なぜ武田武彦は、ポプラ社『大暗室』『人間豹』の原案であることを否定したのか?

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 ポプラ社から刊行されていた江戸川乱歩の長編の児童向けリライトのうち『大暗室』『人間豹』は、武田武彦が雑誌に連載した児童向けリライトを直接の原案としたもので、武田武彦自身が単行本にまとめたのではなかったが、本来、堂々と「原案」を名乗るべきだった。  だがなぜか名張市立図書館が『江戸川乱歩執筆年譜』を編集するため、武田武彦に確認した際には、 「私がリライトしたのは『黄金仮面』のみで、他の作品は氷川君が執筆したものです」 と回答し、最後まで自分の関りを否定した。  なぜ、ふたつの作品の原案を書いたことを認めなかったのか?  常識的な考え方だと、単行本にまとめたのは氷川瓏なので、事実をありのままに話したということになるだろう。  だが、なぜ詳しい経過を説明しなかったかという大きな疑問が残る。  私はふたつの理由だと思う。  『江戸川乱歩執筆年譜』の編集に参加した人は非公式ではあるが、 「乱歩は喜んで『はじめに』を書いてくれた。その後、武田武彦より、御社のためにリライトした覚えはないと連絡があった」 という。  非常に重要なので、もう一度、「はじめに」の文章を読んで欲しい。 <はじめに  この『大暗室』の原作は、おとなの小説として書いたので、少年読物としては不適当なところが多かったのだが、少年雑誌で、これを少年向けの小説になおして発表したいとの希望があり、友人武田武彦君におねがいして、少年むきに書きなおしてもらったのである。お話のすじは、だいたいそのままにして、残酷な個所をけずり、冒険的な部分だけをのこし、原作には出ていない少年少女を登場させるなど、少年読物として面白いものに書きあらためて、少年雑誌に連載したものである。  こんど、これを一冊の本にして出すについて、ひとこと、この小説のなりたちをしるし、筆者武田武彦君の労を謝するものである。                          江戸川乱歩>  武田武彦の雑誌連載を一冊の本にまとめたと経過を説明して武田武彦を賞賛している。  確かにその通りだ。  だが武田武彦はポプラ社から刊行される『大暗室』から恩恵を蒙ることはなかった。  武田武彦は「小学六年生」『大暗室』を連載した。  ところがポプラ社から単行本になる際には、氷川瓏が連載を元に一冊にまとめることとなった。ポプラ社からの執筆料は氷川瓏が受け取った。  武田は内心不満だったとは思うが、乱歩に説得されて受け入れた。元々、著作権は乱歩にあるのだから、 「氷川君にまとめて貰う」 と言われたらどうにもならない。  しかも武田武彦からみれば氷川瓏は、中途半端に武田武彦が雑誌連載したリライトに手を入れて、何ともお粗末な作品にしてしまった。  読者の立場から述べると、最初に「小学六年生」に連載された武田武彦リライトの『大暗室』を読んでから、氷川瓏のまとめたポプラ社『大暗室』を読むとハッキリそれが分かる。  元々絵物語というスタイルだったため、そのまま単行本とするには短すぎた。もちろん武田は単行本になる際は、単行本のために物語をふくらませる自信があっただろう。  氷川はともかく引き伸ばさなければと焦ったらしく、ストーリーに関わりのない無意味な会話で頁を稼いでいる感を強く持つ。  それでも面白いのは、武田の原案がよかったからで、氷川の功績ではない。 (こんなふうにしかまとめられないなら、なぜ自分に任せなかったのだ)  しかも乱歩の「はじめに」では、武田武彦の名前が出てくる。  武田武彦からみればお粗末としか言いようのない作品が、まるで自分が作者のように紹介されている。  しかもだ。  乱歩に悪気はなくても、「はじめに」の文章は取りようによっては、 「『小学六年生』の読者のみなさん。大好評の武田武彦先生・脚色の『大暗室』が本になりましたよ」 と宣伝しているのと同じである。  単行本の執筆料は氷川に支払われ、武田には一円も入らない。  ところが「小学六年生」に連載中の武田武彦の『大暗室』が一冊の本になったと、都合良く武田を利用している。  そればかりではない。私は武田は非常に迷惑を蒙ったと思う。  これは間違いなく武田の預かり知らぬところだったと思う。「小学六年生」の連載も終了していないのに、ちょうど「小学六年生」1957年二月号が発売されたのと殆ど同時に、結末のついたポプラ社版『大暗室』が刊行されたのである。  要するに二月号『大暗室』で、次回は最終回と断っている一方で、前書で武田武彦の名前が出てくる結末のついた単行本が刊行されているのである。  小学館は、武田が小学館とポプラ社の両方から報酬を受け取ったと考えただろう。元雑誌編集者の武田武彦にとって、屈辱的な誤解だっただろう。  武田は乱歩やポプラ社に不信感を覚えただろう。  武田武彦が、ポプラ社の『大暗室』を自分の作品ではないと語った理由は、恐らくそこにあると思う。  それが武田の真意だと考えている。  裏づけとなる証拠はある。  この後、武田武彦は、乱歩やポプラ社とは疎遠になったようである。  乱歩ゆかりの人たちがエッセーを寄せた絃映社『江戸川乱歩の世界』には、「宝石」の編集長だった城昌幸もエッセーを寄せており、武田が書いても不思議ではないのになぜか執筆していない。  また武田武彦の著作について調べてみたが、一部は疎漏はあるかもしれないものの、『大暗室』刊行以降、ポプラ社から武田武彦名義で児童向けミステリーや海外ミステリーのリライトを発表した記録がない。  これは偶然とは思えない。  
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