武田武彦の『人間豹』を氷川瓏が単行本にまとめたという結論が真実に近い

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武田武彦の『人間豹』を氷川瓏が単行本にまとめたという結論が真実に近い

 私の考えている結論を書く。  新保博久は『鉄塔の怪人』について、二十数年前の作品『妖虫』を焼き直して「少年探偵団」シリーズの新作としたことについて、その動機を深読みしているのは、根拠のない推測かと思う。  乱歩は『探偵小説四十年』のなかで、少年物について次のように書いている。 <筋はルパンの焼き直しみたいなもので、大人ものを書くよりこの方がよほど楽であった>  さらに自分の欠点については、何でもはじめより後、悪しで飽き性だと分析している。  だから新保が『鉄塔の怪人』について、乱歩の高尚な理想が産んだ作品と推測するのは見当違いかも甚だしい。  事実は小林少年と少年探偵団、怪人二十面相が出てくれば読者が喜んでくれるお気楽な少年物だから特に深い考えもなく、今の少年読者が読んでいる筈もない二十数年前の作品を焼き直しただけのことだ。  そもそも新保博久は乱歩の少年物をあまり読んでいないのではないかと思う。  戦前の作品『少年探偵団』には一般向けの『一寸法師』や『蜘蛛男』で使われたトリックが蒸し返されている。  町名が違っているため、ふたつの家は遠く離れていると錯覚していたが、実際には背中合わせだったというトリックで、戦後も一般向け作品に使用されている。  さらに『吸血鬼』『人間豹』で使われたアドバルーンを使った逃走のシーンまで出てくる。  このアドバルーンを使った逃走は、戦後も「少年探偵団」シリーズの『怪奇四十面相』『灰色の巨人』でも使用される。  一般向けや海外作品からの焼き直しが非常に多いのが、戦後の「少年探偵シリーズ」の特徴なのだから、わざわざ武田武彦の『黄金仮面』を持ち出して敢えて貶める必要があるとは思えない。  問題なのは、新保は、実は武田武彦が児童向けにリライトした『黄金仮面』を読んではいないのではと疑いを向けたくなることで、後の氷川瓏のリライトと比較すれば、換骨奪胎の印象の強いのが武田武彦のリライトの特徴なのである。勝手に大乱歩に恐縮するキャラクターにされては、地下の武田武彦も迷惑ではないかと思う。  氷川の単独リライトを読む限り、氷川は乱歩の弟子のような立場だったため、あまり好き勝手にリライトすることが心情的に出来なかったようである。  第一、本来は文学作家である。弟の渡辺健治と共に、乱歩の初期の作品群のファンだったのであり、エログロの通俗長編のファンだった訳ではない。恐らく通俗長編など殆ど読んでもいなかったのではないか?  戦後、彼らが乱歩の神輿を担いだのは 「乱歩先生。もう一度、大向こうをうならせる傑作を書いて下さい」 という期待からである。  子供向けの作品や乱歩自身は何もしなくても莫大な金が入ってくる児童向けリライトを望んでいたわけではない。  武田武彦はもともと編集長だから別である。仕事と割り切って読者を引きつける作品を書くことが出来た。  武田のリライトした『黄金仮面』『人間豹』『大暗室』を読めば、武田武彦が、読者である少年少女をハラハラドキドキさせるツボを把握していることが分かるのである。
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