どうか俺の居ないところで笑って暮らせますように

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── 「ひ、ぎ……ッ、ひぅゔぅ……ッ!」 「そんな死にそうな声出さないでよ。俺、そんな下手じゃないはずだよ? 男とは千景くんが初めてだけど」 誰にも自分の意思で触らせたことのないところに指を突っ込まれれば死にそうな声も出る。 抵抗しないからやめてくれと許しを乞う俺の両手を器用に縛り上げた湊人はそのまま横に転がすと、俺からズボンを下着ごと取り上げて剥き出しの臀部に何か冷たいものをぶち撒けた。それから入念に時間をかけて皮膚を撫でたり引っ張られたりを繰り返し、先ほど恐る恐るといった手つきで指を突っ込んできたのだ。 「血は出てないし痛くないだろ? あ、でも少し赤くなってるね」 「み、見るな!」 「恥ずかしくないよ。綺麗だ」 ぐぱっと指で割り入るように中を広げられ、照明の下に肉色の粘膜が晒される。ふっと吐息をかけられて自分の意志とは関係なくその周りの筋肉が収縮するのがわかった。 「くぱくぱして俺のこと誘ってる……」 「誘って、ない!」 思わず蹴り上げた脚を掴まれる。やってしまったと自分の失態に気づいたときにはもう湊人は冷たい目でこちらを見下ろしていた。震える脚は引いても離されない。 「、ッ!」 「……なんてね、大丈夫だよ。今は痛くしないから」 脚を頬擦りしてふくらはぎにキスを落とされる。 「でも危ないから脚も縛っておこうか。千景くんが抵抗しないって言うから信じてたのになあ」 「し、しない! もうしないから……!」 「だよね? 痛いことしない代わりに協力してくれる約束なんだから」 ぞわぞわと肌が粟立つ。俺を見る湊人の瞳はお腹を撫でる彩音を愛でるときとそっくりだった。柔らかな甘やかな、愛しいものを愛でる瞳。自分より弱いものを守ろうとする瞳だ。今この状況と相反するそれはこの場にそぐわない。 「だからほら、千景くんが積極的に誘ってくれなきゃ」 股座に湊人の身体が割り込む。うつ伏せの体勢からでは見えないが、臀部に擦り付けられる感触が何なのかわからないほどの子供ではなかった。 「こういうとき何て言うのかな?」 「、……ッ、い、れて……ください……」 クソッ、と続け様に悪態を吐く俺の頬を撫で「いい子だね」と囁く。何か言うより先に身体の中に異物が入り込むのがわかった。 「ゔ、うゔ……ッ」 ミチミチと肉を割り開き他人の性器が身体の中に挿し込まれる。自分はそれをする側だと思っていた。それがこんな。 「彩音の初めてとそっくりだね。彼女も絶対にうつ伏せでって言って聞かなかったんだ」 「、やめろ……っ」 「電気は消して、声聞かないで、自分で脱ぐから……恥じらいが強くて、いかにも処女って感じが堪らなかったなあ」 「喋るなッ……」 「苦しいだろうに大丈夫だから動いてっていじらしいことまで言ってね。枕に顔を押し付けて必死に声を押し殺して可愛かった。今の君みたいに……」 「やめろって言ってんだ!、あ゛ッ、!??」 背後から大きな衝撃に襲われて息が詰まった。他人と繋がった部位に痛みと熱が伴う。あつい。ぐっと腹の中が熱くなって堪らない。 「あ、……はッ、ふ、ゔう……ッ、」 「痛いと気持ちいいんだ? 彩音と同じ。素質があるね」 「やめ、ろ……ッ、ひゔっんんっ」 自分の性器はこんな状況に、気持ちにそぐわず勃ち上がっていた。先端を濡らす体液を塗り込むように亀頭を撫でられて堪えきれない声が出る。輪っかを作った指で幹を擦られると腰が震えた。他人の手なのに。大嫌いな義兄の手なのに! 「腰が揺れてるよ。今度はこっちだけで気持ちよくなろっか」 「ひあ゛、!、やめ゛ッ……」 「やめない」 イきたいのにイけない。寸止めの快感に頭を振り乱し、代わりに与えられた痛みが感覚をおかしくさせる。気持ちよくない、こんなの痛いだけなのに。身体が勘違いしてる。 「千景くんのナカ、奥突くと凄い吸い付いてくる。きゅうきゅうに狭いのに柔らかくて温かくて……ああ、ずっとここにいたいなあ」 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い! 