悪霊

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翌日の学校で、 「ああ!」 と顔を合わせるや否や教室から連れ出され、屋上へ繋がる階段の踊り場に立たされた。  ウララはまごつく演説者のように手をバタつかせ、「えー」とか「あの」とか言葉を選んだ後に、 「相談したんです、皆に。悠飛さんが呪われたかもしれないって。そしたら心身に不調をきたしているのがどうも貴方だけではないと。恐らくффффの悲憤に中てられたんでしょう、センチメンタルな方はそうなるんです。心配要りません。私たちは近いうちに歓喜を…狂喜を取り戻すための祭典を行います。貴方もそれに連れて行きますから。今日はなんともありませんか?大丈夫ですか?貴方のことが心配だったんです……」 しおらしく睫毛を伏せて、悠飛の胸に手をあてがう。 「私に出来ることがあればおっしゃってください。ただ無視されるのは…」 「もう何ともない。」 悠飛は彼の手首を握り、事の顛末を話した。 「知らねえ奴に悪霊を移されたんだよ。ヒトに話せば自分は解放されるけど、どんどん乗り移ってくってやつでお前にも言えなかったんだ。でもなんかお巡りが…怖ぇお巡りがいたんだよ。そいつに話したら幽霊を撃退してくれて、どうにかなった。もうへーきだ」 上手く簡潔に伝えたつもりだが、どうにもウララは納得してないらしかった。  先程のしおらしさは露と消え、腕を組み、 「幽霊?貴方クスリやってます?」 と彼の瞳を覗き込んだ。瞳孔が開いてないかを確かめたのだ。 「幽霊なんていませんよ。警察にもおちょくられたに違いありません。だってその話だと幽霊の存在を伝えた人はもう何も感じなくなるわけですよね?幽霊がいるかどうかもわからないんでしょう?だったら警察に何が見えてて、本当に除霊したかどうかもわからないじゃないですか。警察は貴方のために、幽霊が見えるフリをして、で、祓ったフリをしたんですよ」 「でも本当に…」 「まあどちらでもいいでしょう。幽霊が本当にいて、祓ってもらえたんなら、ふん、よろしいじゃありませんか。いないならいないで貴方の気が狂れてただけということで」 「…」 「仮に幽霊だとしても、私に話せばその警官より先に祓ってやりましたよ。貴方ってば私のこと信用していませんね」 指先が臍をつつき、腹筋と胸の間を這って顎の下に沿えられる。  悠飛は気まずそうに顔を逸らした。 「そうじゃない。お前に移したくなくて…」 「私だって貴方のあんなチャランポランな姿を見せられて、その後放っておかれたもんだから皆にまで相談を…連絡しようにも携帯すら持ってないって、貴方、貴方ねえ……」 一瞬ウララは俯いて、それからすぐに、 「家はどこです?」 有無を言わせない口ぶりで尋ねた。  その日の放課後、彼はウララを自宅に招いた。    ❇︎  いつ雨が降ったのか、青黒いコンクリートは夜の海のようだった。草木の生い茂る斜面に要塞じみた白い建物が建てられているが、それらは日中、寂れたリゾート地のように押し黙り、陽が沈むと密やかに橙色の光を灯す。だから人はいるのだろうけど、これまで住人とすれ違ったこともなければ建物から人が出てくるのを見たこともなかった。  ウララが「不思議な所ですね」と言った。  家の前に着いたウララは鬱蒼とした庭の様子に戸惑い、「どこから入るんですか?」と一階の周りをウロウロした。生憎道路に面した入り口にはシャッターが下されている。  二人は青白い光を放つ自販機付近の階段を上り、二階から家に入った。 「お邪魔しますね」 直後に「何も無い」と言って、ウララが床に鞄を置いた。  靴と靴下を脱ぎ、悠飛はウララの買い物袋を受け取って台所の冷蔵庫にしまった。戻ってきた彼に、ウララが「電気つかないんですけど」とペンダントライトの紐を引っ張って見せた。確かに点かない。 「いつも点けてない。電池も切れてるだろ」 「蛍雪之功ですか?」 「なに?」 意味が分からず顔を顰めると、ウララはため息と共に首を振った。 「全く…信じられません。今度買って差し上げます。ついでに、まさか、ガスも使えないわけじゃありませんよね?」 「使える。あと風呂場の電気は点く」 「あっそうですか。