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武田武彦は『黄金仮面』に続き、「探偵王」と同じく文京出版が刊行していた「少年少女譚海」に『人間豹』の児童向けリライトを連載した。
色々と資料を調べると、「少年少女譚海」は1949年(昭和二十四年)五月より1954年(昭和二十九年)三月まで刊行されていたとある。出版社は、当社は文京出版だったのが、後には譚海出版、最後は光和書房となっている。
社名が変更されたのか、詳細は不明である。
武田武彦が児童向けにリライトした『人間豹』は「少年少女譚海」に1952年(昭和二十七年)九月号より翌年1953年(昭和二十八年)八月号まで連載された。
四月号、第八回まで連載したところで五月号、六月号は休刊となった。
七月一日付で「少年少女譚海」(夏季特別号 七月号)が刊行されるが、出版社は譚海出版社名に変更されている。
七月号、八月号と続き、合計十回で終了している。
『雑誌で読む戦後史』(木本至 1985 新潮選書)では五月号で休刊となり、八月号から再刊されたと説明されているが誤りである。恐らくその時点では原本が入手出来なかったのだろう。
私は昭和館に所蔵されている「少年少女譚海」を調べて頂いたが、四月号までは刊行されており、二ヶ月の空白を経て七月号より出版社名を替えて刊行されたが、翌年1954年(昭和二十九年)三月号で終刊となった。
ポプラ社の編集部の秋山は乱歩を訪ね、『人間豹』の単行本化を願い出た。『黄金仮面』のときと同様。乱歩ひとりと交渉している。
この事実は、児童向けリライトを書いたのは武田武彦でも、著作権を握っていたのは乱歩であることがハッキリ分かる。
今度はあっさり、乱歩も出版を認めた。
ただし条件がついていた。
雑誌連載を元に単行本にまとめるのは、氷川瓏にやらせるように伝えたのである。
これは殆ど例を見ない方法だった。
「少年少女譚海」は最初にまず先回までのストーリー紹介があり、それから本文に入っていく。
単行本一冊にまとめるにはやや短かった。『人間豹』の場合、ポプラ社版「少年探偵 江戸川乱歩全集」では目次なども含めると二百三十六頁である。
雑誌連載分に手を加えたり、児童書の倫理規定に照らし合わせて語句などを書き直す必要があるが、その仕事は『黄金仮面』のときと同じく、武田武彦に任せればよかった筈である。
だがなぜか、乱歩の弟子ともいうべき、氷川瓏が、雑誌連載を元に単行本にまとめることとなった。
名張市立図書館刊行『江戸川乱歩執筆年譜』の編集に参加した人から非公式に伺った話では、氷川瓏には雑誌連載の切り抜きが渡され、これを読みながらまとめていったということである。
そのため、『人間豹』が実際には武田武彦のリライトをまとめたものなのに、武田武彦の名前は残らず、そのうちに雑誌連載が先だったことも忘れられ、氷川瓏が単独でリライトした作品と思われるようになった。
これは「少年少女譚海」自体、短期間で消滅した雑誌で、記憶している人が少ないためであろう。現在、古書市場にも殆ど出てこないと、古本屋の経営者の人から教えられた。
以下、乱歩名義のポプラ社版『人間豹』の「はじめに」である。
<豹は、みなさんも動物園でごらんになって、よくごぞんじかと思います。熱帯のジャングルの中を、音もなく歩きまわるこの猛獣は、ライオンや虎とはちがって、なんとなく陰気で、ぶきみな感じがしますね。
この物語に出てくる人間豹は、人間の形をしていますが、この豹にそっくりな動作をし、その心も野獣のように残忍な怪物なのです。恐ろしいこの怪物のあらわれるところ、つぎつぎに怪事件がおこり、いたましい犠牲者がつづきます。
名探偵明智小五郎と小林少年は、この恐ろしい怪物と、この怪物をこの世につくりだした悪人に対して、ちえと力のかぎりをつくしてたたかい、ついに怪物を絶体絶命のところまで追いつめるのですが、さて、その結果は……? では物語の幕をあけましょう。
江戸川乱歩>
だが誰でも疑問が残る。
なぜ、雑誌連載の『人間豹』を執筆した武田武彦に単行本にまとめさせなかったのか?
武田は児童向けミステリーでは実績があったし、元「宝石」の編集長である。どんな要望にも臨機応変に対応出来た筈だ。
そもそも氷川瓏は、直木賞の候補になったとはいえ、当時、自身が語っているように実績も少ないし、児童書で活躍していたわけでもない。
ところが乱歩から、わざわざ氷川瓏を指名し、単行本にまとめる仕事をさせるよう、ポプラ社に要請があったというのである。
一方、乱歩が武田武彦のリライトを気に入っていなかったから、乱歩は氷川瓏を新しいリライトの作者に指名したと、武田武彦を貶めるような文章があるのだ。
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