしない。
今日はあいにくの雨で展望が悪く、東雲は眼下に広がる雨雲に向かって、「どきなさいよ」と文句を言っている。
こんな調子だったのであまり楽しめなかったのではと気になったが、二人とも世界一高い建物にのぼったとすこぶるご機嫌だった。
あの五十嵐が仕事以外でも彼らとつるんでいることに納得する。
女の機嫌を取りながらデートするよりずっと気楽、いや、気楽どころかまったく気を遣わない。
何かと騒がしいのに不思議と居心地がいいのは、ふたり揃って言動に嘘がないせいかもしれない。裏を返せば山口にどう思われようが気にしないということなのだろうが、そこはお互い様である。
その後、バスツアーで東京タワーにのぼり、荒井は再び大騒ぎしていた。
一日遊んでマンションに帰ってから、三人は車でとある場所に移動した。
助手席の東雲が、「いよいよ本丸に突撃ね」と山口を見上げる。
「例の情報、間違いないわよね?」
「ええ。昨日、五十嵐本人に確認しました。今晩データ取りで大学に泊まり込みするってのは間違いなさそうです」
「了解。将を射んと欲すればまず馬を射よ。早速お孫ちゃんに電話するわ」
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