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凱はジャージの上から上着を引っ掛け、サンダル履きでマンションを出た。
来客用の駐車場にドイツ製の高級車が一台停まっている。
運転席のウインドウが下り、山口が顔を出した。
「こんばんは。突然ごめんね」
そう言って、爽やかな笑顔を浮かべる。
爽やか過ぎて若干胡散臭く思えてしまうのは、凱だけだろうか。
「…いえ」
「ここじゃ何だしさ、車に乗ってくれる?」
山口が後部座席を親指で差し示す。
「やっほー!久しぶりっすね!」
凱がドアを開くと、荒井大地が座っていた。
「隣どぞっ」
荒井がポンポンと革製のシートを叩く。
凱が乗り込むと、東雲が助手席側からひょっこり顔を覗かせた。
「お孫ちゃん、久しぶり。あらやだ相変わらず恐ろしい顔面偏差値ね。さすがの山口も霞んでみえるわ」
「東雲さん、降ろしますよ?」
そう言って、山口はアクセルを踏んだ。
車は暗い山道を下り、麓の県道に入る。
「お茶するだけだし、あそこでいいんじゃない?」
東雲が指差したのは全国チェーンのドーナツ店だ。
「ていうか、私今、猛烈にドーナツ食べたいのよ」
「俺もっ!俺も食べたいっす!」
荒井の目が輝く。
二人は相変わらず甘いものに目がないらしい。
「ちょっとドーナツのおかわり買ってきまーす」
荒井が立ち上がり、カウンターへ向かう。
一体いくつ食べる気だ。
ストロベリーチョコレートでコーティングされたドーナツを美味そうに頬張る東雲の隣で、山口海渡がティーポットからカップへと二杯目の紅茶を注ぐ。
ポットをテーブルに戻すと、山口はおもむろに話を切り出した。
「実はさ、五十嵐のことで相談があってね」
「?」
一体何の?
凱が首を傾げると、「この際だし君には洗いざらいぶっちゃけるよ」と言って、山口は語り出した。
「五十嵐って、職場の女性たちから秋波を送られてもオールスルーでさ、俺が合コンをセッティングしても固辞してきてたんだよね」
「…」
「あっ、今はそんなことしてないよ。めでたく人生初の恋人が出来た訳だから」
「…」
「五十嵐はあの歳までアッチの経験も皆無でさ、相手の迷惑にならないか、やたら気にしてたんだよね。もしそういうことで悩んでたら、お孫さんからも同じ男としてアドバイスしてやってほしい」
「はぁ」
何と答えていい分からず曖昧に頷くと、山口はついと顔を近付けて声を潜めた。
「実は避妊具とか潤滑剤のことも相談されたんだけど、サイズきいたらあいつああみえてスッゲエ巨根でさ」
途端に東雲が目を輝かせる。
「何ですって!?五十嵐くんが巨こ…んぐっ」
「東雲さん、落ち着いて」
山口が静かに東雲の口を塞ぐ。
それは…。
それは恐らく恵多ではなく凱のサイズのことだろう。
「凄いこと聞いちゃったわ…一体何拍子揃ったら気が済むのかしら…で?五十嵐くんのサイズはいかほど?」
「俺が愛用してるシリーズの、一番大きいサイズでぴったりだったらしいです」
東雲は聞き取りをしながら猛スピードでスマホにメモしていたが、突然手を止めて山口を見上げた。
「待ってちょうだい。いま何て言った?ぴったり「だった」?それ過去形よね?使ったってこと?五十嵐くんが衝撃のDTってとこまでは聞いてたけど、まさか…まさかついに火を噴いたのっ!?五十嵐くんの巨こ…むぐっ」
山口は素早く東雲の口を塞ぐ。
「ごめんね、お孫さん。いきなりこんな話されても戸惑うよね」
「…いえ」
もう、どんな顔をして山口の話を聞けばいいのか分からない。
「相手がビッチ…じゃなかった、かなり経験豊富な子らしいんだ。五十嵐はまるっきりの初心者だった訳だし、男としては負い目もあるだろうしさ。巨根過ぎてうまくいかない可能性もあるだろ?人知れず悩んでないか、ちょっと心配なんだ。あいつ生真面目だから何でもちゃんとしなきゃって思いがちだし」
「…恵は最近、あんたに相談してないのか?」
「うん。時々ざっくりした質問されることはあるけど具体的なことは何も。こっちから訊いても、自分と交際していることが知れたら相手の将来に関わるから詳しいことは話せない、の一点張りでさ」
「あらあら。相手の子、もう大学生でしょ?五十嵐くん、案外心配性なのね。それとも皆にみせたくないのかしら」
いや、相手が凱でなければ…凱は男で、しかも学生だ…躊躇なく今日ここにいる皆に紹介しているだろう。
マークには紹介したいといわれたし(顔もみたくないので即座に断ったが)、凱の両親にも挨拶に行きたいといわれている。だが、母親を刺激するのは得策でない、学生の間は待ってほしいと頼んだら、卒業後でいいから別宮家にだけは必ず挨拶に行かせてくれと頭を下げられた。
全ては凱を守るためで、五十嵐恵多は逃げも隠れもしない男だ。
…と言いたいが、二人で話し合って、凱が社会に出るまでは他言しないと決めたので、凱はただ、黙るしかない。
「ま、上手くいってるならいいんだけどさ」
ぽそりと山口が呟く。
東雲がじっと凱をみた。
「ねぇお孫ちゃん、五十嵐くんから何か聞いてない?一緒に住んでるんだし、目撃情報とかないの?誰か来てたとか、来てた気配があるとか」
「いや…」
「じゃあさ、誰かと電話してる様子とかある?電話の相手と揉めたりとかしてない?」
「いや…」
東雲がうーんと唸って腕組みする。
「さすが五十嵐くん。同居してるお孫ちゃんにも尻尾を掴ませないなんて…」
「なになに?尻尾がどうしたんすか?猫でもいるの?」
ドーナツの載ったトレイを手に戻ってきた荒井が、キョロキョロと辺りを見渡す。
「かくなる上は、私達が尻尾を掴んで完全犯罪を暴くしかないようね」
「猫が完全犯罪っ?」
「大地、いいから座って。お孫ちゃん、私達に協力してちょうだい。五十嵐くんには絶対に秘密よ」
雲行きが怪しい。
どうしたものかと凱が考えていると、東雲はバッグの中からタブレットを取り出してテーブルの上に置いた。
「せっかくここまで来たんだもの。絶対に五十嵐くんの幸せを見届けて帰るわよ。分かったわね?大地」
「…五十嵐さん?猫は?」
「猫は忘れて。さあ、作戦会議を始めましょう」
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