会ったこともないけど好きなひとの話をしていたら、先輩の反応がだんだん不自然になってきた。

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「無理……です」  王立魔法研究所の所員寮の一室。勤務二年目の研究員ミリヤは、流麗な筆致で切々と書かれた便箋を片手に呟いた。  差出人は、恐るべき才覚で魔法学院入学以来首席を維持し、数日前に卒業した学院生ソロモン。  孤児で養護院に保護されていたが、十年前、“エルヴァスティ伯爵”に見出された。伯爵は彼が強い魔力を秘めていることを見抜き、後見人を名乗り出て学院へ入れて、卒業まで面倒を見てきたのである。  見返りは月一回の手紙のみ。卒業まで。  その最後の最後で、ソロモンは伯爵に対して「ずっと会いたかった」と熱烈な思いを打ち明けてきたのである。  ミリヤは大きなため息をつき、乱雑に散らかった自分の机の上に“エルヴァスティ伯爵”宛の手紙を置いた。 (ソロモン、さすがに優秀ね。伯爵が存在しないことまですでに調べてある。それでも会いたいと……)  ミリヤも二年前までは学院に在籍していたので、ソロモンのことはよく知っている。  ()のひとは、学院ではその優秀さもさることながら、水際だった容姿で男女問わず注目を集め、とかく羨望の的でもあった。  すらりと若木のように伸びた長身、黄金比を思わせる頭身のバランス。夜闇の髪に、凛々しい眉、切れ長の目。まっすぐの鼻梁や唇は形がよく、蠱惑的な声は鍛えているかのように透り、涼やかに響く。  少し離れた位置にいても、彼の存在はすぐに気付かされた。  それでいて、女性関係で浮いた噂ひとつなかった。  誰に対しても丁寧に接し、優秀さをひけらかすことなく、礼儀正しい距離を保っていた。  その彼が、たとえ「恋愛」の意味でなくとも、これほど思いを寄せる相手がいると漏れたら、蜂の巣をつついた騒ぎでは済まないだろう。  もっとも、彼が会いたい“エルヴァスティ伯爵”は彼の調べの通り、存在していない。  ミリヤは引き出しからまっさらの便箋を取り出し、ペンを構えて何度目かのため息。  どうしても文字を書き出すことができない。  書くべき内容は決まっているのに。「会うことはできません」それ以外に無い。 (“エルヴァスティ伯爵”だったおじいさまが亡くなって、もう三年……。そのときに文通はやめてしまえば良かった)  架空の名前で養護院を支援していたのは、魔道士であったミリヤの祖父。  ソロモンの才能を見抜き後見人になったときには、すでに視力がかなり落ちていた。ソロモンへ唯一の約束事とした月一回の手紙も、自分で読むのはかなり困難な状態であった。そこで孫娘であるミリヤが祖父のもとに通い、手紙を読み上げて、返事を代筆してきていたのである。  その祖父も三年前に亡くなっている。  ミリヤの祖父は、自分が死んでも彼の卒業までは支援できるように遺産の整理をしていたので、月一回の定期報告を取りやめてしまってもなんら問題はなかった。    ただ、ソロモンは毎回の手紙で学院生活を実にいきいきと綴ってきていた。そこには、伯爵を親のように思慕する姿も透けて見えていた。「エルヴァスティ伯爵を名乗っていた人物はすでに亡くなっているので、手紙は中止して構わない」とミリヤから返事に書いて出すことは、どうしてもできなかった。  ――学院では特別接点があるわけではないし、字を見られることさえなければ、自分の手紙の相手が(ミリヤ)だとは気づかれない……。  約束の手紙は学院長を通してミリヤの元に届けられていたが、ソロモンから相手を追求してはいけないと伝えてあった。彼はそのルールを守っているはず。そして架空の“エルヴァスティ伯爵”を通したやりとりは彼の卒業のタイミングで幕引きにする、そのつもりできた。 (会うのは、無理だよ。十年近く同じ学院内で一緒に過ごしていた学生で、これからは仕事上の先輩後輩になるたった二歳差の女が、自分が親のように慕ってきた“エルヴァスティ伯爵”だなんて知りたくないでしょ)  手紙は一番初めからミリヤが受け取って読み上げ、返事を代筆してきた。祖父が死んでからは返事の内容そのものもミリヤが考えて書いていた。自分のことは極力書かないできたが、ソロモンのことは彼が長々と書いてきた手紙の分だけ、他の誰よりも知っている。  たとえば学食での彼の好物が豚肉のアプリコット煮やうさぎのバター焼きであること。パンケーキにメープルシロップをふんだんにかけて食べる贅沢が養護院では考えられないことで、いつもさりげなくひとの二倍シロップをかけて食べていたこと。アボカドのラズベリーソースがけは、素知らぬ顔で食べているけどいまだに理解できず苦手であること。  甘党で、紅茶にはたっぷり砂糖をいれて飲みたいけど、最近は人前では避けていること。「特徴的な飲み方をすると、それが私の好みだと覚えようとする相手がいて、何かと構おうとしてくるのが得意ではなくて」と書いていたが、これは「ソロモンの、いつもの」を探ろうとしている周囲の女性を疎ましく思っているという意味に違いない。  食べ物だけではなく、彼が好んで読んでいた本も全部知っている。面白かったと書いてくればミリヤも読むようにしていたし、ミリヤからすすめた本もある。学院の図書館で彼が手にしているのを見かけ、次の手紙に感想を書いてくると、読みながら相好を崩していたものだ。  架空の“エルヴァスティ伯爵”としてミリヤが彼と積み重ねた時間は誰よりも濃密だった。  それでいて、現実の二人はろくに言葉を交わしたこともない。ミリヤは「真面目が取り柄のぱっとしない先輩、実家は貴族階級で資産はあるがミリヤ自身は跡継ぎではなく堅実に働くだけ」の身の上であり、ソロモンは「飛ぶ鳥を落とす勢い、将来有望の若手魔道士」だ。 (ソロモンはまさか相手が、これから頻繁に顔を合わせる同じ職場の先輩とは想定していないだろうし。知らないまま終わらせた方がお互いのために良いはず。それに、たぶん、ソロモンには好きな女性がいる。はっきり書いていたわけじゃないけど、普段の友達のことはあけすけに書くのに、妙にぼかして「また笑顔を見たいひとがいる」って。あれはたぶん……。そんなことを私が知っているなんて、知られるわけにはいかない、絶対に)  悩みに悩み抜いて、ミリヤは最後の手紙に返事を出すことをしなかった。自分の中で「もともと返事には数日かけていたし、卒業して寮を引き払ってしまったから、伯爵からは出さなかったことにしよう」と散々言い訳をしていたが、明確に断って彼を落胆させることに躊躇いがあったのは否めない。  すべてを有耶無耶に。  これで良かった――いや、これしかなかった。  言い訳とともに、ソロモンからの最後の手紙は、寮の自分の机の引き出しの奥に仕舞い込んだ。  * * *
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