江戸川乱歩の一般向け作品の児童向けリライトの基礎を築いた武田武彦

3/3
前へ
/151ページ
次へ
 ミステリー小説の評論家、中島河太郎(なかじまかわたろう)が編纂した『日本推理小説辞典』(1985 東京堂出版)を読んでみよう。 <別名蘭妖子。大正八年一月二十一日、東京に生まれた。早稲田大学政経学部津卒業。戦後朝鮮から引き揚げた岩谷満や城昌幸(じょうまさゆき)と詩の関係で知り、探偵雑誌の発刊を企画推進し、昭和二十一年四月から「宝石」を創刊した。城が編集主幹となったのを助け、昭和二十三年十一、十二月合併号から編集長となり、二十五年末に退社した。 『とむらひ饅頭』(昭和二十一、宝石)をはじめとする探偵戯曲の他に、『踊子殺人事件』(昭和二十一、岩谷書店)、『桃色の木馬』(昭和二十四、宝石)、『チャタレイ部落』(昭和二十五、宝石)など、抒情的心理的犯罪小説を発表。30年以後は創作を発表せず、少年少女物を執筆>  二、三付け加えると、詩人でもあり「信濃の花嫁」(1947年 岩谷書店)を刊行している。1998年没。  なお城昌幸(1904~1976)は詩人(城左門のペンネーム)、ミステリー作家であり、映画、ドラマ化されて人気を博した「若様侍捕物帖」シリーズで知られる。本来はここで軽く紹介すべき人物では断じてない。読者のご明察を請う。  武田たちが創刊した「宝石」については、同書で次の通り紹介しているので、武田武彦に関する部分を抄録する。 <昭和二十一年四月創刊。二、三号だけがB5版で、あとはA5版7。岩谷書店。31年より宝石社発行。39年五月終刊。  詩を通して知った岩谷満が社長、城昌幸が編集主幹、武田武彦がこれを助けて創刊され、編集長は後に武田、津川溶々、永瀬三吾、谷井正澄、大坪直行が継承した。  戦後は探偵雑誌がおびただしく発刊されたが、すぐれた作が数多く掲載され、戦前の「新青年」のあとを受けて、探偵小説の総本山の観があった。横水正史の『本陣殺人事件』をはじめとする本格長編の発表舞台であり、江戸川乱歩の『幻影城通信』などによる評論と紹介、自伝的回顧録『探偵小説三十年』を連載するなど、探偵小説振興の原動力となった> ↓連載当時、少女読者の熱狂的人気を集めた『薔薇悪魔』(「少女の友」1952年一月号~十二月号)。  挿絵も含めた再刊を願って止まない。↓f86c12cd-440a-4a9b-b219-304e7aa6d902596bf97c-2ac1-4766-a1a6-39a65e1396d6
/151ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加