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「探偵王」連載の終盤だった。
いつものように秋山が乱歩邸を訪問すると、乱歩自ら玄関に出てきた。
「君の熱心さには負けた。『黄金仮面』はポプラ社から出していいよ」
秋山は2005年にポプラ社より「文庫版 少年探偵・江戸川乱歩」の第六巻、『地底の魔術王』の「解説」で次のように述べる。
<あとで聞いたのですが、断られても断られても訪ねてくる編集者に、隆子夫人が同情して口添えをしてくれてそうです。『黄金仮面』の物語は、日本の美術品を盗みにきたフランスの怪盗アルセーヌ・ルパンと、日本の名探偵明智小五郎との一騎打ちです。雑誌に連載中も好評でしたが、本にしてからもよく売れました>
なるほど、乱歩の妻が口添えしたことはあったかもしれない。だが最終的にポプに社からの刊行を決めたのは、「商売人」としての乱歩の読みだったと私は思う。乱歩はミステリー小説に対しては真摯な態度を貫き、その発展のために莫大な自費を投入することを厭わなかったが、その反面、通俗長編や少年物など金になると分かれば積極的に商売に徹したのである。
乱歩に「商売人」の顏があったことは、親戚でミステリー評論家、翻訳家であった松村喜雄も遺作『乱歩おじさん』でハッキリ述べている。
乱歩も、自分に商売人としての顏があると、自伝『探偵小説四〇年』で触れている。
何度断られても来るポプラ社の編集者の姿を見て、
「出版人の彼らが、通俗長編の児童向けリライトが売れると考えているなら、成功は間違いない」
と判断したのだろう。ただし最初はこれまでの関係上、光文社に声をかけたと思われる。だが光文社は、
「通俗長編の児童向けリライトは、少年探偵団の活躍を描いた健全な少年ミステリーとは一線を画す」
と判断して手を出さず、最終的にポプラ社が刊行することとなった。
児童向けリライト『黄金仮面』出版が実現に至った経緯について、私はそう考えている。
ポプラ社版『黄金仮面』は、1953年(昭和二十八年)十一月に刊行され好調な売り上げを記録した。
乱歩自身の前書が付いており、この前書は、その後、『黄金仮面』が形を替えて刊行される度に踏襲されている。
「少年探偵 江戸川乱歩全集」では「はじめに」というタイトルである。
<……わたしの友だちの武田武彦さんにやさしく書き直してもらって、ある少年雑誌につづきものとして、のせたのが、この少年「黄金仮面」なのです。
雑誌にのったときには、少年諸君に、たいへん、かんげいされたというので、こんど、それをまとめて、ポプラ社から、一冊の本にして出すことにしました。雑誌で毎月とびとびに読むのとちがって、本で、はじめから、おしまいまで、つづけて読めば、きっとおもしろいだろうと思います。ご愛読ください。
江戸川乱歩>
恐らくポプラ社から刊行された江戸川乱歩の一般向け作品児童向けリライトで一番面白いのは、『黄金仮面』である。
それは間違いなく武田武彦が執筆しているからであろう。
武田武彦は、ミステリーの専門誌「宝石」の編集長だった。読者を喜ばせるにはどうしたらよいかを、編集者の経験から知っている。
児童向けミステリーについても経験がある。1949年(昭和二十四年)、まだ「宝石」の編集長だった頃には「小学六年生」の十一月号に別冊付録『京人形の秘密』を発表している。
どんな作品が少年少女の心を掴むかをよく心得ていたのである。
乱歩の原作と武田の児童向けリライトを読み比べると、それは一目瞭然である。
乱歩の原作では、冒頭に黄金仮面と呼ばれる不気味な怪人が各地で多くの人々に目撃されていると今でいう都市伝説の紹介から始まる。
実に絶妙なスタートで、乱歩の通俗長編が大ヒットした理由がよく分かる。
だが少年少女が読んだ場合はどうだろう。
単なる都市伝説では、読者である少年少女からはかけ離れた世界の出来事に過ぎない。
だが武田武彦は、黄金仮面の目撃者を少年探偵団のメンバーという設定にした。
この変更により、少年少女は目撃者である少年探偵団のメンバーに自分自身を投影させ、自らが目撃者となるのである。
読者自身が登場人物となり、作品の世界に入っていくのである。
もし機会があったら、江戸川乱歩の原作と武田武彦によるリライトを読み比べて頂きたい。
児童向けの作品をめざしている方は絶対に必読だと思う。
ここで武田武彦について少し触れておきたい。
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