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「リーリヤ様、目障りです! アンダルト様の前から消えてくださいませっ!」
男爵令嬢エリーゼに中庭の人気のない場所へ呼び出され向かった矢先のこと。
エリーゼが叫んだ瞬間、目の前がカッと光り眩しさで手を翳した。
何が起こったか分からなかった。うっすら目を開ける。ぼんやり、周りが見えている程度で、まだ、視力は回復していない。
「眩しかった……一体、何が起こったの?」
声に出して言ったつもりが、私の耳に聞こえてきたのは……『ちゅう、ちゅちゅっちゅう?』
えっ? と、耳を疑い、自身の手を見て驚いた。
……人間の手じゃない?
ピンクの小さく短い手に驚いた。
「侯爵の娘であるリーリヤ様がいいきみね! アンダルト様の周りをうろちょろしてるから、そんななりになるのよ! 穢らわしいっ!」
見上げると私を蔑むように笑い、満足そうにするエリーゼ。コツコツと踵を鳴らし、嬉しそうにドレスを揺らして、エリーゼは足早に去っていく。
私から見てあまりに大きくなったエリーゼは、巨人のようで、踏みつぶされてしまうのではないかと、とても怖かった。
……どういうことなの?
声に出しても聞こえてくるのは、『ちゅうちゅう』と鳴く声だけ。私の慣れ親しんだ声は、聞こえてこない。
周りを見回せば、着ていたドレスの真ん中にちょこんと座っていた。
ブルっと震えながら、起こっていることを考える。
両家の祖父の約束に則り、生まれる前から公爵令息アンダルトは私の婚約者であった。初めて婚約者としてあったのは5歳のとき。アンダルトはとても優しく、毎月開催される私とのお茶会を楽しみにしていた。
少し寡黙ではあったが、剣の稽古の話や好きなもの興味あるものに話を誘導すると、とても嬉しそうに話してくれ、その顔を見つめながら聞くことが私も嬉しかった。
このまま、学園を卒業して、輿入れをし、次期公爵のアンダルトを支えていくのだと思っていた。
学園に入ってしばらくしてから、アンダルトが私を疎ましく思っていることをうすうす感じるようになる。毎月のお茶会で見せていた笑顔もなく、いつも仏頂面でこちらを見てくれることもなくなった。
学園での噂に聞き耳をたてたとき、ある令嬢の話が聞こえてきた。たまたま、移動教室のとき、その令嬢とアンダルトが二人で楽しそうに笑いあい、アンダルトに触れているのを見たとき、全てを悟った。
素直でない私ではなく、無邪気で甘え上手な男爵令嬢エリーゼの虜であるとアンダルトの表情を見ていればわかる。
王族に次ぐ公爵家の跡取りとして、上位貴族である令嬢との婚約は、彼にとっても爵位を継ぐにあたり必須だ。
今の状況は、私との婚約破棄をする決定権はアンダルトになく、痺れをきらしたエリーゼが私に直接手を下したに違いない。
……いつまでも、ここにいるわけにもいかないわ。
移動しようと体を動かす。幸い、四つ脚となったとしても、移動には困らないようだ。
庭の床にできていた水溜りを覗く。そこには、私ではなく、紅い目をした白い毛のネズミの姿が映し出された。
……ネズミ? 私、ネズミになったの? これは、どうしたら元に戻れるのかしら? このまま、私はネズミのまま死んでしまうの?
お父様、お母様……アンダルト様。私、どうしたらいいですか?
上を見上げると月の明かりはなく、星が瞬いているだけだ。頼りにならないアンダルトが頭に浮かんだのは、長年、側にいたからだろうと、頭を振る。
家に帰らないと……!
涙をこぼそうにも、出ない。くじけそうな気持ちをぐっと堪え、前を向く。周りを見ながら、確認をしゆっくり歩き……走り出す。
呼び出されたのは、学園の中庭。当たりをつけ、走っていくが、ネズミの私では全然出口に辿りつけない。
……人間の1歩と今の私の1歩では、進む距離が全然ちがうのね。
空を見上げ、方角を確認しながら、必死に走り続けるとやっと、正門へついた。真っ暗な道に一歩出る。
……次は家に帰らないと……きっと、お父様とお母様が探してくれている。
決心新たに、石畳の道路へと飛び出したものの、屋敷までは果てしなく遠かった。
疲れ果て、店の軒先で倒れ込むように眠りにつく。
……令嬢だったら、こんなこと、許されないわね。硬い石の上でも、寝られるだけよかった。
予想以上に走り疲れていたのだろう。朝日が顔に当たって目が覚めた。
目を開けると、学園から1番近い王宮が目につく。人間であったときも、高い城門だと思っていたが、この体になれば、さらに高く、全く上が見えない。
……ネズミになっても、お腹はすくのね。
短い手で、お腹のあたりをさする。ぐぅと音がなりそうなお腹を、水飲み場の水で耐える。
屋敷へ戻るまでに、空腹をなんとかしなきゃ。お城に行けば、何かあるかも!
そっと門兵の横を通りすぎる。気付かれないかとヒヤヒヤしたが、門兵からしたら、小さな私は見えていないだろう。コソコソっと城門を抜け王宮へと駆けて行く。
いつもなら、馬車であっと言う間なのに、本当に遠いわ……!