気色悪い、やめろ。俺に覆い被さって、俺に触りながら気持ち悪いことを言わないでくれ。 身体は汗を掻くほど熱いのに寒気が止まらない。ざわざわと粟立つ肌をシーツが撫でる。意識を逸らそうとその触り心地のよさに目を向けると、ここが誰の寝室なのかを思い出してしまった。 「ねえ、激しくしてもいい? 今の彩音とは激しいのできなくて」 「っ、やだ、やめろ! 俺に触るな!」 千景くん?と名前を呼ばれるのも無視して必死に体を捻る。 我慢できると思っていた。俺が彩音の幸せを壊すことなんてできなくて、俺が我慢すれば彩音の笑顔を守れるのだと。……俺だって彩音を幸せにできるのだと。 でも、そんなわけがないだろう。彩音のベッドの上で大嫌いな他人に抱かれることが彩音の幸せに繋がる? これは彩音の幸せをぶち壊す行為だ。 「お願いだ……やめてくれ……」 気づけば涙が溢れて止まらなかった。両手を縛られた状態では拭うこともできなくてただシーツを汚す。ピンク色のシーツ。彩音の好きな色だ。 身体が震えて全身が痛くて、惨めで堪らない。最低の気分だった。 「……仕方ないな。わかったよ」 まるで心の芯が折れたような俺の態度に思うところがあったのか、湊人は存外すんなりと引き下がってくれる。だが、続いた言葉は俺を絶望させるには十分すぎた。 「機会はこれだけじゃないからね。じゃあ、今日はこれから撮影した映像の鑑賞会にしようか」 「………………え?」 「このアングルからなら映りはいいはずだよ。試したことあるからわかるんだ」 「な、に……言って、」 「やっと手に入れたんだ。これで終わらせるはずがないだろ?」 そう言って笑う湊人は今まで見たことのない表情をしていた。 言われるがまま誘われるがまま繰り返し何度も何度も。俺は彩音を裏切り続けた。もう湊人に抱かれることが裏切りなのか、この秘密を表沙汰にすることが裏切りなのかわからなくなっていた。 ねだるように命令されればそれに従い自ら咥え込んで、しゃぶって舐めて吸って飲んで、跨って腰を振って。泣けと言われれば泣いて笑えと言われたら無理にでも笑顔を作る。そうして義兄を喜ばせるだけの肉袋。自尊心と共に削られていく反抗する気力と比例して植え付けられる支配されることへの仄暗い興奮を覚えながら、もう俺にはそうすることしか残されていなかった。 俺は、もう彩音に笑ってもらうことすら自分で自分を許せなくなっていた。 ■ 「最近笑わなくなったね」 振り返ると湊人がホテルの安っぽいシーツで汚れた性器を拭っていた。そう言う彼も笑わなくなった。 「笑えって言うなら笑うけど」 「千景くんじゃなくて、彩音のことだよ」 知らなかった。俺はもう長い間彼女の笑顔を見れていないから。 「そろそろ帰らないと。姪っ子が心配するから」 「それ、普通なら俺が娘が心配するからって言うところなんだけどなあ」 「湊人は今県外に出張中って設定なんだろ」 「出張なのは本当だよ。明日からね」 俺がシャワーを浴びてる間にビジネスホテルの一室から愛娘にテレビ通話なんてよくやる。「隣の部屋のシャワー音がよく聞こえる」なんて嘯いて、彩音と一頻り会話をしたあとでもう一度俺を抱き直す根性なんていっそ清々しいほどだ。 「そうだ。湊人、今度お前にプレゼントしたい物があるんだ。出張から帰ったらうちに寄れよ」 「珍しいね、何かな」 「秘密。渡す物もとびきり珍しい物だよ」 楽しみだな、なんて言う湊人は久し振りに笑顔を浮かべていた。 それから暫く湊人と会う機会はなくて、俺もその理由を知っていたから何も言わなかった。お互いが、みんなが何かを知っているのに知らないふりをして保たれる平和の中では然るべき予定調和だ。 『うちに来て』 簡素なメッセージがスマホのホームを照らしたのは今から10分ほど前の話で。俺が彩音の家の呼び鈴を鳴らすまでの時間には十分だった。 包帯の巻かれた手をインターホンのボタンに押しつける。本当は合鍵を持っていたが、湊人にこうすることを望まれている気がした。 部屋には湊人しかいなかった。 「彩音に言ったのか」 青褪めた彼の座るソファのすぐ近くはまるで台風が通った後のように荒れ果てていて、常に清潔と整頓が保たれていたこの家にそぐわない。 