66人が本棚に入れています
本棚に追加
「参ったな」
呟いて、山口がスマホから耳を離した。
先程から何軒となく馴染みの飲食店に電話を掛けてくれているが、あいにくどこも満席のようだ。
仕方ない。人で溢れかえったゴールデンウイークの真っ只中。しかも夕飯時ときている。
「山口。私達、別にお洒落なレストランじゃなくていいのよ」
東雲が山口を見上げると、「そっすよ。ハンバーガーでも立ち食いうどんでも何でもいっすからね」と荒井が頷く。
「そうだよ。僕らはお腹が膨れたらいいんだから」
恵多が二人に同意すると、「うーん」と山口が無念そうに唸る。
「折角だから美味いもん食って欲しいんだよなぁ」
「店が満席なら、テイクアウトするか?」
凱の提案に、山口が親指を立てた。
「そっか。そうしよう」
山口は即座に電話を掛けて五人前の高級焼肉弁当を頼み、通りに出てタクシーを拾った。
「かんぱぁーい」
東雲の声が弾んでいる。
「かんぱぁーい」
荒井が真似をして、東雲に小突かれる。
山口が冷蔵庫から出してきた缶ビールで乾杯し、皆は一斉にプルトップを開けて喉を潤した。
凱だけがひとりペットボトルの炭酸水を飲んでいる。
この広々したリビングと、缶ビール。
…懐かしいな。
以前は飲み会のあと呑み直しと称して缶ビールを買い込み、ここであれこれ話しながら二人でよく呑んだ。
山口のマンションで呑むのはマライカファクトリーへの異動を打ち明けたあの日以来かもしれない。
あれからまだ一年も経っていないのに、何だか遠い昔のように感じる。
…それは多分…。
凱を見上げると、何だ?と不思議そうに見下ろされる。
何でもない、と笑って、恵多は焼肉弁当を頬張った。
凱に出会って、世界が変わったせいだ。
いつもどこか張り詰めていた恵多の心は、凱に触れて柔らかく解け、目に映る世界は鮮やかに色を変えた。
だからほら。
ビールの味さえも格別になる。
あー。
いい気分だなぁ。
「恵。呑み過ぎだ」
アッシュブラウンの瞳が、心配そうに恵を見下ろしている。
「あれ?ほんと?」
気付けば目の前にビールの空き缶が並んでいた。
「酒はもうお終いだ」
凱がビールの缶を取り上げる。
「かわりにこれ飲んどけ」
「はぁい」
恵多は手渡されたペットボトルの炭酸水を、ごくごくと飲み干した。
東雲と荒井は酔っ払ってソファで寝てしまっている。
恵多はよろめかないようゆっくりと立ち上がり、甲斐甲斐しく二人に綿毛布を掛けてやっている山口に声を掛けた。
「僕たちそろそろ帰るよ」
「え?もう遅いじゃないか。うちに泊まっていけば?」
山口の申し出は有り難かったが、明日は午後から寮の親睦会がある。
名残惜しいがお暇することにした。
「恵。大丈夫か?」
歩いて駅へ向かう途中、凱が恵多の顔を覗き込む。
「うん?…うん」
足取りが危ういのを心配してくれているのだろう。
「ちょっと…いつもより地面が斜めになってるけど、大丈夫」
「いや、それ大丈夫じゃないやつだろ」
その時、目の前で空が光った。
酔っぱらって目がおかしくなったのかと思ったが、違ったようだ。
大きな稲光だったらしく、続いてバリバリと夜空が割れたかのような雷鳴が轟く。
突然、ザァッとシャワーのように大粒の雨が降ってきた。
呆然と空を見上げる恵多の腕を、凱が掴んだ。
「屋根の下に入るぞ」
必死に走って軒下に避難したが、二人とも全身ずぶ濡れになってしまった。
「…これじゃ電車に乗れないね」
見上げると、美しいアッシュブラウンの髪からポタポタと水滴が落ちている。
うわ…。綺麗だなぁ…。
恵多は思わず凱に見惚れた。
「恵、こっちだ」
ぐい、と凱に腕を引かれる。
「えっ」
凱はずんずん裏通りに向かって歩いていく。
「そ、そっち、駅じゃないよ」
しばらく裏通りを歩き、凱は足を止めた。
「よし、空いてるな。入るぞ」
「えっ?」
ここに?
目の前にある、うさぎの形を模した白とピンクの看板を恵多はみつめた。
…『らびっと』さんだ。
「恵。ここは『らびっと』じゃない、ラブホだ」
えっ?
らぶっほ?
首を傾げている間に腕を取られ、恵多は引きずられるようにピンク色の建物の中に入っていった。
最初のコメントを投稿しよう!