走って行くと、外廊下に出た。すみの方をとにかく目立たないように走っていく。前を見て、コソコソと……。
「ネズミ、ネズミよ! 誰か、駆除してちょうだい!」
突然のメイドの声に驚き振り返った。ほうきやはたきを持った数名のメイドが目を吊り上げ、私を追いかけ回る。どこを走っているのかわからず、とにかく命の危機であることはわかったので、逃げることだけを考えた。
だから、前を見ていなかった。必死に逃げていたから。
「待てぇー!」の声に怯えていたら、ドンっとぶつかった。
「ちゅちゅちゅちゅ……(あいたたた……)」
お尻を短い手でなでなでしようとして届かず、狼狽えているとひょいっと摘まれ、誰かの手のひらの上に乗せられた。
「あのネズミ、どこいった?」
「すばしっこいわね!」
メイドたちの声がだんだん近づいてきて、恐怖で震える。
「静かにね。匿ってあげるから」
そっとジャケットのポケットに私を入れて、しぃーっと指を立てる仕草をする男性。顔は見えず、ポケットで大人しくじっとしていた。とても、安らぐ香りに包まれ、少しだけ安心してしまう。
「殿下よ!」
「あっ、ほら、それ隠して!」
メイドたちが慌てた声をあげ、何やらソワソワしている雰囲気が伝わってくる。
「どうしたんだい? 乙女たちがそんなものを振り回して。危ないよ?」
「いえ、その、ネズミを追いかけていて……」
「その、み、見かけませんでしたでしょうか? 白いネズミを」
「うーん、そうだね? 僕は見かけてないかな。小さなネズミだから、きっとどこかへ隠れてしまったと思うよ?」
ポケットに入れられた手に私はしがみつき、メイドたちがいなくなるのをジッと待つ。
メイドたちを諭すような優しい声に聞き覚えがあった。
「もうメイドたちは向こうへ行ったから、僕たちも行こうか?」
小声でかけられた声にホッとしていたら、ポケットが揺れ始める。移動しているのだろう。
……メイドたちが殿下と言っていたわ。優しい声にこの香り、セイン殿下かしら?
一旦揺れがおさまり、また揺れ始める。何かを片手で漁って、座ったようだ。ずっとポケットに手を入れていてくれたおかげで、私はしがみついていた。
「さぁ、出ておいで。可愛らしいお客様」
ポケットの中から、優しい手つきで出された。タオルが敷かれており、そこに私を降ろしてくれる。
私はいつもの癖で、セインに淑女の礼を取る。
「驚いた! 見た目は、うん、ネズミなんだけど……淑女の礼だね? 君は女の子かな?」
「ちゅう、ちゅちゅちゅちゅちゅう!(セイン殿下、侯爵家のリーリヤです!)」
「ごめんね……僕には、君の話していることは、わからないんだ。もし、どこにも行くところがないなら、ここに住んでいいよ! 昼間は学園に行くからいないけど、夜はいるから」
「ちゅちゅちゅちゅ! ちゅう? ちゅちゅちゅちゅちゅう? (知っております! えっ? ここに住まわせていただけるのですか?)」
伝わらないとわかっていても、長年の令嬢として癖が抜けず、ペコリと頭を下げる。
「うーん、ここに住むってことでいいのかな?」
私の仕草を見て、考えてくれているようで、じっと観察をしながら、確認を取ってくれる。コクコクと頷くと、優しく微笑んだ。
「とても賢い子だね。ここにいるのなら、名をつけよう。君は女の子なんだよね?」
コクコク。
「そうだなぁ……白い毛に赤い目。まるで、あの令嬢のようだ。昨日から、いなくなってしまったと、騒ぎになっているんだが……どこに消えてしまったのか。無事だといいんだけど……」
私のことですと言えればよかったのだろうか? 話すことすら出来ない私は、セインが机においていた手をそっと触り、見上げる。
「心配してくれているのかい? ありがとう。うん、そうだ。やっぱり……君は、あの令嬢に似ている。優しい彼女、僕の想い人なんだけど……君にだけ打ち明けるよ。リーリヤ。小さな君の名前は、これからリーリヤだ。なんだか、重い話になっちゃったかな?」
クスっとわらうセインの想いを聞き、驚いた。人間だったら、きっと赤面してしまっていただろう。
……セイン殿下は、私のことを?
胸がバクバクとして、この小さな体は破裂してしまうのではないかと思えるくらい脈打っている。
小さな手を頬にあて、ふるふるとすると、「可愛い子だ、リーリヤ」と今まで以上に優しい声が頭の上から降ってきて許容を越えた。ペタリと座り込み、コテンと寝転がってしまう。令嬢としてあるまじき行為である。
王子付きの侍女が部屋に入ってきて、私を見て驚いたが、すぐに冷静さを取り戻していた。
さすが、王宮侍女!
