3人が本棚に入れています
本棚に追加
呪術というオナニーは報われるはずがない
夢に男が出てきたとする。その男は私でオナニーしているに違いない。そう気づいたのは保健体育の授業のことだった。私が小6でたどり着いた性知識をおさらいした。そこで思うに精子ひとつひとつが生命だとしたら、自慰の時に生まれた命は無駄にならないとしたら、どこで精子たちが報われるのだろう。古典の授業で「平安時代では夢に想い人が現れると両想いを確信するものだった」と教えてもらった。どうやって夢として思いを伝えるかといったらオナニーでしかあり得ない。オナニーによって行動に表すことで風が吹き桶屋が儲かりあの人の元へ思いが届く。そう考えたらオナニー、するしかないだろう。
私には精子がないけど、オナニーは呪術と考えてもいいかもしれない。やることに意味がある。チョコレートに思いを込めて渡すことが様式ならオナニーだって完全な呪術だ。呪術でも基礎中の基礎だ。私の待ち人は遠い。バンドマンだし、手作りのチョコレートを食べさせる手段がない。手作りのチョコレートはゴディバより安くてみすぼらしくてみっともない。ましてやこのご時世毛髪入りなんて出禁案件だろう。地下アイドルに嫌いなものを送ってしまうと事案になるんだから、手作りチョコレートはだめだろう。というわけでオナニーをするしかないんだ。
そう思って今日も股を一生懸命こすって呪っていく。私は一介のバンギャなのだが。大好きなバンドマンの彼を思い浮かべるも、股を弄りすぎてひりひりする。いく時はいつだって一人だ。一人だしもちろん独りよがりだけど最近はいくかいかないかギリギリだ。吹けばすぐにでも熱意は飛んでしまいそうだ。こんなに好きなのに、好きでいることで駄目になってしまう。そんな人生が私の身に降りかかりそうだ。でも、付き合ってるわけではないし。私は女子高校生だし。付き合ってたら淫行だし。あのバンドマンは売れてて私なんか眼中にないよ。
最初のコメントを投稿しよう!