武田武彦は『人間豹』とは無関係とする意見

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武田武彦は『人間豹』とは無関係とする意見

 ネットを見てみよう。  「雅羅倶多館」というブログの『「ポプラ社少年探偵江戸川乱歩全集」の成立過程その1』から引用する。  <これに対し、リライト作品は最初からポプラ社で出版されていた。  まず1953年(昭和28年)に「黄金仮面」が武田武彦のリライトにより単行本化されたのが最初である。もともとは少年雑誌『探偵王』(文京出版)に連載されたものだったらしく、元ポプラ社編集者の秋山憲司によると、光文社のドル箱になっていた少年物をうらやましく思っていたポプラ社が乱歩に懇願して出版にこぎつけたのだそうである。これにより「少年探偵団シリーズ」は光文社から、リライト作品はポプラ社から、と言う住み分けができたのである。  54年にはやはり文京出版の『少年少女譚海』に連載された「人間豹」のリライト版がポプラ社から単行本化されている。『譚海』版リライトの名義は武田武彦になっているのだが、後にポプラ社の「少年探偵江戸川乱歩全集」に収録されたものと同じなのだとすれば、実際は氷川瓏のリライトなのかもしれない。以後、乱歩のリライトは全て氷川瓏が担うことになる>  なぜ名義が「武田武彦」なのに、「実際は氷川瓏のリライトなのかもしれない」という結論になるのだろう。私にはよく理解できない。  いずれにしても途中からは表紙にも <江戸川乱歩・原作 武田武彦・脚色 成瀬一富・画> と表記されているのでただの妄想に過ぎない。  第一、氷川瓏が雑誌連載のリライトを務めたのなら、なぜ <氷川瓏・脚色> としないのか?「雅羅倶多館」の管理人は、自分の言っている意味が分かっているのか?  さらに「備忘の館」というサイトを見てみよう。「少年探偵 江戸川乱歩全集」について大きなスペースを割いている。『人間豹』について、 <リライトは氷川瓏が担当しています> と記している。  さて次に元編集者で評論家の中川右介(なかがわゆうすけ)の『江戸川乱歩と横溝正史』(2017 集英社)を取り上げる。氷川瓏についても簡単な紹介があるのでご参照頂きたい。  「第二の代作者」から引用する。 <リライト版『黄金仮面』が売れたので、当時、ポプラ社は他の作品もリライトして出せないかと考える。ちょうどいいことに武田武彦は『黄金仮面』に続いて雑誌「少年少女譚海」に『人間豹』を連載していた。そこで「次はこれを出したい」と乱歩に申し出た。だが乱歩は武田ではなく別の作家を指名して、その人が書くならいいと言った。乱歩が指名したのは氷川瓏だった。  氷川瓏は、幻に終わった雑誌「黄金虫」のときから乱歩のそばにいた渡辺剣次の兄にあたり、本名は渡辺祐一(わたなべゆういち)という。兄弟とも探偵小説ファンで、氷川は「宝石」に一九四六年五月号でデビューし、以後も作品を発表しており、乱歩の周辺にいる作家だった。氷川版『人間豹』は、ポプラ社から五四年十一月に刊行された。  武田から氷川への代作者の交代は、乱歩が武田の『黄金仮面』を気に入ってなかったからと考えるのが自然だ。この件については新保博久が光文社文庫版全集第十七巻の、『鉄塔の怪人』についての解説で触れている。  少年ものの『鉄塔の怪人』は乱歩自身が桃源社(とうげんしゃ)版の『妖虫』の「あとがき」で、 <戦後、「妖虫」の着想を取り入れて少年もの「鉄塔の怪人」を書いた> と認めている。これを新保は <悪くいえば焼き直しである>、<これほど自己模倣に徹した例はほかにない> としたうえで、なぜ乱歩がこんなことをしたかを、『鉄塔の怪人』の連載開始直前に武田がリライトした『黄金仮面』が出ていることから、 <その出来のつまらなさを嘆いて、リライトはこのようにやるんだと、みずからお手本を示した> と推測している。これについて新保は <想像をめぐらしても、どのみち裏づけはとりようがないこと> としているが、リライトの書き手が、武田から氷川へ交代したのが、乱歩の指名によるという事実は、状況証拠になる>  中川が触れているのは、『化人幻戯』(江戸川乱歩全集第十七巻 2016 光文社)に収録された『鉄塔の怪人』の新保博久(しんぽひろひさ)の解説である。  新保博久は早稲田大学出身のミステリー評論家である。  『鉄塔の怪人』(ポプラ社版全集では『鉄塔王国の恐怖』 1954年「少年」に連載)は、作品全体に『妖虫』のシーンを流用している。  新保が指摘しているのはそのことである。  新保は、なぜ「少年探偵団」シリーズに『妖虫』のストーリーを焼き直した『鉄塔の怪人』が現れたかについて考え巡らす。  ストーリーの行き詰まりか?   乱歩は通俗長編でも、何度か同じストーリーを焼き直して使っている。  だが新保は「行き詰り」という見方には納得しない。 <しかし比較的気楽に筆を執っていた少年ものでは、二十年前の自作を蒸し返さなければならないほど、切羽詰まっていたとは思われないのだ>  そして遂には武田武彦の名前を持ち出して次のように書くのである。  なぜ戦前の長編『妖虫』を焼き直して少年物の『鉄塔の怪人』を書いたのか。    <注意を引くのは、連載直前の昭和二十八年十一月、武田武彦によるリライト版『黄金仮面』が刊行されていることだ。その出来のつまらなさを嘆いて、リライトこのようにやるんだと、みずからお手本を示したのではないか。だとしても私たちは武田氏を責めることはないだろう。リライトを任されたといっても、大先生の作品を好き勝手に改作はできないばかりか、何といっても乱歩自身がリライトの達人なのだ。並みの作家が及ぶはずもない。 ……などと想像をめぐらしても、どのみち裏づけはとれようもないことで、ほどほどにしよう>  武田武彦は、勝手にリライトがひどすぎる作家と貶められ、ブログの管理人からは、雑誌に連載された『人間豹』は氷川瓏のリライトではと書かれるのである。  次の頁で彼らの推測なのか、思いつきなのか、誤った主張について明らかにする。
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