感心しているとセインが侍女にドールハウスが欲しいと頼んでいる。明らかに私の家になるのだろう。侯爵家へ帰らないといけないというに……長居してしまいそうな予感がヒシヒシとしてしまう。
王子と暮らすならと、侍女がいろいろと用意をしてくれた。トイレだけでなく、体を洗うようにお湯など、至れり尽くせりであった。
少し呆れたように侍女には見られたが、自分で体を洗ったり、トイレに行ったりと不思議な行動をするネズミを可愛がってくれる。
セインが学園へ行っている間のお世話は、この侍女がしてくれるらしい。かいがいしくお世話をされると、なんだかむず痒い。
「リーリヤ様は、とてもお利巧なのですね。お風呂もおトイレもご自身でされるだなんて……私、何もすることがございませんわ!」
はぁとため息をつき、侍女がセインの部屋を整えていく。新聞が机の上に置かれているのを見て、ドールハウスを抜け出し、読んでいた。
昨日のことだったはずだと、新聞の上をペタペタと音を立てて歩く。大きな見出しに『侯爵令嬢、神隠しか?』という題名を見つけ、それを読む。人間のときは細かい字でも、ネズミになれば、文字は顔の半分くらいある。
なぞるように読んでいると、侍女がこっそり見守ってくれていたらしい。
「殿下から、不思議なネズミだと言われていましたが、文字も読めるのですか?」
上を見上げるとニッコリ笑う侍女にコクコクと頷く。
「言葉が……わかる? リーリヤ様は、本当にネズミ?」
とても驚いていたようではあったが、優しい人なのだろう。
「このお嬢様の記事なら、後ろに詳しく書かれていますから、開きますか?」
コクコクと頷き、「ありがとう」とお礼をいう。きっと、ちゅうちゅうとしか、聞こえていないのだろうが、「どういたしまして」と返事が返ってきた。
『学園で神隠しにあった、侯爵令嬢リーリヤ! 彼女は、今、どこに?
脱ぎ捨てられていたドレス……あられもない姿で、どこへ行かれたのか? 噂では、どこぞの平民と恋仲になり、侯爵家から逃亡したというリーリヤの友人と名乗る男爵令嬢からの証言もある。
不可解なこの事件、解決はいかに?
婚約者公爵令息アンダルト様もリーリヤ様失踪にさぞ、心を痛めていることだろう。仲睦まじく街をお忍びで散策されている姿も度々確認されていた。卒業後、ご結婚が決まっていたお二人。気落ちされていなければいいのだが……』
記事を読み進め、新聞の上にポテンと座る。
友人と名乗る男爵令嬢は、エリーゼのことね。また、あることないことを言いふらしているのかしら……?
それに、アンダルト様と街を散策したのは、私ではないわ。
ため息が漏れた。
元はと言えば、エリーゼがかけた呪いのせいで、ネズミになったのだから、失踪も恋仲の平民もいない。
アンダルトとの婚約も受入れていたし、卒業後、公爵家に嫁ぐ準備だってすでに終わっている。持参金に始まり、ドレスや宝飾品、教育に至るまで。王侯たちの親族である公爵家に嫁ぐためには、幼いころから血の滲むほどの努力が必要なのだから、つけ焼き刃でどうこうできるものではない。
アンダルトのことを考えると、涙がでそうになった。記事に書かれているようなことを本当に信じてしまうような人だ。きっと、喜んで婚約解消を両親に申し出ていることだろう。
お父様やお母様には、辛い思いをさせてしまうわ……。
心がチクチクと痛んだ。
心も全てネズミになってしまったら……こんなに苦しくないのに……。私が、何をしたのかしら?
泣けないこの体が恨めしく、呆然としているしかなかった。
「リーリヤ様、おやつはいかがですか? もうすぐ、殿下もお戻りですから」
落ち込んでいるのを悟ってくれたのか、侍女は優しくお菓子を差し出してくれる。小さく切り分けられたクッキーに手を伸ばし、食べ始める。甘さが荒んだ心を満たしてくれるようであった。
おやつをもらい、食べているとセインが帰ってきた。
私の話題で侍女と話をし、その後は勉強するため机に向かう。私は、その傍らに座り、セインの勉強を隣でじっと見ている。何時間も集中して勉強しているセインには、感服させられた。
私もたくさん勉強をしたけど……もっと、たくさんの勉強をしているんですね。
たまに私の方を見て、微笑む。覗き込むように、本に乗ってしまうので、目につくのだろう。
何時間も勉強をした後、夕食湯あみを済ませ部屋に戻ってきた。
休もうかとベッドに連れて行ってもらい、すぐに眠るセインを見つめた。
「……リーリヤ、どこにいるんだい?」
寝言なのか、私を呼ぶ声が切ない。
……リーリヤなら、殿下の側にいます。
そっと頬に触れ、眠るセインの側で体を丸め眠りについた。
◆◆◆
1週間、セイン部屋で過ごした。ここに来た3日後には、大きなドールハウスが用意され、そこで住むよう言われた。
どれもこれも本物の家具となっていて、驚く。
……ベッドなんて、かなりふかふかしているわ!
それまで、セインと並んで眠っていたが、今日からは用意されたベッドで一人眠るのかと思うと少し寂しく感じる。
「お嬢さん、背中が寂しそうですよ?」
クスクス笑いながら、からかってくるセイン。
抗議をしようにも、ちゅう! しか発せられないもどかしさに、さらに肩を落とす。
「夜は、あっちのベッドにおいで。ドールハウスは、リーリヤの私室であって、必ずしも、そこにいないといけない場所じゃないよ?」
頭を人差し指で撫でてもらい、目を細める。こんなちょっとしたふれあいが、とても嬉しく感じるようになった。
セインは優しいと有名ではあった。そんな人にネズミになった私をこんなに大事にされるとは思わなくて嬉しい。
セインには、まだ、婚約者がいない。きっと、婚約者が出来たら、たくさんの愛情を注ぐんだろうと思うと、胸がチクンと痛む。
「今日は、僕の友人が来るから、リーリヤのことも紹介しよう」
「ちゅう? (それって……アンダルト様のこと?)」
首を傾げてみれば、「もうすぐくるよ」と胸ポケットに入れられる。
「しばらく隠れていて! ねっ?」
優しく人懐っこい笑顔にキュンとする。
私、やっぱり、変だ!