「違う。彩音が自分で気がついた」 「そんなはずッ……」 「彩音は優しくてふわふわしてるけど、考えなしの馬鹿女じゃない」 この男は彩音の表面しか見ていなかった。或いは恋に盲目な彩音の態度が湊人の目を欺いたのかもしれない。どちらでもいいし、どうでもよかった。 興味があるのは、俺が予想していた通りのことがここで起きたということだ。 「……離婚することになった」 「そう。それが俺を呼び出して伝えたかったこと?」 「君をここに呼んだのは、ちゃんとした別れを告げたかったからだ」 「彩音に捨てられたから俺を捨てるのか?」 返事はなかった。湊人は下を向いたまま目を合わせない。視線の固定された先にあるソファテーブルに向かって、家から持ち出したものを投げ置いた。 「プレゼント。帰ったらうちに寄れって言ったのに」 封をしていなかったから、投げやりに置かれた封筒から中身が出てしまっている。テーブルの上に散らばったいくつかの写真を前にして、湊人の表情が強張った。 「こういうのあったら離婚裁判とか親権にある程度影響出るんじゃないか? よく知らないけど」 スリルを求める行動ばかりする湊人も不用心だが、それは彼に限ったことではない。不倫をする人間なんて皆自分本位で正常な判断がつかない人間なのだ。 だから写真なんて撮られる。夫の出張中に男を連れ込むところを弟から押さえられるなんて、思っても見なかっただろうが。 「彩音を更に苦しめるものだとわかっていて、これを俺に渡すんだね」 「そうだ。それは彩音よりお前が苦しむものだから」 きっと彼はこれを表に出さない。そう思ったから渡した。俺が彼の立場なら、これ以上彩音を苦しめる真似はしないから。 「俺は姉の代わりじゃない」 「うん」 「お前が好きなのは俺だろ」 「……違うよ、俺の最愛は彩音だった。……愛して、いたはずなんだ」 「お前は俺が好きだよ」 彼は何も答えなかった。ただ寂しそうに微笑んだ。 俺たち二人の愛した女は、今は誰とも知らない男の腕の中で大きすぎる傷を抱えながら暮らしていることだろう。 本当は、二人の迎える結末を知っていた。彼が知らせるよりもずっと前に。彩音は俺たちの関係に気付いていたのだ。そして湊人には知らないふりをして、俺には手酷い仕打ちをした。 湊人の出張に付き合って帰ったあの日。俺は彼女の実の弟ではなくなった。庇護される対象から、愛情深く接する家族から外された。ただ一人の男として、円満な夫婦から夫を寝取った恥知らずになったのだ。 皮膚が爛れるほどの煮湯を浴びせられ、それを咄嗟に庇った右手が痛む。彼女は獣じみた咆哮をあげて啼泣し、空になった片手鍋を床に投げつけて蹲った。俺は何の言葉も掛けられなかった。身体が動かなかった。 処置が遅れたことが原因で、俺の利き手はもう動かすことが難しいらしい。 両親は悲しんだ。俺は事故だと言い張ったが状況から姉が何をしたのか明らかで、彼女は一切の言い訳も弁解もしなかった。彼女の黙秘は俺でも姉自身でもなく、湊人を守るただ一つの手段だったから。 姉の浮気と離婚の話が我が家の食卓をめちゃくちゃにしたのはそれから少しだけあとのことだ。 俺は適当な理由をつけて家を出た。両親には詳しく話さず、ただ「不自由な俺の世話を買って出てくれた人がいる」とだけ伝えてある。湊人と彩音の家は湊人と俺の家になった。 姉はきっともう二度と俺の前には現れない。両親の前にも姿を現さないだろう。 俺は彼女のことを恨んでいない。今も好きだと言える。ただ、不思議と彼女が二度と俺の前に姿を現さないことにひっそりと安堵してしまうのだ。 「なあ、湊人、今幸せ?」 「さあどうだろう……千景くんが幸せなら幸せだよ」 「そう。じゃあ二人揃って不幸だな」 指先が細かに動かない手で彼の頬を撫でる。湊人が表情を歪ませるのが見えた。 「もっと大きな病院への紹介状、断ったんだって?」 「いいんだよ、俺はこのままで」 ろくに動かせない指先を撫でる。どうか一生動かないままでいてほしい。 この痛みこそが、俺と彼女を繋ぐただ一つの証明なのだから。
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