親交

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 ウララがフフフと笑っているうちに彼の周りには生徒が沢山集まっていた。男子しかいない学校で彼はさながら戦場の花だった。見た目が女らしいかと言われればそうでもないが、柔和な態度と蠱惑的な手つきが男たちを惹きつけるのだろう。或いは、もしかしたら有名人なのかもしれない。既に派手な見た目や素行、尾鰭のついた噂話で注目を集めている帰国子女などがいた。内部生でなくとも塾が同じで顔見知りという学生もいる。彼もその類かもしれない。  しかし何にせよ彼は人に好かれる生き方をしていた。  だがその魅力が一番に向けられるのは悠飛だったに違いない。  入学早々二人は外部生同士ということで、まずは昼食を共にする仲となった。ウララが後ろを振り向く形で悠飛の机を共有し、いつも塩オニギリしか食べない彼にお菓子などを提供した。 「ご飯はいつも貴方が作っているんですか?」 「そう…一人暮らしだから」 「へえ!ご立派ですねえ。でもオニギリだけじゃお腹空くでしょう。どうぞ、差し上げますから沢山食べてください」 そう言うウララもマスクの下から穀物バーや野菜スティック、巻き寿司を食べている姿しか見ない。  大量のお菓子に気後れしつつ、悠飛はウララの肩に学ランを羽織った格好を見て、確かに彼は自分よりも細いしそんなには食べないのかもしれない、と、シャツに隠された美しい体を思った。体育の授業で裸を見ることもあるので悠飛は彼の引き締まった、張りのある肌と筋肉の隆起を知っていた。  ぼんやり考えていると、意識の外でウララがおかしそうに笑うのが聞こえた。彼はわざとらしく胸の前で腕を交差させ、 「そんなに気になりますか?」 と、悪戯っぽく目を細めた。星の川のような涙袋が浮かび上がる。  悠飛は目をパチクリさせ、凝視し過ぎたことに気がつきアッと言って首を振った。彼が貰ったお菓子の中から適当にクッキーを拾い上げ、「アンタも」と差し出す。 「ああ、貴方、私が細っちいと仰りたいんですね。貴方と比べれば誰でもそうでしょう」 「え、い、いや…」 「食べるならまあ、これがいいです」 ウララはデメルの菓子箱をつつき、悠飛を見て身を乗り出した。だが戸惑う彼に無垢を装って首を傾げる。 「食べさせてくれるのでは?」 そういうことか、と納得しつつ、そういうものか?と内心疑問に思ったが、彼は菓子箱を開いてオレンジピールチョコレートを摘み上げた。  そしてウララがマスクを外さないのでどう食べさせようか、下から差し込むべきかと迷っていたら、彼は自らマスクをずらし、口元を露わにしてそのチョコレートスティックを咥え込んだ。半分ほど口内に入れてむにゅりと噛みちぎり、ゆっくりと味わう。桜色の唇が柔らかく動くのを悠飛はまたしても見つめていたが、ふと視線を逸らし、残りのチョコを口に入れた。 「う!」 「え?」 「あ、甘くねえ…んああ…」 「そりゃそうでしょう。グミか何かと思ったんですか?」  どこか抜けている悠飛の為にウララは色々と世話を焼いてくれた。  入学早々に行われる体力測定の日も2人1組になるよう言われ、単に番号順であれば悠飛はウララではなく彼の後ろに位置する生徒と組まなければならなかったが、好きに選んでいいとなると彼が頼れるのは勿論ウララであった。話下手な彼は強面な印象もあって、(いま)だ遠巻きに見られるだけの存在だった。後ろで安堵の溜息がつかれる一方、悠飛は記入シートを持ってまごまごしていた。悠飛が頼れるのはウララだけであっても彼は皆に好かれているのだ。  周りがペアを組み始めるなか、悠飛はたらたらと名前や身長、体重などを記入していたがいくら時間をかけようと相変わらずみみずの這ったような字なのに変わりはなかった。  隣でウララは他の生徒と話をしており、誰もいきなり彼を誘おうとはしなかったが話の流れで、「ペア決まってる?」と、尋ねる者があった。  悠飛も耳をそば立てて聞いた。 「うん、茜谷さんと」 事前にそんな約束を交わした覚えはない。そう言われた瞬間も顔を上げることはできなかった。仮に自分が別のクラスメイトとペアを組む約束をしていたらどうするんだ、とか、気遣われてたら惨めだな、とか、苦い思いもあったけれどウララに選ばれた喜びが勝り、他の生徒が「茜谷?」誰だ、と何とも言えない空気になるなか、さも当然だと言わんばかりに澄まし顔を貫いた。  ウララも彼が平気で嘘を呑み込んだため、 「体力測定頑張りたいでしょう?できる方と一緒にやったら記録も伸びるんですって」 と、約束を既成事実にしてしまい、彼の腕を小突いて立ち上がった。  皆は悠飛が『できる』らしいことよりもウララが体力測定に力を入れていることへ興味を持ち、意外だ、勉強だけじゃなくて運動もできるのか、と感心していた。悠飛は適当を言わないでくれと困る必要もなく、堂々とウララに付き添えば良かった。  長座体前屈の記録をしているとき、悠飛の背中をぐいぐいと押していた彼が不意に、 「安心しました。貴方が誰かを裏切ってしまうことがなくて」 と、囁きかけた。  悠飛は上体を起こし、「分かってただろ」と唇を尖らせた。 「いいえ?だって悠飛さんが誘ってくださらないから」 しかし彼は拗ねたような視線を向け、悠飛に代わって位置についた。壁に背中をくっつけ、測定器を握る。 「私じゃなくてもいいなら次は他の方とやります」 寂しげな横顔にエッと叫んだが、そのまま体を前に倒してしまい、彼はウララの背中に懺悔することとなった。 「なん…わ、分かるだろ。話せる奴なんかお前くらいしかいねえんだって…」 「それじゃあ話せる人ができたら私じゃなくても構わないと?」 俯けた顔からくぐもった声が発せられる。思いもよらなかったことだが、ウララは相当彼の意気地なさに腹を立てているようだった。  そんなことはない、と彼は首を横に振ってむつかしげに唸った。 「顔上げろよ…」 その先の言葉は特に考えていなかったものの、ウララは言われた通りに折り畳んだ体を元に戻し物憂げな表情で彼を見つめた。不満と憂いの入り混じった顔に悠飛は視線を釘付けにして、唾を飲んだ。  瞳が月を写す夜の海なら、そこに影を落とす睫毛は雁の羽だ。塩の山のような鼻梁に憎しみの篭る薄い唇が対照的で、その全てが自身に向けられ、またそこに自身が囚われるという疾しい栄華を彼は震えるほどの喜びでもって迎え入れた。 「悠飛さん?」 「あ…お、お前が、綺麗で…」 「はあ?」 ウララは彼の口からつい零れ出た言葉に一瞬眉を顰めたが、ついには吹き出し、 「ええ、私は綺麗ですよ」 「だから大事にしてくださいね」などと嘯き次の測定へ向かった。
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