ここへ来た日から、胸が高鳴ることがある。病気ではないのだが、セインの笑顔を見ると嬉しくなるし、ここ数日、いつもセインのことを考えてしまっている。
「アンダルト様がおいでです」
侍女がノックして取り継ぎをした。その人物は、部屋に滑り込んで挨拶をする。声を聞けば、私のよく知る人だ。
「セイン様、お話とは、なんでしょう? これから、出かけないといけないので、手短にお願いできますか?」
開口一言目から、驚いた。心置きない友人のためかアンダルトの言い方が雑な物言いである。王子に対して、その言葉遣いは、王子が王太子になったとき、その後、王になったとき、必ず困ることになる。アンダルトは、私が知る限り、王子に対して、もっと敬意をはらっていたはずなのにと辛くなってきた。
「では、座ってくれ。本題に入ろう」
勧められた椅子にかけ、こちらをじっと見つめてきた。私が見つめられているわけではないが、なんだか久しぶりな気がした。
「それで、何でしょうか?」
「アンダルトの婚約者であるリーリヤのことだが……」
「リーリヤですか? いなくなってから、もう1週間経ちます。現場に残されていた衣類などからは特に何もでず、急にいなくなった。侯爵家が嫌になり出奔したと思っています」
「なにゆえに、そう思うんだ? リーリヤは、侯爵令嬢。着衣だけならまだしも、下着も全て中庭にあったと聞いている」
「誰か、他に手引きできる男がいたんじゃないですか? 誘拐のように身代金の話も侯爵家には届いてないですし」
「アンダルトは、リーリヤを探さないのか?」
「何故、私が、お騒がせな女をわざわざ探さないといけないので?」
「婚約者であろう?」
「耄碌した爺さんたちが勝手に決めた婚約ですよ。一応、探すフリはしますが。俺は、エリーゼと結婚したい。公爵家を継ぐには、リーリヤという正妻が必要だっただけで、いなくなったなら、仕方ないですよね。
こちらから婚約解消できるので、願ったり叶ったりですよ!」
初めてアンダルトの本心を聞いた。胸ポケットで、まさか私が聞いているとは知らないアンダルトに失望し、項垂れる。
「リーリヤをお飾りにするつもりだったのか?」
「まぁ、そうなりますね? 結婚したら、別荘にでも追いやっておこうと思っていました。あくまで、正妻は可愛いエリーゼ。初夜だけは避けられないので、そこだけは、仕方なくいただく予定でしたが」
「アンダルトが、そんなやつだとは思わなかった!」
急に声を荒げたセインに私もアンダルトも驚いた。優しさの塊だと思っていたセインが、とても怒っている。
「……セイン様? それほど、怒らなくても。リーリヤなんて、ただ、微笑んでいるだけのつまらない女です。甘えることすらしてこない……」
「それは、リーリヤにとって、アンダルトが、甘えるにあたいしない存在だったからじゃないのか? リーリヤの努力に似合う努力をアンダルトはしてきたのか?
リーリヤは、一人っ子だ。本来なら、両親に甘えて育っているのに、頼りないアンダルトが婚約者だからリーリヤ自身がしっかりしないとと頑張っていたんじゃないのか?」
「なっ、何を言っているのか。リーリヤがそれほど気になるのでしたら、セイン様が探せばいいではないですか?
素っ裸で、一体どこで、何をしているのやら……男を誑かしているかもしれませんね?」
下卑た笑いを部屋に響かせ、もう用がないならと立ち上がる。
目に入ったのだろう。セインの後ろにある立派なドールハウスを。
「セイン様は、おままごとかお人形遊びが好きなのですか? いい趣味だ」
蔑むようにセインを見て、アンダルトは部屋を出て行く。
こんなによくしてくれているセイン殿下に向かって、なんてことを!
アンダルトが公爵家令息で私の婚約者だと思うと、恥ずかしくなった。
こんなときには側にいて、アンダルト様のことを止めるのに。セイン殿下にこんな失礼な言葉を投げつけるだなんて……!
「ちゅっ、ちゅちゅちゅう……(殿下、ごめんなさい)」
「あぁ、そういえば、リーリヤ。ごめんね、こんなところに押し込めて」
胸ポケットから出してもらい、手のひらの上に乗せられる。フルフルと首を横に振り、ダメな婚約者のことを謝った。
「尻尾が元気ないよ? さっきの……友人だったアンダルトを紹介するつもりだったんだけど、ごめんね。それどころじゃ無くなって……」
塞ぎ込むセインの肩に駆けのぼった。何も出来ない私は、その横顔にスリスリと寄り添う。
私に出来ることは何もない。元気のないのはセイン殿下のほうです。
「リーリヤ、くすぐったいよ! ほら、こっちに……」
右手を差し出され、躊躇せず、肩から飛び乗った。伝わらなくてもと思いながら、アンダルトのことを謝った。
◇◆◇
それからひと月経った。
新聞で賑わっていた私の記事もすっかりなくなり、世間は私のいないままの日常を取り戻していった。
いつものように、侍女に新聞を広げてもらい、いろいろな記事を読み漁っていく。情報をとれるのは、新聞以外になく、両親のことがとても気になった。だからと言って、この手ではペンを握ることも難しく、伝えることも出来ない。
傷心している両親のことを心配するしかできないこの体が、憎らしく腹立たしい。
侍女に新聞を捲ってもらうと、大きな見出しが出ていた。
『男爵令嬢エリーゼ、公爵令息アンダルトの心を射止めた! 婚約が正式に決定!』
その記事を見て、アンダルトとエリーゼの思う通りになったのだなと、目を通していく。二人のインタビューが載っていて、失笑してしまった。
『運命の赤い糸が僕たちを結んだのです』
『初めてお会いしたとき、添い遂げるのは、この方だと感じました』
『まさに真実の愛を僕たちは知り、この度、婚約に至りました。元、婚約者のリーリヤ嬢は未だ見つかっていませんが、彼女はどこかで素敵な方と、僕たちのように永遠の愛を誓い、添い遂げているのだと確信しています!』
冷めた目で記事を見ている自分にも驚いた。セインとアンダルトのやり取りを見たときから、私は、きっと、アンダルトについて何も思わなくなったのだろう。
それよりも、元気のないセインがとても気になっていた。アンダルトの代わりに、私を探してくれていたのだ。
目の前にいます! それを伝えられたら、どんなにいいのだろうか?
