親交

1/5
前へ
/41ページ
次へ

親交

 某所。緩やかな弧を描いて大地にかぶさる空は灰色、雲間から白い光が射し、野原に恵みの陽光を投げかけていた。青草がぬるい春風に吹かれてそよそよと頭を揺らしているが窓越しではその音が全く伝わって来ない。動く絵画を眺めるように、額の外、つまりは窓辺で視線を注ぐ青年に、 「苦しみが苦しみに苦しみを運んでくる」 《真昼の魔女》は「ギリシヤの古い格言だ」と言って緑色の視線を向けた。八の字眉が憐憫を浮かべている。  《魔女》は肘掛け椅子から腰を浮かし、 「幸の多き人生になりますよう」 と言って聞かせ、手を握った。青年は黙って頷き、荷物を持って玄関へ行った。  屋敷は静まりかえっていた。羊の彫刻が施された玄関口まで来ると側の階段に腰掛けていた《ブラック・ランボー》が煙草を潰し、硝子の灰皿に押しつけた。そこにも羊の刻印があった。彼は自分より背が低い青年の背中を二、三度叩き、「さよならだ」と屋敷の外に送り出した。  草原に停めてあった黒のクラウンを運転したのは《向日葵(フォイヤレンダー)》だった。青年にアイマスクを手渡し、 「眠るといい。半日はかかるぞ」 と言って彼の少ない荷物をトランクに入れた。  道中雨が降った。窓に雨粒の弾ける音と車のスピーカーから流れる『エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス』が彼を泥のような眠りに落とし込んだ。  車の揺れでたまに目を覚ますことがあったけれど、アイマスク越しでは見える景色も何もなかった。ただ雨音は止んでいて、曲もコンピュータ・マジックの『ランニング』に変わっていた。彼はまた寝た。  次に目を覚ましたのは《向日葵(フォイヤレンダー)》が肩を叩いたときだった。アイマスクを外すと外はすっかり夜になっており、五時間以上はゆうに経過していると思われた。 「よく寝たか?」 「ああ」 ガラガラの声で返事をし、車から出て荷物を取った。普通の住宅と要塞じみた建物の混在する変わった地域で、青年は側の、草木に覆われた一戸建ての家を眺めた。勝手口付近に自販機があり、青白い光を放っている。 「この家?」 「そうだ。ほらよ、鍵」 茶色い蔦の絡まった小汚いポストには「茜谷」ときちんと彼の苗字があった。  《向日葵(フォイヤレンダー)》はまた車に戻り、窓から「それじゃあ俺はこれで」と手を振った。 「友達作るんだぞアカネヤー」 ハハハ、と軽快な笑いを残し彼も去って行った。自販機がジーーと機械音を鳴らしている。どうやらまだ活動しているのは青年と自販機と光に寄ってきた羽虫だけの様だった。  彼は階段を上がり二階から部屋に入って、固い床で一夜を過ごした。    ❇︎  四月。  灰の如し桜が降る。  某国立高等学校に新入生が登校して来た。全員が墨で染めたような学ランを纏い、多くの生徒が親か友人を伴って来る。その中に青年の姿もあった。但し一人で、奇妙な貫禄がある男を見、何人かの生徒は「怖そうなパイセンだぜ」と勘違いをした。  高校までは波のような坂を越えて行かねばならない。他の生徒が息を切らしているように、彼も校門を潜る頃には猫背になってゼェハァ息をついていた。  それからすぐに入学式があり、クラスに分かれて着席した。内部進学が3分の2を占めているため顔見知りも多いのか会場はざわついており、彼は左隣のクラスメイトに会釈をして無視された。頭の中で《向日葵(フォイヤレンダー)》の『友達作るんだぞ』ハハハという笑い声がこだましていたことだろう。呆然としたまま校歌を歌って席に着くなり校長の話を聞かされて、登校の疲れからか彼も含め何人かは早速船を漕いだ。式が終わると彼はE組の教室に入った。  既にグループが出来上がっており、もしかしたら中学ではそれほど仲が良くなかったのかもしれないが、担任が来るまでの間を誰かと過ごそうとしていた。彼は前から二番目の席に着き、黒板に書かれた「Congratulations on your entrance!」の字を見た。担任は確実に英語教師だ。  ぼんやりしていると視界に人影が入った。先ほど彼の会釈を無視した生徒だ。 「外部生?」 と、彼はいきなり聞いてきた。ギョッとして、青年は無言で頷いてしまった。 「私も」 マスクに覆われていない、形のいい目がニッコリと笑う。あの無愛想加減は何だったのか、彼は通路に足を投げ出し上体を捻って青年の机に頬杖をついた。  また微笑む。 「名前は?」 「あ、茜谷悠飛」 「へえ…大層ご立派な」 「揶揄ってんのか」 演技じみた口調に目を細めると、 「まさか」 彼は悠飛の手を掴んで、 「私のことはウララと呼んでください」 「ウララ?」 「そう。あだ名です。ほら、呼んでご覧」 顎で合図をした。 「う、ウララ」 口に出してやると彼は満足そうにフフフと笑い、ようやく手を離した。皮膚が汗ばんでいたがこれはウララの汗ではなかった。「緊張しないでください、仲良くしましょう」と小首を傾げられたものの、うんともすんとも言えなかった。これでは愛想が悪いのは寧ろ悠飛の方だった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加