番外編の番外編 五十嵐には言えない話 1st mission 潜入!安房国

7/7
前へ
/37ページ
次へ
「あーあ、収穫なしかぁ」  唇を尖らせて、東雲がエレベーターホールへ向かう。 「俺、五十嵐さんの顔みたかったっす」  後に続く荒井が、残念そうに呟いた。  そうか。  山口は東京本社でたまに顔を合わせるが、五十嵐の異動以来、彼らにはそんな機会もないのだ。 「今からでも五十嵐に連絡して、普通に会う約束したら?別に問題ないよね?」  山口が振り返ると、凱は首肯した。 「恵は明日から連休だ。ブラウンのおっさんはアメリカに帰ってるし、これ以上仕事で振り回されることもないだろ」 「やったぁ!」  荒井は小さなガッツポーズを作り、顔を輝かせる。  山口はエレベーターのボタンに手を伸ばしかけて、ふと東雲を振り向いた。 「東雲さん。俺思うんですけど。五十嵐があれだけ頑なに恋人の素性を隠すのって…それ相応の理由があるんじゃないかなって」 「事情って、例えば?…まさかJK改めJDは隠れ蓑で、人妻と不倫してるとかじゃないわよね?」 「あ、俺も真っ先に訊いたんですけどそれはなさそうです。誰かと婚姻関係にある人と交際するなんて有り得ない、相手の家族も傷付けることになるんだぞって。あいつにしてはかなり強い口調で否定されて、びっくりしました」 「あー」  凱が漏らした小さな反応を、東雲は見逃さなかった。 「お孫ちゃん、何か知ってるの?」 「…まぁ多少は」 「何かあったのかしら?」 「あー。そこらへん恵もあんま話したがらないから、出来ればそっとしといてやってくれ」 「そう」  凱の真剣な表情をみて、東雲は追及をやめた。  山口は感心した。  凱とは知り合ってから一年も経っていないはずだが、五十嵐はかなり踏み込んだ話をしているようだ。  山口の知る五十嵐は、基本的に人に弱みをみせない。  凱は五十嵐にとって、余程信頼に足る人物なのだろう。 「東雲さん。五十嵐のこと心配でしょうけど、お孫さんに任せませんか?彼が側にいるならきっと大丈夫ですよ。俺、今日会って確信しました」  凱が僅かに目を見開き、荒井はうんうんと頷く。 「俺も同じこと思ってたっす」 「…まぁねぇ。物理的にも距離があるし、今は遠くから見守るしかないのかも。でも決して諦めた訳じゃないのよ。いつの日か必ず真実をこの手に…っ」 「大袈裟っす」  全員が車に乗り込むと、山口はエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。 「さて、帰りますか」  大学のある山の上から中腹辺りまでは街灯がほとんどなく、ハイビームのヘッドライトだけが行く道を照らしている。  助手席で、東雲がふと口を開いた。 「五十嵐くん、お孫ちゃんさえいたら女なんか要らないんじゃないかしら」 「いやぁ、彼女は別口っしょ」  後部座席から荒井が身を乗り出す。 「けど俺、五十嵐さんがあんだけ誰かに甘えてるの初めてみたかも」 「うん。俺もそう思った」 「いっそお孫ちゃんが彼女なら安心なんだけど」 「ええ。俺もそう思いました」 「あっ、そだ。俺、今から素知らぬフリで五十嵐さんにお伺いメッセージ送りますね」  荒井がスマホを取り出し、五十嵐にメッセージを送る。 「えーと。『こんばんは。夜分遅くににすみません。実は今、東雲さんと東京に遊びに来ています。山口さんちに泊めて貰ってるんですけど、明日あたり会えませんか?』と。よし、送信」 「へぇ。そういうことしれっと出来るようになったのね。大地も大人になったわ」 「いやぁ。お孫さんみてると俺もしっかりしなきゃって思うっすよ。さっきだって、五十嵐さんを傷付けないために、黙って俺らのこと部屋に隠してくれたっしょ。ちゃんと俺らの顔も立ててくれたっす。俺もさりげなくああいうこと出来るようになりたいんすよねー」 「分かるよ。彼は一見クールだけど、実は気遣いの人だよね。女の子にもモテるだろうなぁ」 「俺が女だったらコロッといっちゃうかも」 「大地、あんた五十嵐くんにもそんなこと言ってなかった?」 「そりゃあ五十嵐さんは俺の理想っすから。あっ!五十嵐さんから返信キターッ」  東雲の言葉ではないけれど、五十嵐のような生真面目な男には、凱のように包容力のある恋人が望ましい。  ついでに、今の恋人みたいにビッチ…もとい経験豊富で五十嵐をリードしてくれる子なら最高なのだが。  まあ、そんな完璧な恋人はそうそうみつからないか。  頑張れよ、五十嵐。  その時、山口の脳裏に東雲の言葉が浮かんだ。  -開き直って爛れた性生活送ってる間に、五十嵐くんに先越されちゃうんだから。  他人の心配してる場合かと東雲に突っ込まれそうだが、山口は親友の幸せを心の底から願っている。  五十嵐、俺の屍を越えてゆけ。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加