この1ヶ月の間、ずっと考えていた。新聞で、名前を伝えても、可愛いねと笑われるだけで、本当に私だと受取ってくれない。
どうしたら、私だって気が付いてくれるのかしら?
気付いて欲しくて、必死だった。アンダルトのことを見限ってからは特に。
自分の気持ちも、ちゃんと私の口から伝えたい。
この1ヶ月、大切にされ、私は十分なほど愛情を受けた。アンダルトから向けられたことのない愛情を。小さなネズミの私に。
ペットへの愛だとしても、優しくリーリヤと呼ばれる日々は、私にとって代えがたいものだった。
「ちゅ、ちゅうちゅうちゅ?(殿下、今日もお疲れのようですね?)」
「ん? 眠いのかな? そろそろいい時間だね」
日頃の勉強も食事も湯あみも終えた後、毎晩、私の捜索について、検討してくれていた。捜索と言っても、それほど多くの兵を動かせるわけではない。数人を自腹で雇って、探してくれているのだ。
もう、探さないで欲しい。地図にシルシをつけているその手に、そっと、両手を置いたのであった。
「おいで、一緒に眠ろう」
セインの手に乗り、一緒の枕で眠る。横になったセインを見つると、胸が苦しい。
「リーリヤも、僕を置いて行かないでおくれ?」
「ちゅう……(セイン殿下)」
「おやすみ……」
目を閉じるセインの唇に、初めてキスをする。
……ずっと、側にいます。セイン殿下。
そのまま、私も眠くなり眠ってしまう。不思議な夢を見て……。
◆◇◆
「……リー……リヤ?」
「ん……セイン殿下……?」
セインの声がして、うっすら瞳を開ける。朝なのか、眩しく目をギュっと閉じた。側にいたはずのセインはおらず、温もりがなくなっている。
大きなベッドではあっても、セインはベッドの真ん中でお行儀よく眠るのだ。それなのに、温もりが感じられないとはどういうことなのだろう?
眠い目をこすりながら、ベッドから起き上がった。
「リーリヤ、その、なんで?」
焦るセインの声に、わけもわからず目をパチクリさせる。いつもなら、セインを見上げるはずなのに、セインと同じ目線で見つめ合っていた。いや、セインは、私から顔を背けていた。
そっと、自分の体の違和感を確認する。
「きゃぁーーーーーーっ!」
慌てて、シーツをかき集め、自身の体を隠した。
「どうかされましたか、殿下? 女性の悲鳴が……」
いつもの侍女が入ってきて、裸の私を見て絶句した。彼女だけではない、殿下も言葉を失っている。
もちろん、私は恥ずかしくて、シーツの中に潜り込んでいくだけだ。
いち早く正気に戻ったのは、侍女であった。
「……殿下! 女性をベッドへお誘いされたのですか?」
「……はっ、い、い、いやっ! 目が覚めたら、リーリヤが……裸のリーリヤが、抱きついて……」
赤面のセインが、侍女に説明をしているが、要領を得ない。
「リーリヤ様ですか? ここひと月ほど、行方不明になっていらした侯爵令嬢の?」
「あぁ、そうだ。見間違いない……はず、だ」
「リーリヤ様?」
「……はい」
「どうして、ここにいらっしゃるのですか? 行方不明になっていたはずですが……」
「えっと、その……私、行方不明になった翌日から、ずっと、ここに住んでいました。ごめんなさい!」
「ここにだって? えっ? ここに?」
「殿下、もしかして……」
「そんな怖い目で見ないでおくれ? 僕だって、ずっとリーリヤを探していたのは、知っているだろう? もし、匿っているのなら、探したりしない!」
「確かに……そうですよね。でも、リーリヤ様は、ずっと、ここに住んでいたと……」
侍女は、何かに気が付いたのか、ドールハウスに駆けて行き壁面を開いているようだ。
「殿下、こちらにリーリア様がいらっしゃいません! そちらにいらっしゃいますか?」
「えっ、リーリヤはここに……」
「違います! ネズミのリーリヤ様です!」
「あぁ、リーリヤ!」
「はいっ! 私です! そのネズミのリーリヤも、今、ここで、醜態を晒したリーリヤも同じものです!」
「「えっ?」どういう?」
セインと侍女が見合っていることは、雰囲気でわかる。私は、潜り込んでいるので、見えていないが、さぞ驚いていることだろう。
「まずは、リーリヤ様のお召し物を用意します。どうしましょう……侯爵家へ連絡を入れますか?」
「そうだな……リーリヤのドレスなら、そのほうがいい。合わない服を着ると大変だろう」
「すぐに、手配を! 殿下、くれぐれも……」
「わかっている! すぐに頼む! あと、学園は休むと連絡を」
かしこまりましたと慌ただしく出ていく侍女と、困ったという雰囲気をまとうセインが残り、私はさらに困ってしまう。
どうして、急に、人間に戻ったの? どういうことなの?