転んだら堪りませんもんね。で、机などは?」 部屋の中を見渡す。悠飛が「ある」と言って指したものは割れた木炭の如き木の板に過ぎず、その上も作業着や何かのチェックリスト、ガラクタの類で埋まっていた。 「あれは物置きです」 「いつも床で作業してるし、飯も…台所で食ってっから…じゃあ、無えな。椅子もそういうやつしかないし、いつも布団に座ってる。お前座れよ、俺は床でいいから」 「いえ結構です。私、他人(ひと)の布団が嫌いなので」 「えっ」 「この小汚いカーペットの上にでも座りましょうかね。悠飛さん、お茶とかあります?喉乾いたんですけど」 しかし悠飛は月明かりに照らされる自身の布団を見て、それからウララに視線を移し、マスクの下から唸り声を漏らした。 「なんです?」 怪訝な顔をされると、マスクに指を引っ掛けて顎の下にずらし、目に見えて残念そうな顔を晒した。 「なんで…今日、ヤらないってことか?それとも風呂ですんのか?」 「何を?」 「お、俺はてっきり…」 気まずそうに口を噤み、その先の言葉を言い淀む。凛々しい眉が八の字になって、猫背が更に水を浴びせられた猫のように惨めな角度となる。  ウララは目を細め、何やら悄気ている男を不審そうに仰ぎ見た。 「よく分からないのですが…」 「え?俺を抱く気じゃなかったのか?家に来るって、セックスするものだと…」 「ああ…」 「ううん…何だって、喉が渇いたんだっけか。水しか無えけど」 台所で蛇口を捻り、コップに水を入れて持って来る。悠飛は落ち着かなさそうに立ったままで、布団を物悲しげに見つめた。  ウララは胡座をかき、戸棚に寄っかかって、フフと小馬鹿にしたような瞳で彼を見上げた。 「あー、悠飛さんのそういうところはたいへん可愛らしいのですが、私も家に帰らなくちゃいけませんし。別に貴方と一緒に寝られないとか潔癖症ってわけじゃないんですけど」 「もういい。俺だってそんな…どうせこんな部屋だしな」 「なに?じゃあ大したお構いもできませんってその代わりに貴方が身を差し出すつもりだったんですか?」 「え?んー…そう?そうかもな」 「へえ」 悠飛はウララの言っている意味をあまり理解していないようだが、素直に頷いたり物足りなさげな顔をするので、ウララは胸の内の罪悪感とサディスティックな欲求を同時に大きくしていった。  コップを床に置き、「健気健気」と称賛の言葉を送ると、枕の上に寝かせてある「コラショ」の目覚まし時計を確認した。時刻は七時二十八分。 「どうぞシャワーを浴びてください。貴方にそんな期待をされてるとは思ってなくて、私も想定外でした」 落胆し、青い靄のかかっていた悠飛の目が露骨に精気を取り戻す。爛々とした瞳が遊園地に行く子供や食事を前にした犬のように、あまりにも純粋な喜びを宿しているのでウララはおかしくなってしまった。  彼を手招き、自分の前に膝をつかせると、濡れた舌で唇の膨らんだ部分を舐めてやる。 「さあ、早く」 悠飛はやり切れなさを眉間に刻み、ふらふらと立って急いで風呂場に向かった。  十分もしないうちに出てきた彼は何故か一糸纏っておらず、張りのある身体を温かい蒸気で湿らせていた。  全裸なのは、まだ彼が恥じらいや悦を感じていれば受け入れられたが、あまりにも普通に裸で部屋をうろつくため、これから脱いでしまうというのに「貴方服は?」と指をさして咎めてしまった。 「風呂上がりは着ない」 「でもそれ、人としてどうかと…」 「俺は原罪を免れてる」 適当を言って彼は布団に横たわった。  彫刻のように完成されつつ、肉としての艶かしさを宿した身体は神秘的な美しさを醸し出す。窓から差し込む月光が体を冷たい石のように、だからこそこれから愛撫され、痛めつけられ、優しく舐められ、暴かれるであろう人体のパーツを妖しく際立たせていた。 「見てるだけか?」 じっとりとウララを見つめる目が、逃がさない、早くしろと彼に訴えかけている。  明け透けな淫欲に中てられ、ウララの中で罪悪感を上回っていた加虐心がどぷりと一気に溢れ出した。 「来てください」 彼を手招きをし、四つん這いで這って来た彼の頬を片手で包み込む。
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