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影憑きの青年
月の神様がお隠れになる月籠の晦日の夜は、決して外へ出てはならない。月籠の宵闇は暗く深い。神不在のみ空の元、「影憑き」は私達を食い殺すその時を今か今かと待っている。
幼い頃から幾度となく聞かされた御伽話。
けれど、今自分の目の前に広がる月籠の空は、光を散りばめた上等な織物を垂らしたように美しかった。光瞬く天蓋に、彼はしばしの間魅入られていた。
彼の吐いた吐息は空へ向かって白く上るもすぐにかき消えていく。それはどこか、空に焦がれ惹かれているようにも思えた。
「おにーさん、目ぇ覚めた?」
死角から声がする。その声でようやく、自分がこの寒空の下で横たわっているのだと自覚した。四肢の感覚もある。身体を起こして、声の方を振り返った。
背の低い石塀に囲まれた袋小路。視線の先には、塀の上へ粗雑に座り込む子どもの姿だった。
この国の人間にしては珍しい、月の光を閉じ込めたような銀色の髪。麻ひもで結われたそれは、山から身軽に飛び降りた拍子に遅れて跳ねた。
「ダメじゃないか、月籠の夜に出歩いちゃ。今夜は一晩お祈りする日でしょ?」
ごくごく当たり前の話と、目の前の状況がいまいち結びつかない。呆けているうちに軽い足取りで目の前まで歩み寄ってきたその子どもは、自分の肩ほどまでしかない身の丈で自分を見上げた。
「それで、何してたの? こんな夜更けにひとりでさ」
少し透明な声に促され、自身の状況を思い出す。
否、思い出そうとした。けれど幾度頭の中を探っても、どうして自分がここにいるのか思い出せない。この場所が一体「どこ」なのかも、そして自分が「誰」なのかも、全く思い出せない。
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