裸を見られた恥ずかしさもだが、一晩、セインと同じベッドで眠ったかと思うといろいろなものが振り切れたほど、体中が熱い。
「えっと、着替えが届くまで、少し話をしようか? リーリヤ」
「……恥ずかしくて無理です」
「ふふっ、僕もとても驚いたけどね……目が覚めたら、裸のリーリヤが抱きついていたんだから……」
「い、言わないでください! セイン殿下の意地悪!」
泣き出したいのを我慢して、ぎゅっと体を丸くした。
「ほら、顔だけでも出して? よく見せてほしい……やっと、会えたんだから」
「恥ずかしいです!」
「恥ずかしいか……でも、これからも、顔を合わせないといけないんだけど、リーリヤはそうやって、ずっと、閉じこもっているつもり?」
「……そうでは、ないですけど。それでも、今は、ダメです。せめて、ドレスが来るまでは、このままで」
「わかった。では、そのまま、話をしよう」
はいっと返事をすると、クスっと笑うセイン。
「初めて、ネズミのリーリヤを見たとき、ネズミらしからぬお辞儀をしたり、言葉を理解したりしていたけど……まさか、リーリヤだったとは、思いもしなかったよ。何故、城に? アンダルトのところへ行かなかったのかい?」
「ネズミになって、思い知らされたのは、移動距離です。人間なら5分とかからない場所でも、お城につくまでに半日以上かかっているのです。本当は、屋敷へ帰りたかったのですが、お腹もすいていた。お城なら、何かあると思って、寄ったのがきっかけでした」
「たしか、あのとき、メイドに追われていたよね?」
「見つからないようにと隅を駆けていたのですが、白い体は、目立ったようで……あのときは、本当に命がなくなると思いました。そのせつは、助けてくれて、ありがとうございました」
「たいしたことではない。そうか、助けたのが……ちょっと待て?」
「どうかされましたか?」
「……リーリヤは、ネズミの間でも、言葉を理解していたのだったな?」
「えぇ、そうです」
「……会話、そう、会話は……」
「全て、覚えています。リーリヤと名をくれた理由もちゃんと」
「……」
沈黙が流れる。静かになったので、どうしたのだろうとシーツから顔を出した。セインが顔を赤らめ、口元を隠している。恥ずかしいのだろう。
その姿が愛おしく、シーツをかき集めそろそろと近寄っていく。
「セイン殿下?」
「……!」
微笑むと、さらに赤らむ顔。口元を隠している腕をそっと手で取り、私はキスをした。その唇から、驚きが伝わってくる。
「セイン殿下、お慕いしています。このような姿で、いうものではないのですけど……」
照れたようにニコッと笑いかけると、惚けた顔でこちらを見ていた。
「……セイン殿下?」
首を傾げていると、ノックのあと、扉が開いた。
「リーリヤ様のドレスとお……あとにしましょうか?」
侍女の言葉で我に返ったセインは、私をその瞳にうつしたあと、慌てて侍女を招き入れた。その後ろには、母もついてきており、涙を流している。それと同時に、セインと向き合っている私の格好を見て、青ざめた。
「リーリヤの着替えを頼む。まだ、聞きたいことはあるのだ。そのあと、着替えを」
「わかりました。早急に整えますので、しばらく、部屋の外へ出て行ってください!」
雑に扱われているにも関わらず、セインは何も言わず、部屋から出て行った。廊下には、父も来ているようで、「侯爵」とセインが呼んでいるのが聞こえてきた。
「では、整えます。お手数ですが、夫人もお手伝い、願えるでしょうか?」
「もちろんです! もう、二度と会えぬと思っておりました。リーリヤ。何故、セイン殿下の寝室に……」
少々頭の痛い出来事に、とにかく耐えている母には申し訳なく思う。
◇◆◇
その後、整えられた応接間で、ことの顛末を話すことになった。
男爵令嬢エリーゼに呪いをかけられ、ネズミになったこと。
ネズミの私は、お腹をすかせて城へ忍び込んだこと。
セインに拾われ、大事に守られていたこと。
アンダルトへの失望、見限ったこと。
セインへの恋心を。
このひと月の間のことを全てセインと両親へと話した。しばらくの沈黙のあと、アンダルトからの婚約解消についての話を父から聞いた。
「公爵家には逆らえないこともあるが、さすがに、傲慢な態度でうちの娘を侮辱するものだから腹立たしかった。この婚約はなくなってリーリヤにとってもよかったことだろう。義息子になるのかと思うと、ゾッとする」
父も優しい人ではあったが、ここまで怒らせてしまうなんて、アンダルトは、どんな言葉で私を蔑んだのだろうか。気にはなったが、これ以上蒸し返すのも、両親に申し訳ないので、聞かないことにした。
「それで、こちらから提案があるのだが?」
「取り乱してしまい、すみません。殿下からの提案と申しますと……」
「少し前に、陛下……父に話をしてきた」
「先程のお時間にですか?」
「あぁ、そうだ。少ない時間ではあったが、理解してもらい、承諾を得たよ。母も大喜びであったから問題ない」
「それで、その提案とは?」
「リーリヤを正式に王太子妃として、学園を卒業後迎えたいと思う」
私は、口を両手で抑えた。両親も驚いて言葉にならなかった。
