【資料】チャタレイ部落 武田武彦(要約)

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【資料】チャタレイ部落 武田武彦(要約)

 この作品は、児童向けミステリーや海外ミステリーのリライトで知られた作家、詩人の武田武彦が「宝石」編集長の頃に発表した作品である。  1950年(昭和二十五年)十一月号に掲載された。この年の十二月、武田は編集長の職を辞して専業作家となる。  江戸川乱歩の長編の児童向けリライトの基礎を築いた武田武彦の幻の短編である。同じ号に、横溝正史の『八つ墓村』続編が掲載され、巻末に武田による紹介がある。 ※チャタレイ夫人…イギリスの作家、ロレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』のこと。貴族の妻が身分の低い男と関係を持つストーリー。大胆な性愛描写が世界中で問題視され、1950年、日本で伊藤整による全訳が刊行されるや、直ちに警視庁によって発禁処分となった。  平成天皇は皇太子時代、学友から全訳本を見せられた。それが発覚して問題となり、学友の父親は、 「私は職を辞さなければならない。子どもの罪は親の責任だ」 と涙ながらに告げた。それを学友から聞かされた平成天皇は、 「父親とはそういうものなのか」 と驚かれたと伝えられる。 ※アプレゲール…  「戦後派」という意味。戦後の文化や風俗の独自性を表現する言葉として多用された。  また戦前の常識では測れない若者の無軌道さを象徴する否定的な意味にも使われた。 48b06ac8-397f-4d8d-862d-83a775940062 <伊豆の海は波の色まで好色だ。辰也は、はじめて、この浜辺へきたとき、すぐ感じた>  X大の専門部に通っている辰也は、このひと夏、伊豆の海に近い砂浜に建てられたお化けの見世物小屋でアルバイトをしている。  店を閉じた後は、化け物人形が鎮座するこの見世物小屋が、彼らの宿となる。  空に出た青い月の下、辰也はひとり丸太の上に腰を下ろしてギターを弾いている。  小屋主の夫というのは胸毛が深い。夫婦はついさっき小屋の中にふたりでもぐりこんで、小屋の中の化け物どもを、ひどくうれしがらせているらしい。  辰也の仕事は、化け物小屋の暗闇の中へ姿を隠していて、細い道をてさぐりでビクビクしながら歩いている客の頭に、ひものついた骸骨をバサッと落としてやる、それだけの仕事だ。  ある日のこと、辰也と同じ年ぐらいの学生と、三十を出たばかりの美しい女が化け物小屋を歩いてきた。すぐそれが恋人同士に見え、うんと脅してやろうと骸骨を落としてやる。 <案の状、女はキャッと悲鳴をあげて男に抱きついた。そのまま動かなかった。男の首がぐいとさがって、女の唇をすっていた。男の手が下にさがると、女のふくらみにぴたりとさわってはなれなかった。辰也をおどろかせたことは、ふたりが揃って水着一枚だったことだった。女は明らかに男より年は上である。とつじょ、化け物小屋にのなかに、とんだ濡れ場の実演だった。むろん、辰也にも、同じ学生仲間の恋人もいれば、戦火の下で、何度か女も知っている。しかし、こんな立場から、人間の好色をスキ見したことははじめてだ。そんなことから、辰也の奇妙なアルバイトも、急に楽しいものになってきた>  辰也は恋人のみつ子や仲間の学生たちを、この伊豆の海辺へ誘った。学生ばかりではない。デパートの売り子や商事会社の女事務員も交っていた。彼らは揃って化け物小屋での濡れ場に興奮した。 <みつ子もひどく熱をあげ、好色の海で泳ぎつかれたからだを、辰也に月下の草のハンモックでかわいがられ、すっかり満足して帰っていった。  くる日くる日、好色の波のなかで泳ぎながら、辰也の健康なからだには、まだ恋の冒険、かくされた世界の秘密を覗いてみたかった>  ある日、久しぶりに金を貰った辰也は、防風林の向こうにある小さなダンスホールに出かけた。  そこでいつかの三十過ぎの美人、進藤キヨ美に出会った。真っ白な水着一枚の女は、いつかの濡れ場を辰也に見られたことなどお見通しだった。クスクスと笑って、高価な香水のよく似合う頬を、辰也の胸にふれさせた。キヨ美はこの近くで、夫と一緒に暮らしていた。 <三十女の肌の油をぶちまけたように、伊豆の海はヌメヌメと光っていた>  それからも、ふたりの好色の海での逢引は続いた。辰也はキヨ美の住む地域のことを話題に出した。 <「あのあたりは、旦那さまが胸の病でぶらぶらしている、そんな家庭が多いでしょう。だから、浜の人たちは、みんなあのへんのことをね、チャタレイ部落と呼んでいるんです」 「あたしがチャタレイ夫人だっていうのね」   女はケタケタとわらいつづけた。辰也はハッとした。しかし、それはもう遅かった。 「いいじゃないの、チャタレイだってなんだって、あたし、自分の満足できない生き方なんて、むりにしようとはおもわないもの」> <好色の海も荒れることがあるものだ。神が怒ったのかもしれない。あまりに赤裸な人間の姿に、つい神も怒ったにちがいない>  激しい嵐が吹き荒れ、やっとおさまって月が出たものの、海はまだ荒れていた。辰也は心細くなり、進藤家へかけつけた。裏木戸から中に入り、キヨ美の寝室の窓の下へすりよる。二階の部屋には彼女の夫が眠っているはずだ。  辰也の本能は女の匂いにさそわれて、寝室の窓に近づく。  辰也は見た。 <男は確かに進藤氏ではない。黒いマスクをかけ、地下足袋をはいている。おまけにキヨ美夫人は、全裸のまま後ろ手に縛られているのだ。もうすべては終わろうとしていた。女体は最後のうめきをあげて、男の下にひれ伏そうとしている。そばにおどしのために男が持ってきてたらしい短刀が、蒼い畳の上に、ぷっつりとつき立っている。すべては青白い月光のなかに、悪夢のようにくり広げられた光景だった。  どのくらいの時間が、嵐のような風のなかに、ふきすぎたかわからない。いつの間にか、辰也青年が、三個の死体の前で、棒のように立っていた>  辰也は裁判で次のように供述した。  キヨ美夫人が盗賊に手ごめにされているのを見て、前後の考えもなく盗賊をひと突きにした。  それが最初の殺人だった。 <「……次のしゅん間、ぼくは目の前で殺人が行われたというのに、只ひとすじに歓喜にひたっている、女体のおそろしさに、思わずこれも突き立てていました。  そこで、ハッと夢からさめ、女のからだにすがりついたとき、ぼくは思いもよらない人間を発見したのです。すぐ後ろの階段の途中から、この場の光景を、冷たく、あざわらって見ている、おそろしい進藤氏の目にぶつかったとき、ぼくは弾かれたように、その男の目におどりかかっていました。  みなさま、進藤夫人がチャタレイ夫人なら、ぼくはアプレゲールの青年です。おそらく新聞紙上には、そんなふうに書きちらされていることでしょう。  ぼくたちが言えることは、進藤夫人もこのぼくも、生きたいように生きようとしただけです。それが多くの罪を作ったのです。お許しください>  
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