第1話

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入学式で体育館へ知らない人たちばかりの中で向かい歩きながら、中学までだったら要の周囲とかに足を踏まれたり背中を小突かれたり嫌味を言われたりしてたけど、誰からも嫌がらせや暴言やジロジロ見られることがなく、関心があまりない群れの中が居心地が良く思う。なんて。 見知らぬ環境が楽しくて仕方ない、いつも下ばかり見て歩いてたのに、今はちゃんと前を見て歩ける、真新しい制服なのも合わせて背筋すら伸びそう。 退屈な式も新鮮で今までなら聞く気がない長い校長の話にも耳を傾け、何もかも初めてのような感覚、ただ幼馴染みと地元から離れただけで味わえるなんて思わなかった。 「……荻野、何かめちゃくちゃ嬉しそうじゃん」 入学式を終えて教室に戻ると隣の席の小山がニヤリと笑う、こんな風に誰かに教室で話し掛ける日が来るなんて。 要ばかり相手してたし、周りは要に近付きたい奴ばっかで、最悪の空気の中心にずっと居て。 初めて学校で呼吸が出来た、とかそんなポエムじみた感想に寒気を覚えても良いのに、感動が上回って小山に思わず笑みを向けてしまう。 「うん」 「……こうして初めて話したけど、荻野って顔に考えてること出やすい、って言うか気分が顔に出てるみたいな。喜怒哀楽ってやつ?」 「……単純ってこと?」 「はは、今はムカつくって顔に出てんぜ」 小山に茶化されるけど、今までの嫌味と違って全然嫌じゃなかった。 いつも、いつもいつも、要に合わせてばっかで、嫌なことも嫌って言えなくて。 ……いや、もうだから、要は関係ない。 いい加減、解放されなきゃ。徐々に要のことを忘れて、「あんな幼馴染み居たなあ」なんて笑って過ごせるかも知れない。 そこでスマホが震える気がして、取り出して見れば「うわ」と思わず声が出た。 荻野潮からメッセージだ、何だかんだ交換してから初めての連絡に急に何なんだと嫌気がさしながら開けば。 『今日お兄ちゃんいつもどおりだから弟くんは真っ直ぐお家に帰れよ』と書いてある、頭痛がすごいなこの文。 返さずに居ると、ポン、ポンとスタンプが連打されていく、既読がつくせいで遊ばれてるのかも知れないが、この男は普通に授業中だろうに何でスマホ触ってるんだ。 返信しない限り続きそうなので『わかりました』とだけ返してスマホをポケットにねじ込む。 「今は、嫌だって顔してる」 「その通りだよ……」 小山が「荻野って面白いな」と笑って、それが少しだけ嫌じゃないから「何それ」と呆れて笑い返した。 午前中で終わり、さっさと帰るかと鞄を掴んで教室を出る。 今日は母さんは仕事だし、聖一さんも入学式を見てすぐ仕事に戻ったらしい、さっき連絡が来てた。昼ご飯はあるので食べてね、らしい。 あとまあ、荻野潮もこのまま学校だし、帰って1人なのはいつもだから慣れてるから良いか、とポケットに手を突っ込んでスマホを取り出そうとした手に、スマホ以外の感触が当たってそれを取り出した。 「……うわ」 朝、荻野潮に渡されたミルクキャンディだ。 それを見て無意識にキスされたのを思い出して、最悪だと首を振って、違うこれは牛くんの好きなやつと言い聞かせれば上書きされる。いや、する。うん、なった。多分。 何となく、それを手のひらに転がしながら、昇降口に向かう。 他の新入生たちは帰る生徒や残って話してる生徒とかまばらで、どちらかと言うとすぐ帰る方が少ないみたいだ。 周りに人が居ないので靴を履き替えて、外に出る。 そんな僕の背中に。 「──佐助」 と、聞き慣れた、声に呼び止められた。 その瞬間、思いきり寒気がして、「…………え?」と言う声が自分の口から出たはずなのに、喉が急激に渇いて苦しい。 幻聴? 僕を名前で呼ぶ人なんて、居る訳無くて。 それに、声だ。この声は、忘れたくてもまだ忘れるには日が浅い、何で? 何で校舎側から、こんな声が聞こえるんだ? 僕が考えてしまったから? だからこんな幻聴が聞こえて──と、恐る恐る、後ろを振り返って……息が止まるかと思った。 「ヒッ」 幻覚ならとんだ白昼夢、最悪だと笑い飛ばせる、なのに。 真新しい、同じ制服姿の、ここに居るはずがない幼馴染み、渡利要と目が合った瞬間に、本能が違うと叫ぶ。 これは、本物だ。 そう思った瞬間、僕の足は動いた、前へ前へ、外へと逃げるように動く。 「はっ、はっ……なん、で……何で!?」 幻覚じゃない、幻聴じゃない、あれは要だと僕の全細胞が警告してる、見間違えるはすがない、物覚えついた頃からずっとずっと見てきた相手だ、間違いない、あれは要で! 桜の花びらが舞う住宅路を走る、慣れない道、急に走った、受け止められない現実に酸欠になりそうで、早く逃げなきゃと思う僕を嘲笑うみたいに目の前の信号は赤になった。 「っ、……はっ、げほ……、はあ、う……」 嘘だ、と首を振ろうとした。 「佐助」 「!? ヒッ、……やめ!」 「危ないよ、ほら赤だし、トラック通った」 ガシ、と手首を後ろから掴まれて反射的に前へ向かおうとして、反対の腕も掴まれて体は後ろへと引かれる。 背中に当たる感触と、耳元に近付く気配。 「ああ、やっぱり。佐助は俺が見てやらないと」 「……はっ、なん……どうし、て……」 振り向きたくない、せめて顔だけは見たくないと俯く僕の耳に「佐助」と優しく囁いてくる声に全身を寒気が巡った。 そして腕を掴んでた手が顎を掴んで、無理やり顔を上へと上げられて覗き込むような見下ろす目と合う。 「どうして? 俺たち、幼馴染みなんだから──ずっと一緒だろ、これまでも、これからも」 「…………」 嘘だ、折角逃げたのに。 何でこいつは、僕の傍に居るんだ?
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