「それほど、驚かないでくれ。元々、リーリヤのことを好きだったんだ。アンダルトとの婚約は残念だったけど、前向きに考えてくれると嬉しい。公爵家への輿入れが決まっていたから、教育には全く問題はないし、リーリヤも私のことを想ってくれていることもわかった。侯爵家にとって、悪い話ではないと思うが、どうだろうか?」
「……突然のことで、驚きました。殿下を含め陛下や王妃様がリーリヤを求めてくださるのであれば、異存はございません。リーリヤはどうだい?」
父に問われ、セインと両親の視線が私に向かってくる。
「本当に、私でよいのですか? その、失踪した令嬢として、セイン殿下の名に傷がつきませんか?」
「傷? そんなものどうでもいいさ。それより、リーリヤが首を縦に振ってくれる努力なら、今よりずっとするけど、どうかな?」
「えっと……それ以上は、何もなさらないでください。このひと月、私は、ネズミのリーリヤとして、ずっと、お側におりました。セイン殿下のことを見ていたのです。これ以上、私のために時間をさかないでくださいませ!」
「リーリヤのためなら、時間はいくらでもさけるよ!」
「そうではなくて……私がセイン殿下のための時間を作りますから……その、」
優しく微笑んだあと、父の方を見るセイン。
「決まりましたね、お義父様」
「まだ、早いですよ、お婿殿」
三人は笑いあい、まとまった婚約に喜んでくれる。
「それで、もうひとつ、提案があるのだが……少々悪質なイタズラになってしまうので、侯爵が乗り気でなければ、辞めるが……」
「どういったことでしょう?」
悪だくみをする二人の男性たちに、母と二人笑いあった。
◇◆◇
数日のうちに、セインが王太子になったこと、婚約をしたことが国中に知らされた。城下だけでなく、国中がめでたいことだと、大騒ぎになる。
「そういえば、セイン殿下の婚約者は一体誰なんだろう?」
「発表されてなかったよな?」
「婚約したとだけ、新聞では出されていたけど……」
謎の婚約者に、国内外の貴族未婚女性が嫉妬していた。私は、未だ失踪したままではあったが、セインのはからいで、学園卒業のための課題を提出することで、セインと同じく卒業することが出来た。
今日は、その卒業式だ。
貴族の子息令嬢は、この卒業式に婚約者を伴うことが習慣となっている。セインの婚約者お披露目は、この日、されることになっていたので、みなが、セインの入場を待っている。
「変では、ありませんか?」
「とっても似合っているよ!」
「本当ですか?」
「本当だとも。君の瞳の色に合わせたルビーの宝飾品も僕の正装に合わせたそのドレスも、とても似合っている」
「それなら……」
着なれない豪奢なドレスに戸惑いながら、セインの腕に手をかけた。ふっと体を寄せてきたセインが、イタズラっぽく囁いた。
「ネズミのリーリヤから、人間に戻ったときのリーリヤが1番綺麗だと思うよ!」
「……それって!」
真っ赤に顔をさせたとき、扉が開く。「行こうか」と声がかかり、歩いて行く。卒業式。見慣れた同級生は、私の顔をみて、みな驚いていた。1番驚いた顔をしていたのは、他ならぬエリーゼだったが、その隣に座ってたアンダルトは私に見惚れていた。
「アンダルトは、リーリヤの美しさに見惚れてしまったのかな? リーリヤをずっと目で追っているよ?」
「冗談は辞めてください。私はアンダルト様にとって、つまらない女なのですから……」
「戻ってきてくれと懇願されそうだよね? どう見ても」
「戻ってきてくれと懇願されても、婚約解消を申し出たのはアンダルト様ですから。それに、今は、あなたの側に」
「そうだった。渡すつもり、全くないよ」
クスクスと笑いあい、着席する。アンダルトの前に座る私に、後ろから話しかけてきた。
「リーリヤ、一体……どういうことなんだ?」
「どうって……お隣にいるエリーゼに聞かれてはいかがですか? 全てを話してくださいます。それに、アンダルト様にとって、私はつまならない女ではありませんか? もう、話しかけないでくださいますか?」
「たかだか、侯爵の娘に何を!」
「残念だね、アンダルト。リーリヤは、王太子妃だ。身分を弁え、言葉を慎め!」
悔しがるアンダルト。男爵家との婚姻では、盤石ではない公爵家にとって、未だこの婚約自体を公爵に認められていないことは、セインからの情報で知っていた。
他の上位貴族の令嬢と婚姻をしようにも、年頃の女性はすでに婚約済みで誰もおらず、お飾りの公爵夫人の席は空席のままであった。かといって、そんなお飾りの公爵夫人の座をエリーゼが誰かに譲るつもりもなく、ことごとく潰していったこともわかっている。
「王太子様、王太子妃様。卒業の挨拶を……」
卒業式後は、王太子になったセインと王太子妃になった私に挨拶をすることになっていた。公爵令息であるアンダルトはエリーゼを伴い、挨拶にきた。
私を睨むエリーゼに、優しく微笑む。
「この度は、王太子になられたこと、ご婚約、そして、卒業おめでとうございます」
苦々し気なアンダルトは、膝をつき頭を垂れる。それに倣いエリーゼも。
「あぁ、ありがとう。そなたらも婚約したと新聞で見た。おめでとう」
「ありがとうございます。その、殿下はいつ、リーリヤ……」
「リーリヤか……いつまでも、アンダルトの婚約者ではない。リーリヤは、私の妃だ。そろそろ、呼び方も変えて欲しいところだな」
