会ったこともないけど好きなひとの話をしていたら、先輩の反応がだんだん不自然になってきた。

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「ソロモンです。『水』属性で学生時代力を入れていたのは氷魔法です。卒業研究は意識層と潜在意識層の意識的連結及び、観念連想の原理を中心に進めてきました。研究所でも主にこの分野で、魔道士の精神鍛錬と魔力量の関係性を追求していきたいと考えています。よろしくおねがいします。先輩のことは、ミリヤ先輩とお呼びして良いですか?」  魔法研究所に入所し、新人歓迎の式典を終えた後。  配属を伝えられたソロモンは、部署の先輩にひととおり挨拶をしてから、指導係である二年先輩のミリヤの元へと向かった。  挨拶をして手を差し伸べると、ミリヤは視線を泳がせながら、なかなか手を出してこない。  亜麻色の癖っ毛に、空色の瞳。童顔で年齢不詳。その顔をぶしつけなほどしっかりと見つめつつ、ソロモンは声に出さずに唸ってしまった。 (やっぱり年下に見える……。研究所に入っているだけあって、学生時代ものすごく優秀で名前はよく聞いていたけど、実物見るとこの可愛さで……。学業以外にもよく名前が挙がっていた、男子学生の間で)  いわゆる庇護欲をそそるタイプで、はきはきした物言いと黙っているときの人形のような見た目のギャップが大きい。男子学生の間では「高嶺の花」として語られていたのが印象的だ。  一方で、ソロモンにはやや苦い思い出がある。  学院に入学当初、ソロモンは裏庭でミリヤを見かけたとき、てっきり学院に迷い込んできた子どもと勘違いをして「ひとり? おとなのいるところまで連れていくよ」と声をかけてしまったのだ。  もう十年も前のことなので、ミリヤは忘れてくれていると願いたいが、当時は先輩だと言われてもぴんとくることなく、「危ないからお兄さんについてきて」と言い張り……。年上で学院の先輩だと知ったときは、ひたすら謝り倒したものだった。  養護院出身ということもあり、小さな子を見ると「世話をしなければ」という気持ちが先に立ってしまう。そんなこと、貴族のご令嬢であるミリヤに言っても理解されないかと思ったが、「ありがとう」と柔らかに微笑まれて受け入れられてしまった。  以来、意識の隅でミリヤのことはずっと気にかけていたが、積極的に話すことはないまま先に彼女が卒業した。  恋愛とは言えないものの、もっと話してみたかった、という思いは誰にも打ち明けることもないまま……。 (唯一心を許せる相手であった伯爵への手紙に、ときどき名前を出さず「笑顔が素敵で気になる相手」として書くことはあったけど……。まさか卒業後、こんな風に関わることになるなんて。伯爵、「気になる相手」といま同じ職場で、先輩後輩として顔を合わせています。今度は、あの頃よりも話す機会がありそうです)  心の中で、癖となっている“エルヴァスティ伯爵”への手紙を綴りかけて、ソロモンはふっと笑みをもらした。  伯爵へはもう手紙を書くことはない。最後に勇気を出して「会いたい」と申し出たのが機嫌を損ねてしまったのか、返事もないまま終わってしまった。  そしていま。  差し出した手を、ミリヤは握り返すこともない。ソロモンは気まずさに苦笑いを隠しきれないまま手を引っ込めようとした。  そのとき、がばっと身を乗り出してきたミリヤが両手でソロモンの手を掴んだ。 「ご、ごめん。ソロモンくんがうちの部署にくると思ってなくて、びっくりしてて。よろしくお願いします!」  きらきらとした瞳に見上げられて、ソロモンは「こちらこそ」と短く返事をした。ミリヤはにこっと笑って手を離す。 「学院で顔を合わせたことはあるけど、あまり話すことはなかったよね。新しい環境でわからないこともたくさんあると思うから、遠慮せずになんでも聞いて。ただ……」 「なんですか?」 「私、字が下手で。書類関係は極力見ないで欲しいんだ。変なお願いでごめんね。でもどうしても」  そんな弱点が? と妙にひっかかるものを感じながらも、(そういうものかもしれない)と思い直し、ソロモンは「わかりました」と神妙に答えた。 「もし必要があれば、俺が代筆もします。初めのうちはご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、できることはしていきますので、先輩も俺にたくさん仕事を振ってください。やります」 「頼もしいなぁ。ソロモンくんは年下なのに、気持ちはあのときみたいに『お兄さん』のまま……」  言いかけて、ミリヤはハッと息を呑んだ。しっかり聞いてしまったソロモンは、片手で目元から額を覆うようにして低く呻いた。 「覚えてましたか。最初の……」 「う、うん。顔を見たら思い出しちゃった」 「忘れてください。大変失礼しました」 「いやいやいや、そんなことないよ? だけど思い出話ばかりしていられないからね、早速仕事の話をしよう」  会話はそこで一度終わり、以降はふたりとも仕事の話に集中することになった。二年先輩のミリヤの研究はソロモンには興味が尽きない内容で、終業まで話し込み、翌日も朝から晩まで作業の間に何かと話すことが多かった。  ひと月もする頃にはすっかり打ち解けていた。それが嬉しくもある反面、報告する相手がもういないという寂しさは、まだ振り切ることができない。 (伯爵に手紙を……仕事を始めて、良い先輩に恵まれたと伝えたい。だけど伯爵はもう俺からの手紙は受け取ってくださらない)  最後の最後に失敗してすべてを失ってしまった。その後悔が、ソロモンをひどく苛んでいた。  * * *
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