申し訳ございませんと謝るアンダルト。エリーゼは私を見て、口を開いた。
「殿下に申し上げます! 何故、失踪したはずのリーリヤ様とご結婚を? 平民の男性と駆け落ちをしたと、新聞に載っていたと記憶しておりますが?」
「そうだったな。エリーゼ嬢は、白い毛のルビーのような目をしたネズミを知っているかな?」
「はっ?」
「私とリーリヤが、結婚できた理由はね、そのネズミがもたらしてくれたんだ。エリーゼ嬢には、感謝しかないよ! アンダルトと幸せになってくれ」
「どういう……?」
「エリーゼ嬢が私たちを結んでくれたというお話です。セイン殿下とこうして手を取り合える日々が、幸せでなりません! ありがとう、エリーゼ嬢!」
ニッコリ笑いかけると、エリーゼは仰け反った。その瞬間、あのときと同じように目の前がパッと明るくなる。とっさにセインに庇われ、影になったのだが、目をあけセインが元の場所に戻ると、エリーゼがいた場所に彼女の姿はなくなった。
「エリーゼ?」
「ちゅう?」
少々汚い声でなくネズミの声が聞こえ、下を向く。すると、そこには、どす黒く汚いネズミがエリーゼの着ていたドレスの真ん中に佇んでいた。
「あら……ネズミさん」
自身のことを思い出し、そのネズミがエリーゼなのだとわかった。見た目は、私がなったような白い毛のネズミではなく、ドブネズミ。
「なんだ、この汚いネズミは! 誰か、駆除を!」
「アンダルト様、お待ちください!」
私の声が、会場に響き渡る。
「な、なんだ……?」
「よくごらんになって! この愛くるしいお顔を。エリーゼ嬢ソックリですわ!」
「なんだって? エリーゼは、このようなドブネズミなどではない!」
「そうですか……」
残念そうに、肩を落としていると、その肩にセインの手が置かれる。任せてと言っているようで、微笑み返した。
その後、アンダルトの耳元でセインが囁き、驚いたアンダルトは、ドブネズミを並んだ後、エリーゼが着ていたドレスだけを持って、足早に会場から出て行った。その場には、ドブネズミとなったエリーゼだけが取り残され、アンダルトに呼ばれた侍従たちが、ネズミ駆除のためやってくる。呆然としているエリーゼを連れ、侍従たちは出て行った。
その後、エリーゼはどうなったかは、どこからの情報も上がってくることはなかった。
◇◆◇
卒業後は、城に住み、王妃に次の王妃として教育を受ける日々であった。
「リーリヤは、今日も母上のところだったのかい?」
「はい。とても王妃様の側にいると学ぶことが多くて……」
「そっか」
少し、拗ねたようなセインに「どうかされましたか?」と尋ねる。
「リーリヤを母上に独占されて、嫉妬しただけだよ。それより、卒業式のあとの話がしたくて……」
「あとの話?」
「エリーゼ嬢のことだよ」
「すっかり、忘れてしまっていました」
「どうして、ネズミに変わったんだと思う?」
「……呪いが返ったのではないかと思っています。その解き方は……エリーゼには、一生かかっても解けないでしょう」
「どういうことだい?」
「こういうことですよ!」
私はセインにキスをした。驚きはしていたが、セインも私を支えてくれ、より求めてくる。
「キス?」
「そうです。愛し合うもの同士でのキスだと、思います。あの日、いつもと変わったことをしたのは、それだけでしたから」
「リーリヤは、寝込みを襲って僕にキスをしたのかい?」
からかうようにセインがいうので、頷いた。あの日、苦しむセインを少しでも慰めたくて、キスをした。そのひと月で、育った愛情をたっぷり乗せて……。
予想外の話にセインの方が慌てる。
「えーっと……そろそろ、寝ようか? 明日も早いし」
「……そうですね」
ソワソワしてしていると、抱き上げられ優しくベッドへ運ばれる。
◆◇◆
そして、10年。
大きくなった子どもたちを伴って、戴冠式に臨むセインを見送った。
「お父様は、王様になるの?」
「そうよ。あなたたちだけのお父様でしたが、これから、この国みんなのお父様です。我儘は程々にね?」
「お母様も、お父様と同じ?」
戴冠式と立后式をする。子どもたちには、ここ数ヶ月、私たち夫婦の話をした。これから、王と王妃になり、より一層忙しくなると。
「そうね……同じよ。私も、あなたたちだけの母ではいられません。でも、ときには、あなたたちだけの父母でありたいとも思っているの。寂しい思いをさせることもあるけど、あなたたちの笑顔が私たちの力です」
「わかりました、いってらっしゃい、お母様!」
1番上の子が、二人目三人目の子の手を引き、見送ってくれる。大広間へと足を踏み入れる。
前を向けばセインがこちらをみて、変わらず優しく微笑む。私はただ、その微笑みに導かれるよう隣に並ぶ。
小さなリーリヤの秘めた恋は、予想外の方向に流れ、私をここまで連れてきてくれた。愛するセインと子どもたち、国の母となり、『多くの国民から最も愛された王妃』とのちの王家伝記には記されている。
この夫妻を取り持った赤い目をした白い毛のネズミの話はいつしか子どもたちの寝物語となり、幸福のネズミとして国民に親しまれることとなった。
- The End -
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